2018年1月9日
今日は創立時から22年間、ポルトに在住していた子供たちと学んだ補習校時代の思い出話です。
週に一度の我が職場、中1の子供達と一緒に児童文学作家吉橋道夫氏の「ぬすびと面」という話を読んだときのことです。
狂言の面打ち師が、これまで誰も打ったことが無いという「ぬすびと」の面をどうしても打てないでいる。このぬすびと面は、狂言の内容からして、「どこか滑稽で間が抜けており、それでも一目見ただけで人を震え上がらせるような顔」でなければならない。
そんなある夜、面打ち師の家に恐ろしい顔をした盗人が押し込む。しかし、どういうわけか、物は盗らず、代わりに赤ん坊を押し付けて行ってしまう。うむと気張った恐ろしい顔の裏に、もうひとつの別の顔があるような気がして、「これや、この顔や!」とその時の盗人の顔をしっかり記憶に刻みこんだ面打ち師は、ようやくノミを振り上げ面を仕上げる。
壬生大念仏狂言の始まるその日に、竹矢来を組んだ特別の場所に、牢屋敷の囚人達も集められると聞き、面打ち師とその女房は、もしかしたら件の盗人もその中にいるかもしれぬ。それなら一目、無事に自分達に育てられている子を見せてあげようと連れて行く。
ところが、肝心のその盗人は、チラとこちらをみただけど、何のかかわりもないという顔をして、うむと気張って座っている。
拍子抜けした面打ち師が役人にその盗人のことを訊ねると、「ちょいと、変わったことをやりよって。」盗んだのではなくて、間引きされそうになった子供を助けて、育ててくれそうな家へ無理矢理押し付けて配って回った、とのこと。
面打ち師は改めて、この世の、どうしても許しておけないことに対する、盗人の、怒りを込めて人々を睨みつけている顔を見、もう一度「ぬすびと面」を打ち直そうと思う。(要約spacesis)
ざっとこういう話なのですが、さて、時代物の物語の中に、海外で生まれ育つとどうしても耳慣れない言葉が出てくるわけでして、「狂言、竹矢来、奉行所、間引き」などがそれです。
説明が「奉行所」に及んだとき、「今で言えば警察ですね。」と一言で終われるものを、亡くなった母の影響で子どもの頃は時代劇や講談が好きだったわたし、話の成り行きで、ついついお奉行様までいってしまいました^^;
お奉行様といえば言わずと知れた遠山の金さんこと刺青判官!海外に在住する子どもたちのほとんどは、現代物の日本マンガやビデオアニメは見るものの、時代物はまずなく、当然知るわけがございません。そこでわたしはインスタント講談師に(笑)
着流しで市井にその身をしのばせ、悪漢どもを退治。最後はお見事、片肌脱いで
「えぇぇい、往生際の悪いヤツめ。この桜吹雪がお見通しでぇい!」とご存知18番。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/39/d5b0d8ce38df7abebe5eb2eeed18a037.jpg)
2009年子供たちと一緒に行った日光江戸村でのシーン
大丈夫、大丈夫ですってば。なんぼなんでもこのわたし、片肌脱いだわけではありません。
で、最後が「これにて一軒落着~。」と終わるのです、と講談が終わったところで、ジリジリーと授業終了の鐘も鳴りました。
すると、ポルトガル生まれでポルトガル育ちのY君、「学校に遠山の金さんのビデオないの?」と来たもんだ。うん、分かる分かる、その気持ち。見て見たいもんだよね。残念ながらまだ日本でその番組が放映されてるかどうかも、分からなかった。
○HKの大河ドラマは古いものではあるけれど、結構そろっているたものの、あれを見こなすのは、彼らには少し難しい。しかし、毎回のストーリーもほぼ同じで筋を追いやすく、勧善懲悪の時代物というのは、この「遠山の金さん」を始め「銭形平次」なども、痛快でここにいる子供にも受けるのではないかと思うのは、わたしだけだろうか。
かつて、我が娘に、「任侠清水の次郎長、森の石松、金毘羅代参」三十石船のくだりを話し聞かせたことがある。
♪ 旅ゆけば、駿河の国に茶の香り~と始まる広沢とら造の浪曲、
相手を石松とは知らぬ客、清水一家で一番強いのを忘れてたと石松の名をやっと最後にあげる。内心大喜びの石松。
石松「呑みねえ、え、オイ。鮨を食いねえ。江戸ッ子だってねえ」
客「神田の生まれよ」
石松「そうだってねえ、いいねえ。……ところで石松ッてのはそんなに強えか」
客「強いのなんのって、あんな強いのは二人とはいめえ」
石松「おい、いくらか小遣をやろうか。……なに、あるのかい。
そうかい。そうかい。 ふーん、石松ってのは、そんなに強いかえ」
客「ああ、強え。強えは強えが、しかし、あいつは、少々頭のほうが
薄いときてる」
石松「なに……頭のほうが薄いだと」
客「馬鹿だよな。みんないってるぜ。あのへんの子守りでさえもが唄って
るぜ。聞いてみな。東海道じゃ一等バカだ」
石松「馬鹿だとねエ。べらぼうめ。へッ。どんな唄か聞かねえが、お前さん、
その文句知ってるのかい」
客「知ってるともよ。聞かしてやるか」
♪ お茶の香りに東海道、清水一家の石松はしらふのときはよいけれど、お酒
呑んだら乱れ者、喧嘩早いが玉に庇。馬鹿は死ななきあ、なおらない~
やはり彼女も面白がって、その映画を観てみたいと言ったものである。その語呂合わせ、リズムの痛快さに、カッコいいと心弾ました子供の頃の自分をY君や我が娘にチラと重ねて見たような気がしたのでした。
ここまで書いて思い出したことがあります。
昔、ポルトのテレビ局が取材に来たときのこと。
その日は日本の知人が送ってくれた「声に出して読みたい日本語」を子供たちに紹介しがてら、中の「白波5人男」の一人、弁天小僧菊之助が泥棒の正体を現し開き直って言うセリフ。子供らを前に、
知らざぁ言って聞かせあしょう。
浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の
種は尽きねぇ七里ガ浜ぁ。
~~~(略w)
名さえゆかりの 弁天小僧菊之助たぁ、おれがことだぁ~あぁ。
と、歌舞伎調で、首も振ってジェスチュアーよろしくやっていましたら、ギョ !廊下からカメラがジィ~ッと回っていたのに気づき、赤くなったり瞬時青くなったりして大いに困った経験があります。
幸いその場面は放映されず、数秒のインタビューが出たのでよかったものの、放映日が来るまで気が気でならず生きた心地もしませんでした
そうなんです、こういう七五調の、ビシッと決まったセリフがスカッとして
わたしは大好きなのですが、皆様はいかに。
今日は創立時から22年間、ポルトに在住していた子供たちと学んだ補習校時代の思い出話です。
週に一度の我が職場、中1の子供達と一緒に児童文学作家吉橋道夫氏の「ぬすびと面」という話を読んだときのことです。
狂言の面打ち師が、これまで誰も打ったことが無いという「ぬすびと」の面をどうしても打てないでいる。このぬすびと面は、狂言の内容からして、「どこか滑稽で間が抜けており、それでも一目見ただけで人を震え上がらせるような顔」でなければならない。
そんなある夜、面打ち師の家に恐ろしい顔をした盗人が押し込む。しかし、どういうわけか、物は盗らず、代わりに赤ん坊を押し付けて行ってしまう。うむと気張った恐ろしい顔の裏に、もうひとつの別の顔があるような気がして、「これや、この顔や!」とその時の盗人の顔をしっかり記憶に刻みこんだ面打ち師は、ようやくノミを振り上げ面を仕上げる。
壬生大念仏狂言の始まるその日に、竹矢来を組んだ特別の場所に、牢屋敷の囚人達も集められると聞き、面打ち師とその女房は、もしかしたら件の盗人もその中にいるかもしれぬ。それなら一目、無事に自分達に育てられている子を見せてあげようと連れて行く。
ところが、肝心のその盗人は、チラとこちらをみただけど、何のかかわりもないという顔をして、うむと気張って座っている。
拍子抜けした面打ち師が役人にその盗人のことを訊ねると、「ちょいと、変わったことをやりよって。」盗んだのではなくて、間引きされそうになった子供を助けて、育ててくれそうな家へ無理矢理押し付けて配って回った、とのこと。
面打ち師は改めて、この世の、どうしても許しておけないことに対する、盗人の、怒りを込めて人々を睨みつけている顔を見、もう一度「ぬすびと面」を打ち直そうと思う。(要約spacesis)
ざっとこういう話なのですが、さて、時代物の物語の中に、海外で生まれ育つとどうしても耳慣れない言葉が出てくるわけでして、「狂言、竹矢来、奉行所、間引き」などがそれです。
説明が「奉行所」に及んだとき、「今で言えば警察ですね。」と一言で終われるものを、亡くなった母の影響で子どもの頃は時代劇や講談が好きだったわたし、話の成り行きで、ついついお奉行様までいってしまいました^^;
お奉行様といえば言わずと知れた遠山の金さんこと刺青判官!海外に在住する子どもたちのほとんどは、現代物の日本マンガやビデオアニメは見るものの、時代物はまずなく、当然知るわけがございません。そこでわたしはインスタント講談師に(笑)
着流しで市井にその身をしのばせ、悪漢どもを退治。最後はお見事、片肌脱いで
「えぇぇい、往生際の悪いヤツめ。この桜吹雪がお見通しでぇい!」とご存知18番。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/39/d5b0d8ce38df7abebe5eb2eeed18a037.jpg)
2009年子供たちと一緒に行った日光江戸村でのシーン
大丈夫、大丈夫ですってば。なんぼなんでもこのわたし、片肌脱いだわけではありません。
で、最後が「これにて一軒落着~。」と終わるのです、と講談が終わったところで、ジリジリーと授業終了の鐘も鳴りました。
すると、ポルトガル生まれでポルトガル育ちのY君、「学校に遠山の金さんのビデオないの?」と来たもんだ。うん、分かる分かる、その気持ち。見て見たいもんだよね。残念ながらまだ日本でその番組が放映されてるかどうかも、分からなかった。
○HKの大河ドラマは古いものではあるけれど、結構そろっているたものの、あれを見こなすのは、彼らには少し難しい。しかし、毎回のストーリーもほぼ同じで筋を追いやすく、勧善懲悪の時代物というのは、この「遠山の金さん」を始め「銭形平次」なども、痛快でここにいる子供にも受けるのではないかと思うのは、わたしだけだろうか。
かつて、我が娘に、「任侠清水の次郎長、森の石松、金毘羅代参」三十石船のくだりを話し聞かせたことがある。
♪ 旅ゆけば、駿河の国に茶の香り~と始まる広沢とら造の浪曲、
相手を石松とは知らぬ客、清水一家で一番強いのを忘れてたと石松の名をやっと最後にあげる。内心大喜びの石松。
石松「呑みねえ、え、オイ。鮨を食いねえ。江戸ッ子だってねえ」
客「神田の生まれよ」
石松「そうだってねえ、いいねえ。……ところで石松ッてのはそんなに強えか」
客「強いのなんのって、あんな強いのは二人とはいめえ」
石松「おい、いくらか小遣をやろうか。……なに、あるのかい。
そうかい。そうかい。 ふーん、石松ってのは、そんなに強いかえ」
客「ああ、強え。強えは強えが、しかし、あいつは、少々頭のほうが
薄いときてる」
石松「なに……頭のほうが薄いだと」
客「馬鹿だよな。みんないってるぜ。あのへんの子守りでさえもが唄って
るぜ。聞いてみな。東海道じゃ一等バカだ」
石松「馬鹿だとねエ。べらぼうめ。へッ。どんな唄か聞かねえが、お前さん、
その文句知ってるのかい」
客「知ってるともよ。聞かしてやるか」
♪ お茶の香りに東海道、清水一家の石松はしらふのときはよいけれど、お酒
呑んだら乱れ者、喧嘩早いが玉に庇。馬鹿は死ななきあ、なおらない~
やはり彼女も面白がって、その映画を観てみたいと言ったものである。その語呂合わせ、リズムの痛快さに、カッコいいと心弾ました子供の頃の自分をY君や我が娘にチラと重ねて見たような気がしたのでした。
ここまで書いて思い出したことがあります。
昔、ポルトのテレビ局が取材に来たときのこと。
その日は日本の知人が送ってくれた「声に出して読みたい日本語」を子供たちに紹介しがてら、中の「白波5人男」の一人、弁天小僧菊之助が泥棒の正体を現し開き直って言うセリフ。子供らを前に、
知らざぁ言って聞かせあしょう。
浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の
種は尽きねぇ七里ガ浜ぁ。
~~~(略w)
名さえゆかりの 弁天小僧菊之助たぁ、おれがことだぁ~あぁ。
と、歌舞伎調で、首も振ってジェスチュアーよろしくやっていましたら、ギョ !廊下からカメラがジィ~ッと回っていたのに気づき、赤くなったり瞬時青くなったりして大いに困った経験があります。
幸いその場面は放映されず、数秒のインタビューが出たのでよかったものの、放映日が来るまで気が気でならず生きた心地もしませんでした
そうなんです、こういう七五調の、ビシッと決まったセリフがスカッとして
わたしは大好きなのですが、皆様はいかに。