お早うございます、信です。
季節は昨日から立冬に入っていました。寒いわけだ。
季節は進み11月 霜月は立冬の初候、第五十五候 山茶始開(さざんか はじめて ひらく)になりました。
心配したとおり、山の師匠 錫杖さんと行先が被ってしまいました。
でも錫杖さんは私より10日早いので、ブナ林の紅葉が真っ盛りの頃です。
さてみちのく温泉旅、2日目は山形市内から北へ30分、車を走らせ山寺に行きました。
AM 9:20 山寺駅の近くの駐車場
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立谷川です 春は芝桜で彩られるようです
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丁度、山寺駅に電車が着いて、大勢の人たちが降りてきました
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立谷川沿いのモミジも良い色でした
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川の上流に仙山線の陸橋です
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当山は宝珠山立石寺といい通称『山寺』と呼ばれています。天台宗に属し、創建は貞観二年(860年)天台座主第3世慈覚大師円仁によって建立されました。
当時、この地を訪れた慈覚大師は土地の主より砂金千両・麻布三千反をもって周囲十里四方を買い上げ寺領とし、堂塔三百余をもってこの地の布教に勤められました。開山の際には本山延暦寺より伝教大師が灯された不滅の法灯を分けられ、また開祖慈覚大師の霊位に捧げるために香を絶やさず、大師が当山に伝えた四年を一区切りとした不断の写経行を護る寺院となりました。その後鎌倉期に至り、僧坊大いに栄えましたが、室町期には戦火に巻き込まれ衰えた時期もありましたが、江戸期に千四百二十石の朱印地を賜り、堂塔が再建整備されました。元禄二年(1689)には俳聖松尾芭蕉が奥の細道の紀行の際この地を訪れ、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の名句を残しました。(立石寺hpより)
宝珠山立石寺の入り口
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山寺の登山口です
ここから石段が1,115段続きます
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まず最初に本堂 根本中道にお参りです
現在の根本中堂は延文元年(1356年)初代山形城主・斯波兼頼が再建した、入母屋造・五間四面の建物で、ブナ材が全体の6割程用いられブナ材の建築物では日本最古といわれます。
堂内では、本尊として慈覚大師作と伝えられる木造薬師如来坐像をお祀りし、脇侍として日光・月光両菩薩と十二支天、その左右に文殊菩薩と毘沙門天を拝することができます。
不滅の法灯も守られているようです
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橋殿のお地蔵様 なでさせて頂きました
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虚空蔵様の可愛いお地蔵様
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虚空蔵様らしい風景です
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隣には出羽の国山寺の総鎮守 日枝神社です
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こけし塚
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そして芭蕉翁の登場です
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隣にはsora先輩・・ではなくて 一番弟子の曾良さん
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山門の拝観チケット売り場でしばし行列
殆どは団体客の方でした
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すぐに姥堂です
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弁財天さま
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優しいお顔の石仏です
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百丈岩が見えてきました
この岩の上に開山堂、そして五大堂が建っています
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弥陀洞(みだほら)下の地蔵さま
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あの上へ上がりましょう
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あまりにも有名な「せみ塚」です
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ここで小休止です
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明日は開山堂から五大堂に上がります
撮影日: 11月4日
撮影場所:山形市山寺 立石寺
それでは皆様、ご機嫌よう。
芭蕉の句はあまりにも有名ですね。
先日お参りした姫路の書写山円教寺は、
西の比叡山と呼ばれる天台宗の寺院ですが、
ここ山寺は東の比叡山とも言える古刹ですね。
1,115段の石段・・・きついですね〜。
1昨日お参りした槙尾山施福寺も三十三所で一番きつい参道で、
山道と石段が続き、40分くらいかかりました。
辛い思いをしてお参りすることで、より以上にありがたみを感じられるように思いました。
立石寺は一度訪ねてみたい寺院です。
それにしてもすごい参拝客の数ですね。
参道におられる観音様が参拝者をお守り下さっているようです。
百丈岩の景観がすごいですね。
もうしばらくすればもっと色付いて、きれいな紅葉も見られそうですね。
古刹の静寂感が伝わる参道の風景、苔むした岩肌に見入っています。
続きが楽しみです。
お早うございます。
どうもうちのジジババは貧乏性のせいか、山寺の石段では歩き足りず、隣の面白山渓を歩こうと
この後、車で廻ってみましたが場所が良く分からず、そのまま会津へ移動しました。
面白山は仙山線で隣の駅の面白山高原駅で降りるのが正解なようです。
夏の山寺も良かったですが、秋の山寺も趣があって良かったです。
ただやはり大陸からのお客様が多くて
もう煩くて嫌になりました。
電車かバスで来るのは殆どがあちらのお客様でした。
あまり絵では人は入れていませんが、残念ながら古刹の静寂感とは程遠い、喧騒の山寺でした。
この日は連休最終日だったので、余計に人が多くて閉口しました。
訪ねるなら平日の朝がオススメです。
コメント有難うございます。