悲劇を乗り越えるには
3月10日の中日新聞社説は、3.11から9年を迎え、悲劇を乗り越えるためには」と題して論じた内容に感銘をうけたので紹介します。
今年2月現在、避難している人は約4万8千人。震災の影響はまだまだ続いています。被災地では「震災を忘れないで」という声をよく聞きます。
希望はあるんですか
東京電力福島第一原発事故を題材にした映画「フクシマフィフティ」が六日から上映されています。刻々と悪化する事態のなかで頑張る吉田昌郎所長や東京電力の社員の様子を描
明日は今日より悪くなる。そんな不安を抱いた日々を思い出します。映画で初めて、あの日、原発で何が起きていたかを実感する人が多いそうです。
印象的なシーンがありました。
主役の一人、伊崎俊夫当直長の回想シーンです。原発建設現場で父親が「ここでつくった電気が東京へ行くんだ。すごいだろう」と語って聞かせます。東京の役に立つことが誇りでした。
映画はほとんどが原発敷地内で進行します。指示を出す政府にも東電本店に、事故後の福島県民を気遣う様子はありません。地元紙の記者が「原発には希望があるんですか」と質問し辺に住んでいた人たちはどうしていたのでしょうか。
「無念」というアニメ映画を紹介しましょう。副題は浪江町消防団物語。浪江町は原発の北隣の町です。実話に基づいたアニメで、馬場有(たもつ)町長や町民らが声で出演しました。映画は、祈るような姿から始まります。それを見た子供がなにをしているのと「母親に尋ねます。「助けられなかった命にお詫びしているの」と母親がいうと「四年間も毎日」と子供が驚いた声で言いました。
震災の日、被害者の救助は日没で困難になりました。何かをたたく音を聞いた消防団員もいました。翌朝、捜索が開始されるはずでした。
しかし、原発の様子がおかしくなりました。夜明け前、馬場町長が「車の中から非難を呼びかけてください」と消防団に頼みます。反発する団員に「(原発が)あぶないかどうかわかりません。全く向こうの情報はありません。テレビの情報から判断しました」と告げます。その後、涙を流す町長が描かれています。
原発は東京へ電気を送るためのものでした。事故が起きると地元住民は置いてきぼりだったと、二つの映画は教えてくれます。
軍事と造作をやめろ
今回の震災は千年に一度、とよく言われます。福島県の沿岸部、浜通りにとっては都に尽くしたのに見捨てられるのは、千二百年前の平安時代にもあったのです。(これには驚きです)朝廷は蝦夷征伐を繰り返し、東北地方で勢力圏を広げました。それを支えたのが浜通りの製鉄で、当時、国内最大でした。福島県内の製鉄関連遺跡は五百を数え、浜通りには
製鉄所遺跡が二百八十もありました。
蝦夷との戦いは突然、終わります。桓武天皇が二人の参議に「徳政相論」と呼ばれる議論
を行わせ、藤原緒嗣(おつぐ)の「天下が苦しんでいるのは、軍事と造作である。この二大事業をやめさせれば、人民は息をつなげるであろう」という意見を採用したのです。軍事は蝦夷との戦いで、造作は平安京の造作です。
蝦夷との戦いは後に三八年戦争と呼ばれるほどの長期戦でした。また、これを機に遷都をやめたことで、京都は千年の都になりました。
一方、戦争を支えた浜通りは歴史から消えます。必要がなくなれば忘れられる。まるで使い捨てです。その後、貞観地震で(869年)で浜通りにも津波が襲ったのですが、記録はありません。もしあれば、今回の地震被害は違ったのではと思わずにはいられません。遺跡調査から、製鉄業は衰退したものの、継続していたことがわかりました。三十八年戦争後は独自の改良をし、農具費を生産したようです。地元のために技術が使われたのです。
再生可能エネルギー
原発事故後、福島県では原発に代わって再生可能エネルギーが盛んになりました。地産地消を狙っています。武器から農具へ変えた古代、原発に変えて再生エネという現代。ちょっと似ていませんか。被災地の多くは復興の途上です。廃炉に時間がかかり、除染土を運ぶダンプカーが目立ちます。藤原緒嗣のいう「天下が苦しんでいる」状態です。被災者、被災地のことを忘れてはいけません。
軍事と造作は、今なら膨らみ続ける防衛費や、東京五輪、大阪万博、2030年開催を目指す札幌冬季五輪と続く大型イベントでしょうか。被災地だけの問題ではありません。千年の国づくりを考え、何が必要で、何が不要不急かを選択したいもんです。
3月10日の中日新聞社説は、3.11から9年を迎え、悲劇を乗り越えるためには」と題して論じた内容に感銘をうけたので紹介します。
今年2月現在、避難している人は約4万8千人。震災の影響はまだまだ続いています。被災地では「震災を忘れないで」という声をよく聞きます。
希望はあるんですか
東京電力福島第一原発事故を題材にした映画「フクシマフィフティ」が六日から上映されています。刻々と悪化する事態のなかで頑張る吉田昌郎所長や東京電力の社員の様子を描
明日は今日より悪くなる。そんな不安を抱いた日々を思い出します。映画で初めて、あの日、原発で何が起きていたかを実感する人が多いそうです。
印象的なシーンがありました。
主役の一人、伊崎俊夫当直長の回想シーンです。原発建設現場で父親が「ここでつくった電気が東京へ行くんだ。すごいだろう」と語って聞かせます。東京の役に立つことが誇りでした。
映画はほとんどが原発敷地内で進行します。指示を出す政府にも東電本店に、事故後の福島県民を気遣う様子はありません。地元紙の記者が「原発には希望があるんですか」と質問し辺に住んでいた人たちはどうしていたのでしょうか。
「無念」というアニメ映画を紹介しましょう。副題は浪江町消防団物語。浪江町は原発の北隣の町です。実話に基づいたアニメで、馬場有(たもつ)町長や町民らが声で出演しました。映画は、祈るような姿から始まります。それを見た子供がなにをしているのと「母親に尋ねます。「助けられなかった命にお詫びしているの」と母親がいうと「四年間も毎日」と子供が驚いた声で言いました。
震災の日、被害者の救助は日没で困難になりました。何かをたたく音を聞いた消防団員もいました。翌朝、捜索が開始されるはずでした。
しかし、原発の様子がおかしくなりました。夜明け前、馬場町長が「車の中から非難を呼びかけてください」と消防団に頼みます。反発する団員に「(原発が)あぶないかどうかわかりません。全く向こうの情報はありません。テレビの情報から判断しました」と告げます。その後、涙を流す町長が描かれています。
原発は東京へ電気を送るためのものでした。事故が起きると地元住民は置いてきぼりだったと、二つの映画は教えてくれます。
軍事と造作をやめろ
今回の震災は千年に一度、とよく言われます。福島県の沿岸部、浜通りにとっては都に尽くしたのに見捨てられるのは、千二百年前の平安時代にもあったのです。(これには驚きです)朝廷は蝦夷征伐を繰り返し、東北地方で勢力圏を広げました。それを支えたのが浜通りの製鉄で、当時、国内最大でした。福島県内の製鉄関連遺跡は五百を数え、浜通りには
製鉄所遺跡が二百八十もありました。
蝦夷との戦いは突然、終わります。桓武天皇が二人の参議に「徳政相論」と呼ばれる議論
を行わせ、藤原緒嗣(おつぐ)の「天下が苦しんでいるのは、軍事と造作である。この二大事業をやめさせれば、人民は息をつなげるであろう」という意見を採用したのです。軍事は蝦夷との戦いで、造作は平安京の造作です。
蝦夷との戦いは後に三八年戦争と呼ばれるほどの長期戦でした。また、これを機に遷都をやめたことで、京都は千年の都になりました。
一方、戦争を支えた浜通りは歴史から消えます。必要がなくなれば忘れられる。まるで使い捨てです。その後、貞観地震で(869年)で浜通りにも津波が襲ったのですが、記録はありません。もしあれば、今回の地震被害は違ったのではと思わずにはいられません。遺跡調査から、製鉄業は衰退したものの、継続していたことがわかりました。三十八年戦争後は独自の改良をし、農具費を生産したようです。地元のために技術が使われたのです。
再生可能エネルギー
原発事故後、福島県では原発に代わって再生可能エネルギーが盛んになりました。地産地消を狙っています。武器から農具へ変えた古代、原発に変えて再生エネという現代。ちょっと似ていませんか。被災地の多くは復興の途上です。廃炉に時間がかかり、除染土を運ぶダンプカーが目立ちます。藤原緒嗣のいう「天下が苦しんでいる」状態です。被災者、被災地のことを忘れてはいけません。
軍事と造作は、今なら膨らみ続ける防衛費や、東京五輪、大阪万博、2030年開催を目指す札幌冬季五輪と続く大型イベントでしょうか。被災地だけの問題ではありません。千年の国づくりを考え、何が必要で、何が不要不急かを選択したいもんです。
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