「弥生時代」は、中国統一を成し遂げた 秦・魏 の 全盛期です。 勢力争いに敗れた民族が、新天地を求め 海外脱出 した事が、容易に想像できます。 それが「魏志倭人伝」に記された 邪馬台国 の一族なのでしょうか?
〚 朝鮮半島を渡り、農耕に適した陸地(日のいずる国)を目指し辿り着いた。そこで、穏やかな暮らしを続ける「縄文人」を、軍勢・武力 で制圧し 新たな 国家(邪馬台国)を造った 〛 それが真実ならば、日本史の根本が覆ります!
◎「縄文犬」=「アイヌ犬」
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“大政奉還” & “明治維新” の経緯は、専門家でも正確に答えられないと思います。 どうして 500年前の歴史を説明できても、150年前の近代史が曖昧ないのか? 何か、解明してはならない “不都合な真相” があるのではと 疑ってしまいます! 大政奉還は、開国を迫ったアメリカ合衆国の “黒船襲来” が 原因なのでしょうか? 「このままでは 軍事力でアメリカの植民地にされる」 それを恐れた「徳川 慶喜」は、あっさりと “大和朝廷”(天皇)に政権を移行した。 それとも、幕府に反旗を掲げた “新政府軍” の策略だったのでしょうか? 真相は、闇の中です! 明らかなのは、新政府軍を支援した、“海援隊” の「坂本 龍馬」です。 時のスターの如く現れ、人心を掌握する原動力になった人物です。 しかし、イギリス?の支援を受け 目立ち過ぎた「龍馬」は 敵が多かった。 “池田屋事件” では 辛うじて殺戮を逃れたものの、その後 何者かによって 暗殺されています。 下手人は、京都の治安警察「地回り」なのか、新選組一の剣豪「沖田 総司」なのか 、‟乱世” における ‟謎” です!
蝦夷(現・北海道)に辿り着いた幕府軍:“新撰組” の動きは、地元と言う事もあり 多少 知識があります。 新撰組を率いた総長「近藤 勇」は、関東での戦いで 新政府軍に捕まり処刑(首切)されています。 総長亡き後、副長の「土方 歳三」が 新撰組の指揮を代行しています。(男気で知られる “鬼の副長” です)
関東で劣勢に立った新選組は、新政府軍に追われ 蝦夷の箱館(函館)に向かうも、軍力の差は大きかった。 止む無く、軍艦数隻と “開陽丸” で 江差に向かった。 戦略 と 体制 を 立て直す為でした。 しかし 1868年の冬、暴風雪が原因で ‟座礁” してしまった。 まもなく ‟開陽丸” は 江差港で 沈没 した様です。 頼みの “開陽丸” を失った「土方 歳三」と 艦長の「榎本 武揚」は、心底 落胆したと言われています。 その後 別の軍艦で箱館に戻ったものの、新政府軍の優位は変わらず「土方」は、あえなく 敵兵の銃弾を受け 戦死 しています。 新天地を蝦夷に求めた “幕府軍” の日本で最後の内戦:戊辰戦争 は、‟新選組” の敗戦をもって終焉しています!
これが、歴史の片隅に埋もれた真相でしょうか? もし 開陽丸が沈没せず、新選組「土方」が あと一年生き延びていたら、蝦夷地の歴史が大きく変わったと思います。 戊辰戦争は、‟新政府軍” と ‟新選組” の戦いではありません。 幕府軍(徳川幕府)と 新政府軍(明治政府)の戦いです。 力が衰えたと言え、幕府軍は強かった。 特に ‟会津藩” と ‟庄内藩” は、新政府軍と戦う為に ‟ドイツ” から莫大な軍資金の援助を求めていたのです。 しかし、その目論見は「土方 歳三」の死と、‟戊辰戦争” の敗戦で頓挫した様です。
疑問は 内戦のどさくさに翻弄され、アメリカ・イギリス・ドイツ の侵略を、新政府軍は 忘れていたのでしょうか? ‟新選組” の抵抗が 一年以上長引けば、日本は 他国から狙われる立場だったのです! ‟お粗末” どころか、余りにも 国は ‟無防備” でした。 新政府軍が目指した ‟明治政府” は、かの国の ‟植民地” になったかも知れません。
“明治維新” は、不可解な動向が多過ぎます。 どうして、新撰組 と 新政府軍 の戦いが 蝦夷地で繰り広げ、そのまま “新政府軍” は 北海道に居座ったのか? 新政府軍の策略が、蝦夷地略奪 だとしたら “戊辰戦争” の正当性が問われます! 一体 「土方 歳三」率いる新撰組は、命を懸けて蝦夷地を守ったのか? それとも、明治政府の策略に乗ってしまったのか? どちらにしても、アイヌ民族の聖地・蝦夷 を標的にした “都合の良い略奪” です!
戊辰戦争で日本の軍事力を誇示し「北の大地(蝦夷)を奪い取った」 どこに大義があるのでしょうか? 徳川幕府は、“北前船” の寄港地として蝦夷を物流の拠点として位置付けていたのです。(鎖国時の大事な貿易港として)
「泰平の 眠りを覚ます上喜撰(蒸気船) たった四杯で 夜も眠れず」 黒船来航で目を覚まし、持てる軍事力で 弱い ‟アイヌ民族” を威嚇し 攻め入る。 余りにも、安易な発想です。(アメリカ人に勝てないが、アイヌ民族には勝てる) 武家政権:600年の ‟戒め”(人道)を、いとも簡単に破ってしまったのです! 一体全体、誰が ‟利益” を得たのか?
明治政府設立で失職した諸藩の下級武士を、次から次へと北海道に追い遣ったのは事実です。 “屯田兵” として ‟開拓団” として、未開の大地を開墾する様に政府が指令したのです。 要するに、不平不満分子の追放(厄介払い)でした。 その末裔が我々道民ですから、明治政府を安易に批判出来ないと承知しています。 しかし 150年経っても、過去の亡霊(軍国主義)に支配されるのは ご免です。 現在の日本は、世界屈指の “民主主義国?” です。 近代史を振り返るのは、自由だと思います!
“大政奉還” & “明治維新” で活躍した「徳川 慶喜」「坂本 龍馬」「西郷 隆盛」「勝 海舟」「板垣 退助」「伊藤 博文」「岩倉 具視」「近藤 勇」「土方 歳三」「榎本 武揚」 それぞれ、日本の将来を憂いた方々です。 ただし、日本を “軍国主義” に導いた人物が 確実に居ります。 そして、侵略戦争(領土拡大)に舵を切った!
果たして「坂本 龍馬」の志は、明治政府に受け継がれたのでしょうか? 残念ながら、新政府軍(明治政府)に都合よく担がれたと思います! 「日本の夜明けは近い」 「龍馬」が言う “日本の夜明け” は、明治政府が歩んだ “軍国主義”・“侵略戦争” の道ではないと思います。
◎「坂本 龍馬」(明治維新の第一人者)
「坂本 龍馬」は、欧米の ‟民主主義”・‟経済立国” を目指した ‟志” が高い人物と信じたい。 その後の ‟明治政府” は、‟軍国主義” と ‟侵略戦争” の 明け暮れ でした。 「龍馬」の言う「日本の 夜明け は近い」と、‟正反対” です!
“泥棒”は、犯罪です! 子供でも他人の物を盗む事は、いけない(悪い)と分かっています。 “墓泥棒” と名指しするのは、事もあろうに日本各地の ‟国立大学” です。 ‟アイヌ人の墓”(土葬)を無断で掘り起こし、無数(1,600体)の頭蓋骨を持ち去ったと言うのですから 呆れます。 犯人は大学の職員か、依頼を受けた一般人か、定かではありません。 ただし、その目的は明らかです。 ‟アイヌ人” と ‟日本人” の遺伝子を分析し、縄文時代からの ‟血脈” の有無を調べたかったのです。 要するに「北海道(蝦夷地)は、縄文時代から日本固有の領土」と、アイヌ人の血脈を DNA によって証明したかったからです。 しかし その思惑は、あらゆる大学で研究を重ねても解明できなかったのです!
問題は ‟北大”・‟東大”・‟京大” が、独自の判断でアイヌ民族の遺伝子を調べたのか、疑問が残ります。 果たして、“墓泥棒” に 何のメリットがあるのか? エジプト の ピラミッド 盗掘ならば、研究価値が有るかも知れませんが、一アイヌ人の骨に価値が有るとは思えません。 強いて言えば、国が ‟日本の歴史” を書き換える為の暴挙です。「蝦夷地は 日本の先祖が開拓した。それを、科学的に証明て欲しい」 命令に応じた各大学は 、‟墓泥棒” を苦渋の思いで 選択したと思います。 いくら研究の為でも、墓泥棒 は許されない行為です!
◎ ‟蝦夷地”で生きて来た「アイヌ民族」
2018年12月、“NHK・ETV特集”「明治維新から150年、北の大地に生きてきたアイヌ民族の苦難の歴史」で、アイヌ人の遺骨を北大から返還する先住民族アイヌの儀式が放映されました。 それは、戦争で散った邦人の遺骨返還とは、様相が異なるものでした。 当然です。 盗掘された 遺骨の返還です。「ご先祖様の遺骨を返してくれて有難う」と、言う筈がありません。 明らかに、北大側は “針の筵”(弁解の余地なし)状態でした。 北大を代表して儀式に参加した副学長は、首を垂れる事なく立ち竦んでいました。 そんな中、アイヌ民族の代表者は「謝罪しろ!」と一括しました。 決して、厳しい言葉ではありません。「申し訳ありませんでした」 その一言で許すと言っていたのです。 それでも 頭を下げず、儀式から立ち去ったのです!(過去の不祥事とは言え、礼儀を知らない “子供の使い” の様でした)
現在、北海道在住のアイヌ人は 把握している数、おおよそ 13,000人(2017年調べ)です! 間違いなく、‟旧土人保護法” の同化政策で、アイヌ民族は ほぼ滅びてしまった。 いや 日本国籍を与えられ、 身を隠す様に 日本(道外)や 海外 で 生き続けているのです。 故郷を追われた ‟アイヌ民族” の悲しい現実です!
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新聞によると、日本各地(北大・東大・京大など)に保管されているアイヌ人の遺骨 “計1,600体” を、盗掘された地域のアイヌ人に返還する手順(ガイドライン)を政府が示した様です。 返還時のトラブルを考え、政府が一定のルールを設けたのです。 何故、明治時代から続けて来た “墓泥棒” の不祥事を、今になって清算しようとするのか? 勿論、“東京オリンピック”の為です!
2007年、国連で採択された「先住民族の権利に関する宣言」の中に、‟遺骨の返還” が盛り込まれているからです。 何も、アイヌ民族に対する政府の “思いやり”(人道)では無いのです。 ‟蝦夷地侵略” の正当性?を、世界にアピールする姑息な ‟パフォーマンス” です! 「遺骨は返しますが、土地も資源も返しません」それでは、国連も 世界も 認めません。
果たして 「尊厳ある慰霊」(遺骨返還)が、短期間で成し遂げるられるのでしょうか? 事は、簡単に治まる筈がありません! アイヌ民族への “屈辱” を、アイヌ文化に基づく地方振興(ウポポイ建設)で、癒す事は出来ません!