このブログでもごくたまに取り上げてきた、信濃川田駅跡ですが先日、ネットで残っている車両がいよいよ解体されると見たため久しぶりに出かけてきました。
↑2/12撮影。かろうじて解体前に間に合いました。
↓以下の画像は3/10撮影。
ついに鉄くずと化してしまった車両たち。
1000系の片側運転台のみ養生をされ保管されていました。どこかで整備され、保存されればよいのですが。
2000系の形見?のシートが残されていました。
駅舎内に資料が展示されていました。
↓こちらは屋代線廃線直後の信濃川田駅の画像です。まだ架線、ホーム、踏切などの設備が現役のまま残されていました。
この当時も塗装がひび割れていたり、結構状態が悪いようでしたが今よりはよほどきれいです。
屋代線廃線の日、最終列車の後ですでに部品を外され自走不能だった2000系A編成を信濃川田へけん引してきて運命を共にした3500系O1編成。こちらもすでに解体されてしまっています。
最初、小布施の保存車と3500系、2000系A編成が搬入されて「いずれかの日にきれいに整備され、鉄道公園的なものができるのかな?」と期待していましたが、車両のあるものは他所へ移動、保存され、あるものは荒廃するに任せて解体される・・。と四散してしまいとても残念な結果となってしまいまいました。鉄道車両という、大きなものを保存していくことは大変なことなのでしょうが、かさねがさね残念でなりません。
以前撮影した画像がまとまったら、また記事をアップするかもしれません。
↑2/12撮影。かろうじて解体前に間に合いました。
↓以下の画像は3/10撮影。
ついに鉄くずと化してしまった車両たち。
1000系の片側運転台のみ養生をされ保管されていました。どこかで整備され、保存されればよいのですが。
2000系の形見?のシートが残されていました。
駅舎内に資料が展示されていました。
↓こちらは屋代線廃線直後の信濃川田駅の画像です。まだ架線、ホーム、踏切などの設備が現役のまま残されていました。
この当時も塗装がひび割れていたり、結構状態が悪いようでしたが今よりはよほどきれいです。
屋代線廃線の日、最終列車の後ですでに部品を外され自走不能だった2000系A編成を信濃川田へけん引してきて運命を共にした3500系O1編成。こちらもすでに解体されてしまっています。
最初、小布施の保存車と3500系、2000系A編成が搬入されて「いずれかの日にきれいに整備され、鉄道公園的なものができるのかな?」と期待していましたが、車両のあるものは他所へ移動、保存され、あるものは荒廃するに任せて解体される・・。と四散してしまいとても残念な結果となってしまいまいました。鉄道車両という、大きなものを保存していくことは大変なことなのでしょうが、かさねがさね残念でなりません。
以前撮影した画像がまとまったら、また記事をアップするかもしれません。