今年も皆さんの熱演に感心した。色々なタイプの曲が演奏されたのも例年同様、良かった。
演奏する側、審査する側、気を付ける点としてまず、きれいな音で、正確な音程・リズム・強弱…
技術を磨くのに感情は要らない。いかに機械みたいに上手くやるか。心を無にして、感情のデトックス…充実した心地よい時間。
その先、音楽として何が求められるか。心臓?骨?関節?
そう!「構造的な意味」や「時間軸における意味」。
すると音楽に命が宿ってきて、皆さんの演奏のように
・汚い音も臆せず強弱の幅が物凄い
・ぽっかりと空洞のような箇所があれば、これでもかとばかりに推進力がある…圧倒される。
一方、見た目は淡々と弾いていて
・音の織物の細部まで鮮明、曲想の変化も明瞭
・神々しいまでのクライマックス…どんどん引き込まれていく。
そんな演奏は殆ど技術かも知れない。技術、技術、技術でどんな高みにも行ける。技術を感じさせないのが本当の技術。聴く側が勝手に感情を揺さぶられる。
…そう思わせる演奏もあった。全ての演奏に感謝。
(静岡県高等学校文化連盟「第25回演奏会:ギター・マンドリン部門」で私が述べた講評/掛川市生涯学習センター)
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