お早うございます、信です。
季節は進み11月霜月は小雪の初候、第五十八候 虹蔵不見(にじ かくれて みえず)になりました。
昨日は午後から冷たい雨の一日でしたが、今朝は雨雲も飛んで、小春日和の朝を迎えました。
これならまた2万を超えて歩けそうです。
早いもので勤労感謝の日を迎えました。
現役の頃は、この辺りから急に忙しくなり、あとは大晦日まで急坂を転げるように、多忙を極めて流れていった記憶があります。
今は急かされる用事もなく、感慨深い日々を顧みながらブログを書いています。
さて今日からは、先日歩いた新座市野火止の平林寺の紅葉です。
このブログ記録では2017年以来の4年ぶりの訪問となりました。
武蔵野線、新座駅を降りて南口駅前から、マンションの横手がスタートです。
野火止用水です
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公園の銀杏の落葉が盛んです。
毎日の掃除も大変でしょう
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平林寺総門まで約3km。野火止用水を辿って歩いていきます
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徳川家康が江戸城へ入府してから50年程が経つと、江戸の人口増による水不足がおこったため、承応2年(1653)幕府は多摩川から水を引く玉川上水を掘ることを許しました。
総奉行として老中の松平伊豆守信綱、水道奉行は関東郡代伊奈半十郎、玉川庄右衛門・清右衛門兄弟がこれを請け負いました。
難工事になり、信綱は家臣の安松金右衛門・小畠助左衛門に補佐を命じて工事を続行させ、承応3年(1654)完成しました。
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信綱はその功績が認められ、領内の野火止に玉川上水の分水を許されました。承応4年(1655)、関東ローム層の乾燥した台地のため、生活用水に難渋していた野火止の地に、野火止用水が開削されました。
工事担当を安松金右衛門に命じ、費用は三千両を要したといわれています。現在の東京都小平市から掘りおこし、野火止台地を経て新河岸川に至る全長約24キロメートルにも及ぶ用水路です。
用水路は、素掘りにより開削されていますが、土地の低いところなどには、版築法などにより堤を築いたりして野火止の台地に引水されました。(新座市hpより)
前にNHK「ブラタモリ」でも紹介されていました
駅から歩いて15分。人参畑に柿の木です
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さらにしばらく歩くと
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明らかに今までとは違う雑木林
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既に左手は平林寺の境内林でした
平林寺の西側。良く整備された散策路です
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どんぐり系の木々、コネラ、クヌギ、エゴノキなどが多い雑木林でした
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江戸時代から滔々と続く流れです
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平林寺雑木林について
こちらは野火止用水の案内です
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多分、水の争いも色々あったことでしょう。
表側に廻ると、こんな駐車場も
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なんともちゃっかりした商売です。
4年ぶりに総門を潜ります。
正面に山門です。右手には野火止用水が流れています
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山門の左手が美しい
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ついつい釣られてしまいます
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気を取り直して山門前へ
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扁額は「凌霄閣(りょうしょうかく)」です。
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ひとしきり山門周辺の紅葉を楽しんで
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先へ進みます
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明日は仏殿、戴渓堂、放生池の紅葉です。
撮影日: 11月20日
撮影場所:新座市野火止 平林寺
それでは皆様、ご機嫌よう。
此方は、もう少しで雪景色になりますが、今年は未だに雪を見ていません。
20日に初雪の発表がありましたが、いつ降ったんだって感じです。
テレワークが無くなって奥さんの介助が難儀です。
11月から突然、テレワークなしのお達しがあって、テレワークになれた体は通勤地獄です(笑)
奥さんの三角巾は外れましたが、まだまだ介助が必要です。
歳を取ってからの骨折には、十分に気を付けなければと認識しました。
こんにちは、お久しぶりです。
わたしもすっかり訪問をサボっていました。スイマセン。
選挙が終わって落ち着かれたのですね。
奥様大変ですね。利き腕なのでしょうか?
それにしてもテレワーク無しというのも辛いですね。
もう我々のグループはテレワークが当たり前で、誰がどこで働いているのか、まったく分からなくなっています。
私も状況が許せば、毎日、信州北アルプスの山小屋から槍ヶ岳を眺めながらテレワークしたいところです。
奥様の一日も早い回復をお祈りします。お大事に。
コメント有難うございます。