エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

“冬将軍”由来は「ナポレオン」

2019-12-17 22:27:42 | “現代医学の功罪” 関連
北国に住む我々は、“冬の嵐”を“冬将軍”と言いません。 その理由は、将軍が誰なのか? 「源 頼朝」なのか「足利 尊氏」なのか「徳川 家康」なのか、分からないから使う事に躊躇します! 案外、暖かい地域に住む方々の“厳しい冬のイメージ”かも知れません。

余の辞書に不可能という文字はない」 フランスの英雄「ナポレオンボナパルト」が、ヨーロッパを制覇した時の 勇ましい格言です。 当時のフランス軍は、本当に強かったと思います。 100万を超える兵士と 武器弾薬の数は、他国を圧倒していた様です。 しかし、“軍力で成り上がった将軍”には 終わりがあるものです。
1812年、破竹の勢いでロシアに攻め入るも 広大な土地と寒さに阻まれ、戦闘の前に兵士の疲労と食料不足が、限界に達していたそうです。 それに追い打ちを掛けたのが、ロシア最強の寒波(冬の嵐)でした。 戦地モスクワを目前に、フランス軍は凍死者・餓死者が続発し、戦わずして撤退を余儀なくされたのです。 「行くも地獄・戻るも地獄」 正にナポレオンの権威は、冬の嵐によって挫折したと言っても過言ではありません。 母国に帰還する気力も体力も萎え、食料として軍馬20万頭を食べ尽し、それでも生きて帰れた兵士は、(出発時)80万人から(帰還時)5,000人と、英雄「ナポレオン」の華々しい勇姿はそれまででした! ナポレオンの活躍した期間は24歳から10年弱で、ロシア戦以降は孤島に幽閉(軟禁)され、失意のまま61歳の若さで人生を終えた様です。

◎ 全盛期のナポレオン(肖像画?)

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 誰が名付けたのか、“冬将軍”の由来は“ナポレオンのロシア侵略失敗”を 物語るものです。 冬の嵐は、将軍・ナポレオンより恐ろしいと言う事です。 そんな歴史を忘れ、再びロシア侵略を試みたのが、かの有名な「アドルフ・ヒットラー」(ドイツの総統)です。 軍馬から戦車の時代に替わっても、ロシアの“冬将軍”に敵わず、ドイツ軍が大敗したのは事実です。 
日本でも 1894年、日露戦争を推定し陸軍が青森県の八甲田山で雪中行軍を慣行した最中、突然“冬将軍”に見舞われ 参加者210名中 199名が死亡(凍死)したのは、紛れもない事実です。 何れも、冬の恐ろしさを知らない指揮官の判断ミスが、大勢の死を招いたと思います。 しかし 軍隊・戦争は別にしても、北国の冬(特に冬の嵐)は一歩屋外に出ると、命に係わる危険に満ち満ちています!      

“冬将軍”・“冬の嵐”を強調しましたが、季節が冬に限定される訳ではありません。 2009年7月16日(夏?)大雪山系・トムラウシ山で、登山客とガイドの 9名が、低体温症で亡くなっています。 原因は、ガイドの経験不足と判断ミスだと思います。 よもや 夏山で凍死とは、運が悪かったとしか言い様がありません。 
ところで、「矛盾脱衣」と言う言葉をご存知でしょうか? 体温が下がった時点で 体の“生命維持機能”が働き、体温低下を阻止しようと“熱生産”を高める生体現象です。 その結果 極寒にも拘らず、暑いと錯覚し衣服を脱ぎ捨てようとするのです。 医学的に原因は解明されていませんが、アドレナリンの異常分泌による幻覚作用、又は体温調節中枢の麻痺による異常の様です。 日本では過去に37件の事例があり、服を身に着けない状態で発見される 不可解な事件?事故?があります。(推理小説やテレビドラマで、何度か紹介されている) 勿論 全員が死亡し、真相は闇の中です。  思うに 凍死する間際、常夏の世界にいると錯覚し“夢心地”で天に召されるのでは? あくまで、推測(想像)の域ですが!


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