☆日々是好日☆

最凶・最強~荒波乗り越えどっこい生きてる、🐔のひとりごと

10年

2020-07-11 11:17:05 | 乳がん
またまた長らく放置していたこのブログ。
”乳癌闘病記”として書きだしたのが始まりでした。
その前にも2009年11月からここgooでブログを書いていましたが今はもうありません。
その当時は別の病気の事が書かれていたので、今思えば勢いで退会するんじゃなくもうちょっと考えてもよかったかな~なんて思ってます。
病も色々。その時の事もかなり書いてましたからね。


7月6日月曜日、術後10年目の検査でした

先生の電子カルテには『卒業試験』の文字が

お茶目で楽しい先生だったし、何より信頼できたのでこの10年はもうなんも考えず先生の言う事だけ聞いてやってきましたね。



異変に気付いたのは10年前、2010年6月4日の事

寝る前にサボっていた”自己検診”をした時に?????大きな塊があるやないか~~~い!!
と。

それだけ育つまで自己検診すらしていなかったとはどれだけサボっていたんだよっ!ってな感じですが。


ここのブログにも何度か書いてますががんが見つかる1年半前の健康診断で『乳腺嚢胞疑いあり』との診断を下されたのですが、それが実は癌の始まりで、当時5~8ミリくらいは有ったので、診る人が診たらがんと診断できるくらいだったそうな。。。

読影の先生の見逃しってものでした。


その後はもうね・・・しばらくの間は大変でした。
”塊”を発見してテンパってしまって、病院に電話をした時にうっかり「乳がん”検診””をお願いします」って言ってしまった。
これ、絶対ダメ!!検診だとへたすると2週間後3週間後になってしまうから。
そういう私もそうでした。診てもらえるまで2週間。
もうね、気が気じゃなかったもの。

その時行った個人医院の先生がエコーの後
「何か言ってください」と
「何かって?あの・・・先生何をですか?」
その問いに先生は
「どこか痛いとか、気になる出来物があるとかですね・・・」
ああ、そういう事か!!
「ハイ、胸にしこりの様なものがあるので来ました」
それに対して先生が
「はい分かりました!!胸にしこりね。これで保険適用が出来るから、生検しましょう」
と。
医療費的にも違ってくるんですよ。
その当時離婚直後で収入も少なく非課税だったので、医療費を補助してもらってました。
そのおかげで十分な治療を受けることが出来たのです。
本当にありがたかったですよ。

そして最初に”乳がん”と確定診断を受けた個人医院では手術が出来ないので、そこが紹介してくれた大きな病院があったのですが、その病院は過去に嫌な思いをした病院だったので、医療関係に就いていた従兄に病院を紹介してもらって”セカンドオピニオン”をしたのが今の病院です。

その後、怒涛の検査の嵐


通いでできる検査とそうでないのがあるので先に通いでできるCTやらエコーやらMRIを受けたのですが、そこで4回目にしてCTの造影剤(ヨード)にアレルギー反応が出まして、アナフィラキシーショックを起こしてしまったのです💦

危うく術前に死ぬところだった(^▽^;)

だけど、ここの病院はとてもしっかりしているので迅速に適切な処置をしてくださり、その日のうちに家に帰ることが出来ました。



再度確定診断を受けて、手術まで。

先生に「手術まで何に気を付けたらいいですか?」と聞いたら

「変な健康食品買ったり、壺買ったり掛け軸とか買わないでね(笑)」

”がん”と診断されてどうしても身体にメスを入れたくなくて、切らないで治せないか…とかね。

宗教に走る人も多くないと聞いてます。

宗教を否定はしない。それで心が救われてるならそれはその人の自由だよ。

だけどね、手かざしやお祈りで病気・・・ましてや腫瘍は消えません。

それで私は大好きだったおばさんを亡くしてるから。

享年54歳。手術で完治できるレベルだったけど、手術前日に隣の人から誘われた宗教に傾倒して手術を拒否。

2年3か月の闘病の後亡くなりました。

治療方法は人それぞれだから何とも言えない。
だけどね、治ると言われている状態を放棄するのは違うと思いました。


私の術前カンファレンスの時の事

その当時は離婚翌年だったので、カンファレンスに来てもらえる”家族”と呼べる人は実母だけだったので二人で行きました。

元より危機に直面すると頭吹っ飛ぶ親子。

その時の会話も漫才だったのを思い出します

腫瘍の大きさはわかっているものの、癌細胞がどこまで行っているか切ってみないと分からない状態。
まるまる初期ではなかったから

先生は「女性にとって大事な部分だから、極力残せるようにやるからね」と言ってくれたのに対して
私  「でも、、、残したら再発・・・って事もありますよね」
先生「そりゃね、ゼロじゃないけど、やっぱり残したいでしょ」
私 「いや~もうね、先生!ここは潔くスッパリ全部行きましょうよ!また何かあるの嫌だし私、胸小さいから後ろも前も分かりませんって!ww」
そこにすかさず母が言う
母「あんた~そんな事言うたかて、頭が後ろ向いて付いてる訳やあるまいし、なんぼ胸ないって言うたかて、後ろか前かはわかるやろうに~~~」
私「だいじょうぶやて!顔みたいに見せて歩く場所でもないしや。ええの!ええの」
先生「・・・・・・・まぁまぁ、、、、とにかく最善を尽くすから俺を信じてやってちょーだい♪」

さっきも書いたけど、私も母ももう神経がぷっつり切れて訳わかんなくなってたんでしょうね。

ピンチになるとそれをネタに笑い飛ばす。
まぁこれは今も変わりませんね。

その感覚は息子にも完全に伝染してます(;^_^A


だけど・・・そんなこと言いながらも不安はMAXな日々を送る訳で、、、
今だからこそ言えるけど、子供も小学生だったし自分が居なくなってしまったらどうなるんだろ・・・・

元ダンナさんやうちの両親じゃ子供たちは・・・ってね。

当時のブログが残っていたので読んでみたら、無理して笑い飛ばそうとしてる自分がそこにはいましたよ。

今の私がそこに居たら「お~~~い!無理すんな~~~」って言ってやりたいです。



そして~

手術が7月30日の午前
28日には入院をして、一日がかりの検査を受けてました。
骨シンチやら、なんやらかんやら。


その時に看護師さんから
「入院に関して不安とか心配はありますか?」
の問いに対しても
「ハイ!入院も11回目なのでだいじょうぶです♪」
何てこと言っましたからね😅

その後再建で2度入院することになるので、結果7年の間に8回入院して5回手術を受けてたんですよね~

ある時不安になってあーでもないこーでもない言う私に先生が言ってくれた

「あのね、不安になるのはわかるよ。だけどねネッとで検索しちゃだめよ!ネットなんて不安になることしか書いてないから!俺を信じてやってくれればいいからね」
いやぁ~心強かったですよ。

これでイケメンやったら惚れてたやろ~(ごめん先生💦うそうそ)


看護師さんもしっかりしてて優しくて素敵な人ばかり。
病院食も美味しかったし。
今の家に引っ越してきて、近場の大きな病院と言えば今お世話になってるこの病院なので、時々思います。

きっと私の最期はここだな。。。とここなら幸せだわ・・・と


先日の検査もコロナの影響で検査技師の方も少数精鋭でやっておられたのですが、大変な中笑顔を絶やさないレントゲンの女性技師さんは凄く素敵な方でした。
思わずドラマの『ラジエーションハウス』を思い起こしてしまった私であります。(石原さとみさんと窪田正孝さんのドラマね)

ドラマ『コウノドリ』の撮影現場でもあったらしいです。

私が入院してたのは建て直す前の古い病棟でしたが心地よかったですよ。



10年あっという間でした。

色々あったな・・・・・

もう癌サバイバーも卒業。

これからは今日一日を大切に。ちゃんと生きていきたいと思っています。


たま~に振り返るのも自分への戒めとして悪くはないと思うので、時々振り返りながらだけど前向いてな((´∀`*))





そういえば、場所を変えたらキンギョソが復活しました♪

西日が当たる場所より朝日が差し込む方が良いんだね。






コメント
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