~チャリに芝居さ人生ゆるよろと~

2014年夏の北海道一周チャリ旅を機に始めたブログ。目標の自転車細切れ日本一周や訳詞、芝居などを記事にします。

オホーツクよ達者でな(017)

2014-07-26 07:00:00 | 自転車、芝居、平和
7月24日
羅臼を出発。今回は知床の観光はなし。相泊へも寄らず、4年ほど前に妻と泊まったお気に入りの宿ラウスクルにも泊まらない。また妻と来る。
今日の終着地は別海町民宿。快調に走った。平均時速19.5キロは最高記録。特に中標津のひたすら牧場が続く道は適度なアップダウンで、風もなく、力をあまり使わずペダルの回転で進んだ。平坦は却って飽きる。因みに昨日の峠越えの平均時速は13.0キロ。下りが急でブレーキ掛けっぱなしは勿体ない。

中華そば屋併設の民宿でニラレバ炒め食べたいって言ったらメニューになく材料買いに行ってくれた。餃子と共に半月ぶりに中華で燃料補給した。こういうの時々食べたくなるんだよね。

7月25日
朝出ようとしたところでトラブル発生。後輪のスポークが一本折れている。自転車屋はないけど小泉機械店が自転車も扱っているそうで直行。ご担当の出社を小一時間待ち、いざ。「サイズがないかな」にはヤバいと思ったが、何とか見つかり修理完了。

出発が9時過ぎてしまったが予定の根室を目指す。困難な坂は少なく駅前の宿到着が13時半。駅前閑散。サイドバックを預け身軽になって納沙布岬へ。

日本の東端制覇は大袈裟か。今日から太平洋だ。
宿に戻って今日は外食。宿に聞いた店は大正解。炉端焼きの郷土料理を食す。外食もまた楽しい。

囲炉裏を30年守る女将さんとの無駄話も良質の肴。105キロ走行の疲れを癒やす。

そうそう、小泉機械店ご担当を待ちながら花子とアンを久々に見た。大転回だね。

では、ごきげんよう。



雨の知床峠越え、そして鷲の宿へ(016)

2014-07-24 07:01:58 | 自転車、芝居、平和
7月23日
ウトロは午前は雨の予報ではあるが、幾分か明るくなってきたので9時半に出発した。羅臼側は明日も雨の予報なので、ウトロに連泊したところで状況に大きな違いはない。

登り間もない自然センターで熊避けの鈴を仕入れた。本来は鈴の音は好まないが、親子熊の目撃情報があり安心策を講じた。熊の時速60キロには太刀打ちできないもの。当方カラコロ、ゼエゼエと時速7キロ程度です。
それでも2時間強、ライダーや車からのエールに励まされ、峠Pまで100mの案内板が目に入ったときには思わず歓喜の雄叫びを洩らしてしまった。


峠は雨とガスで視界不良だけど、今回の完走の視界が開けた瞬間だった。ん? ちと気が早いか。

で、今晩の宿だ。羅臼にする。
候補二つが満室で「鷲の宿」に決め、早めに到着するも宿には誰もいず、勝手に入って待つこと二時間。圏外で連絡もつかない。
待ってて分かったこと。
この宿の前の沢には島梟がやって来て、それを撮影に来るプロやアマが常宿にしていること。島梟はアイヌの神様で絶滅危惧種だよね。日本に140羽しかいなくて半数が知床にいるそうだ。
ということは、今晩自分が島梟に遭遇する可能性があるということで、思わぬチャンスが巡ってきた。

今晩は酒どころじゃない、いや、呑みながら待つ。結果や如何に。

食事を済ませ待機すること30分弱。

来た!!
しかも二羽。

大きく優雅。
でも、残念ながらスマホじゃ無理だ。
翼を広げ飛来し、着地して閉じるときの二羽の正に神々しい雄姿を拝ませてもらった。肉眼では表情までは見えない。
同宿の広島の老バードウォッチゃーは念願かなって感嘆の表情。常連のカメラマンは「初めて来て、しかも二羽に遇えたのは超ラッキーなこと」と仰る。
峠越え記念日の素敵なプレゼントと相成った。神様有り難う。

では、ごきげんよう。




しゅう長の家(015)

2014-07-23 07:00:00 | 自転車、芝居、平和

7月22日
今日はウトロまでやって来た。いよいよ知床峠だ。これを越えると後半に入る気分。
宿は写真のしゅう(漢字が出ない)長の家。文字通り宿の先先代が阿寒アイヌのしゅう長だったそうだ。その娘さんがこの人。

料理やアイヌの説明の後、ムックリの演奏をしてくれた。
食事の前に隣接の民芸品店を覗いたら彼女が居て暫しアイヌの歴史談義をした。と言っても僕は詳しい訳でもないけど、シャクシャインや萱野茂さんのことは知ってたので話が合った。
彼女はアイヌ語は話せないけど母親から針と糸を引き継いで宿は息子が仕切っている。
ブログで触れた松前城の展示のこと(アイヌの一揆の弾圧に加担したアイヌ人が英雄として描かれていることの不条理)には心を痛めていて、更に詳しく説明してくれた。
狩猟民族に形ばかりに土地を与えても簡単には農耕生活に切り替えられないこと。政府のアイヌ政策が未だに不十分なこと、琉球人とアイヌ人の相似についてなど。
横浜に住むイギリス人家族が店に入ってきたので、アイヌが先住民で日本に征服されたことの説明を少し手伝った。日本語でね。

明日の天気予報は雨。さて、どうしようかな。

では、ごきげんよう。



網走到着、太陽がいっぱい(014)

2014-07-21 22:18:50 | 自転車、芝居、平和

7月21日
湧別からの道中は向かい風の歓迎を受けて漕げどもままならず。早々に予定を変えて網走泊にした。

風は強いが陽射しは強い。
で、写真は網走手前の常呂(ところ)の農家の太陽光パネル。都会と違って土地があるので屋根に乗せない家が多いのかな。
1枚200Wとして44枚あるので、ざっと8.8kw/hの能力かな。これを自宅、温室、倉庫などで使っているのでしょう。因に我が家のが2.75kw/h。
17日にトシカの宿で一緒だったAさんが設置の仕事やってて常呂もテリトリーって言ってたからこの農家のも自分の仕事かもしれない。

余れば売電するのだけど、買取り費用は各家庭の電気代に上乗せされてる。原発の誘致関連費用が上乗せされてるのに比べればまだ許せるけど、非導入家庭が導入家庭に買取り費用を支払っている様は何やら矛盾を感じる。


そこで、こんなのはどうかな。

20ワット革命と称する。パネル、コントローラ、バッテリーの三点セット。PARCの講座で手に入れたんだけど、これでもスマホやシェーバーの充電はOKだ。何より仕組みがよく分かるようになった。
猛者は多く、能力上げて電力会社とサヨナラした人もいる。蓄電能力が上がれば更に猛者は増える。

今日はチャリと関係なかったけど、たまには良いかな。

明日はウトロを目指す。
あ、そうそう。
18日が実は1000キロ記念日だったんだ。今日までで1280キロ走行。半分まで来たかな。知床越えないと実感わかないけど。

では、ごきげんよう。



人との出会いが旅の醍醐味なのかな、やっぱり(013)

2014-07-21 08:00:00 | 自転車、芝居、平和

7月19日
トシカの宿を発って98キロ。まあそこそこに頑張って到着したのが雄武(オーム)町の日の出岬キャンプ場。今日は一昨日の初山別同様のキャンプもどき。
いやあ、ガスがかかって日本海の夕日に続きオホーツクの朝日も拝むことはできなかった。
しかも、隣接ホテルの夕食時に隣の夫婦に「いいですね、ご夫婦で 」って言ったら、迷惑そうに「そうですか」って返されちゃった。二人で何にも喋らず食事してたからヤバイとは思ったんだけどね。

ところが翌朝炊事場でニイハオって声掛けたら上の写真のとおり。北海道を2週間オートキャンプで回ってる台湾家族と交流した。原発反対に共感する自然大好き2家族。ホテルを一切使わないんだって。

子供もやって来てご覧のとおり。
ピースサイクルで来年3月に訪台するかもしれないって言ったら、会えるかもねって。
走行98キロ。

7月20日
キャンプ場出るのが遅くなって予定のサロマ湖に辿り着けず湧別(ユーベツ)町の民宿泊。そこで森林保安系の仕事する好青年に出会った。

僕の住む横浜出身の若者で、独立して今の仕事をしてるんだって。しかも、15日に岩尾の旅館で出会いおしゃべりした6人と同業者で知り合いらしい。世の中狭いね。
宿には珍しい豚しゃぶ食べ放題で液体燃料も十分いただいた。
走行70キロ。
明日は100キロ目指す。

では、ごきげんよう。