「戸」とは、古代日本においては土地土地の何かとても重要な
目に見えないもの、神の出入口のようなものを現わしていたような気がしているのですが、
律令制になると「国」>「郡」>「里(または郷)」の国郡里制で、
里は50の「戸」で構成されるとありますから、
「戸」とは今もある「各戸」の戸、戸籍の戸です。
歴史の中で比較的新しいところでは筆記も、
硬筆が毛筆にとって代わり、縦書き文書が減り横書きになりました。
横書きも左方向に横書きしていたのが右方向に変わりました。
毛筆文化というのは古いようで実は新しく、
古代はペトログリフに見られるように、元は硬いもの、鋭利なもので、
石板などを削って書きつけていました。
「戸」も「文字の筆記」もさかさま現象が起きていますが、
町や村のつくりにもさかさまになっているところが見られます。
町や村の表裏がひっくり返っているような現象です。
東京の小金井で暮らしたときに知ったのは、小金井には古代から人が住む集落があったことです。
古代人が居住域に選んだ場所は「はけ下」と呼ばれる場所です。「はけ」とは「崖(がけ)」と似ています。
極端に高低差がある場所の下側に自然に濾過された綺麗な水が湧き出るので、「はけ下」に人が集まったのです。
ところが鉄道が開通し「はけ上」に駅ができるとたちまち、駅前に人が集まり開発が進んだので、
町の上と下で裏と表がひっくり返るような現象が起きていました。
神戸もひょっとしたら同じように、裏と表がひっくり返っている可能性があります。
京阪神は沿岸部に鉄道路線が発達し、大阪の中心部から放射状に広がっています。
表六甲・裏六甲という表現も沿岸部寄り、大阪寄りを表と呼んでいます。
日本の国土もかつては太平洋側が表日本、日本海側が裏日本と呼ばれていました。
この表裏の概念、古代は反対だったかもしれないです。
甲山の「甲」は、甲乙丙丁…の十干の一番目ではありますが同時に、東という意味もあります。
なので「マヤヤマ(摩耶山)」の東の山という意味で「コウ(ノ)ヤマ(甲山)」なのかもしれません。
大阪から見ると遠い方の「マヤヤマ」がメインで、釈迦のお母さんの名前が山の名前で、
だから天上寺には3000人もの僧がいた可能性もあります。
3000人の僧でも驚きですが、先日ご紹介した福井県の平泉寺白山神社の平泉寺には
5000人の僧がいたことがあると由緒に書かれていました。
北陸新幹線の開通がきっかけで、再び福井県に人が集まる現象が起きるのでしょうか?
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