ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

あの頃ビア・ハウス:「Auf Wiederseh´n 1(アウフ・ヴィーダーゼン)

2018-03-27 19:27:21 | あの頃、ビアハウス
2018年3月27日
    
♪ Auf Wiederseh'n,Auf Wiederseh'n,
  bleib nicht so lange fort
 denn ohne dich ist's halb so scho:n,
darauf hast du mein Wort.
Auf Wiederseh'n,Auf Wiederseh'n,
das eine glaube mir,
nachher wird es nochmal so scho:n,
das Wiederseh'n mit dir.

「アウフ・ヴィーダーゼン」とは、日本語の「さよなら」という意味である。
梅田アサヒビアハウスは6時から9時半までの営業時間内で、3度の30分のステージがあり8時半が最終ステージ。その最後のステージで先輩の歌姫、宝嬢とデュオで必ず歌ったのがこの曲だ。
       
アサヒに数あるドイツ音楽の中でも、わたしはこれがとびきり好きだ。ビアホールで見知らぬもの同士が、いつのまに肩たたきあい、ジョッキをぶつけあった乾杯し、あるいは大きな5リットルジョッキの回しのみに参加して、陽気に騒いで、最後にこのしんみりした
「アウフ・ヴィーダーゼン」で客のそれぞれが帰路につくのです。


「Auf Wiederséh´n」と歌い始めると、常連のだった、今は亡き土佐氏が必ずや客席から「アウフ・ヴィーーダーーゼーーン~」と合いの手を入れてくれるのだった。最後の歌「das Wiederseh´n mit dir」はゆっくりと盛り上げて別れのナレーションで締めくくる。

「みなさま、本日は当店アサヒ・ビアハウスにお越しくださいまして、ありがとうございました。本日のステージはこれにて終わらせていただきます。みなさまのまたのお越しを心よりお待ち申し上げております。アウフ・ヴィーダーゼン!またお会いしましょう!」 
    
この語りで一日のステージが終わるのであった。
1977年12月、足掛け4年のステージを通じて、アメリカ移住資金調達を達成したわたしは、これまでのOL生活にも、そしてこの愉快なビアハウスの歌姫生活にも別れを告げ、翌年1月、いよいよ長年の夢であったアメリカ移住への第一歩を踏み出したのだった。同時に、日本で出会った、後、夫になるポルトガル人の恋人ともとりあえず別れていくのでありました。

下記、英語版「アウフ・ヴィーダーゼン」こと「We meet again」です。


                   
アウフ・ヴィーダーゼン2に続きます。


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