お早うございます、信です。
この記事は予約投稿で、今頃は新幹線の中の予定です。
昨日は全国的に快晴のようでしたが、関東は朝のうち雨で雲が多い一日でした。
それでも傘を差してウォーキングするうちに、雨も上がり温かい春の日差しに包まれました。
さて南栃木の山野草めぐり(のつもり)ですが、星野町の四季の里を出て、次にこの山の裏の出流山に向かいました。
星野へ来る途中にあった出流山への道を辿ってきました。
道すがら石灰石の採石・加工プラントが何か所もあって、非常に埃っぽい道でした。
山門を背にして、前の山が三峰山だと思います
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立派な山門(仁王門)です
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山号は出流山、寺名は満願寺です。
坂東三十三所の第十七番です
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出迎える仁王様
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大迫力でした
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欄間の彫刻も細かな細工でした
山門を潜ると左手に薬師堂
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見事な扁額です
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往時を偲ばせる建物(信徒会館)です
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階段を上がって本坊へ
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本堂は森の中でした
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滋光殿です
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右手には手水舎
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その隣にお不動様
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そして本堂へ
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本堂(大御堂)です
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本堂(大御堂)は、後小松天皇の応安元年(1368)、足利義満公の寄進によって、観音堂として建立されたが、元文五年(1740)12月20日の大火により、一山は山門を残すのみで、堂塔はことごとく焼失してしまった。今の大御堂は中興第十七世道呆(どうごう)和尚が営々辛苦の末に明和元年(1764)8月に再建したものである。
八間四面入母屋造り、唐破風向拝(からはふうごはい)つき、三手先竜(みてさきりゅう)の彫刻がほどこされ、筑波山の大御堂(現在の筑波神社本殿)、奈良の輿福寺大御堂と共に日本三御堂の一つと称せられている。(満願寺hpより)
十三重塔です
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歴史を感じる佇まいです
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徳川中期の堂宇建築の代表的なものと言われる。元治元年(1864)3月、本堂と書院を焼失したために、現在は大御堂をもって本堂としている。焼失した本堂は、現在の本彷のあたりにあり、大日如来を本尊としていたと伝えられる。
現本堂の大御堂は、坂東第十七番札所で、弘法大師ご敬刻の千手観世音菩薩がご本尊として安置されている。
ここで毎日、大護摩修行が行われ、観世音菩薩の霊験あらたかなるをもって、家運繁栄、厄災消除を祈るご信者で賑わっている。
ここで護摩を焚くのでしょうか
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本堂の右手に大師様
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立派な対の青銅灯籠
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歴代の住職の墓でしょうか
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本堂の奥に出流山山頂・奥の院への道がありましたが
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猪が出そうで遠慮しました。
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鐘楼です
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出流山満願寺でした
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実は行くべきだったのは、星野町の先の御嶽山神社だったのですが、何故か来る前に見た出流山への道に導かれ満願寺に参拝しました。
御嶽山神社には珍しい唐子咲の節分草があったのです。
こんな感じのようです
また次の機会に行ってみたいと思います。
撮影日: 2月27日
撮影場所:栃木出流町 満願寺
それでは皆様、ご機嫌よう。
こんばんは。
やっと重い腰を上げましたが、松本のホテルで明日の行き先を悩んでいます。
コロナの影響もあるのか、タクシーは土日のみの営業だということが判明しました。
バスで行くとなると、かなり制約されます。
まあ暖かいので何とかなるかなぁと思いつつ・・
最終的には明日の朝の気分で決めようと思います。
梅は今がピークでしょうか
また楽しみにしています。
いつも有難うございます。
朝から新幹線ということは、
いよいよ上高地方面へ向かわれたのでしょうか?
錫杖さんやはりさんの旅紀行を見られて、信さんも
じっとしていられなくなったのでしょうかね。
何処の風景を見せてもらえるのか?今から楽しみです。
出流山満願寺は境内も広いようで、立派なお寺さんですね。
昼でも猪に出会うかもしれない奥の院への参道は躊躇しますよね。
最後の唐子咲の節分草は初めて見ました。
椿の唐子咲はよくありますが、節分草にもこんな花があるのですね。
takayanも明日は、梅の撮影にでも行こうかと思っています。