沢藤南湘

残り少ない人生を小説とエトセトラ

先生を殺したのは私です 二

2023-03-20 09:41:22 | 小説
 私たちは、八時半過ぎに、フロントでチェックアウトを済ませてから、停車中のバスに荷物を置いて、金鱗湖へと歩いた。
 通り道の脇に生えている木々の紅葉は、残念ながら終わりかけていた。
「これが、金鱗湖なの」と私は言った。
「ここは、清水と温泉が流れ込んでいるらしく一年中水温が高いので、冬の寒い朝は湖面から湯気が立ち上るシルクスクリーンを見れるので有名なんだよ」
 夫は、がっかりした私を慰めるように説明してくれた。
「あなた、鴨がいるわ」
「後尾から血が出ているようだ」
「可哀そうに、野良猫にでも食べられそうになったのかもしれないわ」
 夫が近くの土産物屋に入って、怪我している鴨を保護するよう然るべく部署に連絡するよう、店員に頼みに行った。
 金鱗湖の見学を終えて、賑やかな湯の坪街道に出た。
「結構しゃれた店やレストランが立ち並んでいるね」
「ちょっとお土産屋さんを覗いてみようかしら」
 私は、店に入った。
 ロールケーキやせんべい類が、所狭しと積んで並んでいる。
 私は、目移りしながらもいろいろ選んでいった。
「これも買おうかしら」
「いいね」
 五種類の土産を持った夫と店を出ようとした時、ツアー客のひとりが入ってきた。
 私は、すれ違いざまに軽い会釈をした。
「彼女、だれだっけ」
「一人参加の三浦幸子さんよ」
「相変わらず雅子は、記憶力がいいね」
 私には、一度覚えたら忘れることがないという自負がある。
 ある人は、記憶という能力には、限界があるので、大事で無いことは忘れる必要があるというが、私には全く関係がなかった。
 店をのぞきながら歩いて行くと、饅頭屋の暖簾が見えた。
 甘いものに目のない私は、夫を誘った
「ここで、休憩して行かない」
 店の扉が開くと、反田次郎と山中響子が相対して饅頭を食べているのが目に入った。
「あなた、別の店にしない」
「そうだね」
 夫もツアー客のグループの人間だと気づき、私たちは店に入らずに背を向けた。
 坂道を下っていく途中の脇道で何か争っているような声が聞こえた。
「彼らは、我々のツアーの人たちだ」
「そうね。山本一さんと一緒に来ている末永喜美子さんと一人参加の田所正さんだわ。何かもめているようよ」
「行ってみようか」
 三人がいい争っている所に行った。
 夫が口をはさんだ。
「どうされましたか」
「なんでもありません」と山本一が、答えた。
 しかし、依然、三人は険しい顔をしていた。
「あなた方には、関係ありません」と言って、田所正がその場を立ち去った。
 私は、夫のシャツの横腹部分を引っ張った。
 私は山本一たちに軽く頭を下げて、駐車場に向かった。
「山本一さんと田所さん一体何があったのかしら?」
「山本一の不倫と何か関係があるのかな」
 バスは定刻通りに出発して、別府に向かった。
 伊藤恵が、マイクを持った。
「別府ロープウエイに乗り、標高千三百メートルにある鶴見山上駅で降ります。駅前には、鶴見山上権現一の宮があります。山上遊歩道沿い各所にも、様々な神様が祀られ、札所めぐりや七福神めぐりをお楽しみいただけます。また、各展望所では、紅葉の絶景を見ることができます」
 十三時半近くに、私たちは、ロープウエイに乗った。
 青い空、赤黄色に色づいた木々そして、遠くに別府湾の海面がキラキラと輝いていた。
 ロープウエイを降りて、しばらく歩いて展望台に上った。
「きれいだわ」
「晴れててよかった」
 眼下の別府と別府湾がはっきりと見えた。
 そして、案内に沿って七福神を巡った。
「なぜ、このようなところに、七福神があるの」
「俺もよくわからないよ」
 結局、時間の都合で、二福神をのこして、ロープウエイで下山した。
 予定通り、十四時半にバスは出発した。
 車中は驚くほど静かだった。
 静けさを破って、伊藤恵が、次の行き先の別府地獄について、地獄めぐり記念スタンプ帳という冊子を配ってから、説明し始めた。
「次に行きます・亀川の地獄地帯は、千年以上も昔より熱泥、熱湯などが噴出していたことが豊後風土記に書かれており、また近寄ることもできない忌み嫌われた土地であったといわれています。そんなところから、人々より、地獄と呼ばれるようになりました。今も鉄輪では温泉噴出口を地獄とよんでいます。海地獄、血の池地獄、龍巻地獄、白池地獄の四つは、国の名勝に指定されています。別府の地獄のなかでも最大の海地獄は、コバルトブルーの色をしていて、地獄というのがふさわしくないほどの美しさです。池の青色は、温泉中の成分である硫酸鉄が溶解しているためです。園内では、温泉熱を利用してアマゾン地方原産のオオオニバスや熱帯性睡蓮を栽培しており、オオオニバスや熱帯性スイレンの開花期は、五月上旬~十一月下旬で、朝方が見ごろです。血の池地獄は日本で一番古い天然の地獄で、赤い熱泥の池です。 地下の高温、高圧下で自然に化学反応を起こし生じた酸化鉄、酸化マグネシウム等を含んだ赤い熱泥が地層から噴出、堆積するため池一面が赤く染まります。別府市の天然記念物にも指定されています龍巻地獄で、豪快に噴き出した熱水は、屋根で止められているが約三十メートルほど噴き出す力があります。落ち着いた雰囲気の和風庭園にある白池地獄は、青みを帯びた白色をしています。これは、噴出時は透明な湯が、池に落ちた際、温度と圧力の低下により青白く変化するためです。さらに白池には、熱帯魚館、県指定重要文化財の向原石幢、国東塔、郷土美術が展示されている二豊南画堂があります。明治以降坊主地獄として観光施設の名所になっていましたが、一度閉鎖され新たに鬼石坊主地獄としてオープンしました。灰色の熱泥が沸騰する様子が坊主頭に似ている事から鬼石坊主地獄と呼ばれる様になったそうです。場所は、海地獄の隣にあり、施設内には、足湯がありますので、時間のある方は、お試しください。鬼山地獄は、別名ワニ地獄とも呼ばれ、大正年間に日本で初めて温泉熱を利用し、ワニ飼育を開始しました。現在、約八十頭のワニを飼育しています。別府地獄めぐりのひとつかまど地獄は、泉温九十八度の温泉が噴気とともに湧出。古来より氏神の竈門八幡宮の大祭に、地獄の噴気で御供飯を炊いていたことがその名の由来と言われています。かまど地獄は一丁目~六丁目までさまざまな湯の池があります。また、この近くに、漫画の滅の刃で有名になった八幡竈神社があります。これからは、私が地獄めぐりを案内します。先ほどお渡しした地獄めぐり記念スタンプ帳の地図を見てください。これからバスは、龍巻地獄の駐車場に到着します。皆さんが下車しましたら、龍巻地獄と血の池地獄を観光して、再びこのバスに乗って、鬼山地獄へと行きます。そこから、白池地獄、かまど地獄、鬼石坊主地獄そして、海地獄へとご案内します。単独行動をするようなことがあれば、海地獄の駐車場でこのバスが皆様をお待ちしてますので、十六時半までに乗車ください。そして、今日宿泊先のUホテルに向かいますので、お間違えせずに十六時半までに必ず乗車してください」
 伊藤恵が、地図を皆に見せるようにして、海地獄の近くの駐車場を示した。
「伊藤さん」と後部席の反田次郎が、声を上げた。
「反田さん、なにか」
「地図に載っていない八幡竈神社にはどのように行ったらいいですか」
 伊藤恵は、血の池地獄のそばを指さして、
「血の池地獄から二キロありますので、三十分ほど歩いたところにあります。今回は時間の都合上、そこにはご案内しませんが、もし行かれる場合は、くれぐれもバスに間に合うようにお願いします」
 バスが、駐車場に入った。
 皆、言葉少なく各自案内のパンフレットを手に持ち、伊藤恵の後に続き、最初に噴射の時間が、間近な龍巻地獄を見学した。
 噴射近くの階段上の席に、私と夫は腰かけた。
 夫はカメラを構えて、シャッターチャンスを狙っていた。
 私は、ツアー客たちがどうしているか何気なく見回した。
 昨日の夕食時にグループで問題になった二組の反田次郎と山中響子、そして平山和夫と渡辺美代子はそれぞれ、仲睦まじく楽しそうに座っていた。
 私は、高校三年の修学旅行を思い出した。
(純粋な恋愛で、誰にも迷惑をかけなければいいんだけれど)
 山本一と末永喜美子の二人は、田所正を避けるようにかなり離れた距離に座って話が弾んでいるようだった。
 佐川一家は、娘の知美が構えたカメラに笑顔で両親が応えていた。
 噴射が、始まり、皆そこに集中した。
 私、気づかれないように、山本一たちに向かってシャッターを切った。
 夫は、噴射に焦点を当ててシャッターを何度も切っていた。
「屋根で止めらなければ、迫力があるのに残念だな」
「周りの家々に迷惑がかかるから仕方がないわね」

 次に、血の池地獄を観光して、再びバスに乗って、鬼山地獄に向かった。
 そして、白池地獄、かまど地獄、鬼石坊主地獄そして、海地獄を見学した。
 いつの間にか、伊藤恵の後を歩いている人の数が減っていた。
「あなた、六人ほど減ったみたいよ」
「竈神社にでも行ったのかな」
 伊藤恵は、海地獄の駐車場に止まっているバスまで私たちを連れて行った。
「十六時半まで、まだ多少時間がありますので、おトイレや買い物をしてきてもいいです」
 私は、夫がトイレから帰ってくるのを待って、乗車して、バスの出発を待った。
 運転席の上にある時計が、十六時半を指した時には、まだ、山本一、末永喜美子そして、田所正の三名が席についていなかった。
「山本一さんたちに何かあったのかな」
 夫が、心配そうに言った。
 伊藤恵が、運転手の山田直人に話しかけていた。
「ガイドさん、いつまで待つんですか」と足立隆が、声を上げた。
「申し訳ありません。もうしばらくお待ちください」
 十分ほど過ぎて、厳しい顔をした三人が、息を切らして、ステップを上がった。
 三人に視線が、集中した。
 それに応えてか、頭を下げながらそれぞれ席に着いた。
「あの人たちに、一体何があったんだろう」
 夫が、声を落として言った。
「何も起こらなければいいんだけれど」
 私の頭に不吉な予感が、横切った。
 伊藤恵の合図で、バスが動き始めた。

 宿泊のUホテルでの夕食は、昨日と同じバイキングだった。
 昨日と違って、どのテーブルも静かだった。
「今日は、皆さんおとなしいな、疲れているのかな」
 グラス一杯のビールを飲んで赤ら顔になった夫が、空になった私のグラスにビールを注ぎながら言った。
「地獄湯めぐりで結構歩いたから、私も疲れたわ」
「俺も疲れた」
 食事を終えて、部屋に戻ると私たちは布団に寝そべった。
 夫は、そのまま寝入ってしまった。

 夫が、私の顔色が悪いと心配した。
「昨日飲み過ぎたみたい」
「夕食の時はそんなに飲んでいなかったのに」
「あなたが寝てしまってから飲んでいたのよ」
「起こしてくれれば付き合ったのに」
「熟睡してたので、起こさなかったわ。食事に行きましょう」
 私たちが、朝食を済ませて、バスに乗り込んだのは、八時五十分だった。
 出発予定時間の九時になった。
「おはようございます。皆さん、昨日はよく眠れましたか」と伊藤恵が、我々のほうに向かって挨拶をしてから、今日の予定について、説明し始めた。
「あなた、まだ山本一さんと末永喜美子さんの二人が、来ていないわ」
「ほんとうだ。寝坊しているんだろうか?」
「今日は、これから青の洞門、耶馬渓羅漢寺、そして、宇佐神宮をまわって、大分空港に皆様をお届けします。皆様の普段の行いのたまものか、本日も天気に恵まれました」
 伊藤恵は、人数を数え終えてから運転手に何か話しかけていた。
 話終えた伊藤恵は、マイクを持ち、我々の方に向き直った。
「二人の方が、遅れていますので、まだ全員が揃っていません。二人が来るまでしばらくお待ちください」
 伊藤恵が運転手に
「ちょっと見てきます」といって、バスを降りて、早足でホテルに入って行った。
 車中が、騒がしくなってきた。
「あの二人か、いつまで寝ているんだ」
「団体行動してもらわないと困る」
「いや、何かあったんじゃないの」
「雅子、何かあったのかな」
 夫が、私に言った。
「ガイドさんが、見に行っているから、帰ってきたら何かわかるわ」
 嫌な予感がした。
 十五分ぐらい過ぎて、伊藤恵が息を切らして戻ってきた。
 運転手に二言三言話してから、マイクを持って話し始めた。
「フロントに頼んで、部屋に電話したり、館内放送で呼びかけしてもらいましたが、連絡が付きませんでした。二人が戻ってきたら、私へ連絡するようにフロントに頼んできましたので、ご安心ください。出発時間もだいぶ過ぎてしまいましたので、最初の観光地の青の洞門に向かって出発いたします」
「あなたのいうように、何かあったのかもしれないわ。伊藤さんたちよく探さなくていいのかしら」
「団体行動だから仕方がないよ。伊藤恵さんだって、みんなに迷惑をかけることはできないんじゃない。遠くまで散歩でもして、途中道に迷ったのかもしれないよ」と夫が、答えた。
 青の洞門の説明が始まった。
「江戸時代のことです。が造られたことによって山国川の水がせき止められ、樋田・青地区では川の水位が上がりました。そのため通行人はの高い岩壁に作られ鉄の鎖を命綱にした大変危険な道を通っていました。諸国巡礼の旅の途中にへ立ち寄った禅海和尚は、この危険な道で人馬が命を落とすのを見て心を痛め、享保二十年、千七百三十五年から自力で岩壁を掘り始めました。禅海和尚は托鉢勧進によって資金を集め、雇った石工たちとともにノミと鎚だけで掘り続け、三十年余り経った明和元年、千七百肋十四年に、とうとう全長三百四十二メートル、そのうちトンネル部分は百四十四メートルの洞門を完成させました。寛延三年、千七百五十年には第一期工事落成記念の大供養が行われ、以降は人は四文、牛馬は八文の通行料を徴収して工事の費用に充てており、日本初の有料道路とも言われています。残念ながら、青の洞門は、明治三十九年から翌四十年に一年かけて行われた大改修で、当初の原型はかなり失われてしまいました。現在の青の洞門には、トンネル内の一部や明かり採り窓などに、当時の面影を残す手掘り部分が、多少残っていますので、の無いようによく見て来てください」
 説明を終えてからしばらくすると、青の洞門の駐車場に到着した。
「朝早いせいか、まだ我々以外の観光客は来てないようだな」
「そうね、静かでいいわ」と私は答えながらも、山本一と末永喜美子からまだ連絡がないのを不審に思っていた。
「雅子、二人の事か」
 夫が、私が山本一たちを気にかけていることに気づいたようだ。
「あなた、何か悪いことが起こったんだわ」
「どちらにしても、そのうちに伊藤恵さんの所に連絡が入ると思うよ」
 伊藤恵の説明通り、洞門の当時の面影は、注意して見ないとわからなかった。
 皆、拍子抜けたような面持ちで、出発時間よりかなり早くバスに戻ってきた。
 伊藤恵が、マイクを持った。
「では、皆様揃ったので、耶馬渓羅漢寺を目指して出発します。十分ほどで到着いたします。これから向かう耶馬渓羅漢寺は、耶馬渓の荒々しい羅漢山の中腹に位置します。今から千三百年以上前の大化元年、六百四十五年にインドの僧侶・法道仙人がこの地で修行したことが羅漢寺の始まりとされています。岩山に埋め込まれるように建てられた寺の岩壁には多くの洞窟があり、洞窟の境内にあると呼ばれるところには、さまざまな表情をもつ日本最古の石造の五百羅漢が安置されています。その他にも、室町時代にという高僧の作といわれる千体地蔵など、三千七百七十体もの石仏が安置されており、平成二十六年に、国の重要文化財に指定されました。そこを見学しますが、往復、リフトを利用します。見学を終えて、降りてきましたら、だるま食堂で昼食にしますのでよろしくお願いします」
「伊藤さん、羅漢寺まで歩くとどのくらいかかるんですか」と三浦幸子が、手を上げて聞いた。
「そうですね、休まないで登ると三十分ぐらいかかります。かなり急坂で足場も悪いところがあります」
 三浦幸子は、分かったと答えて、礼を言った。
「そうこうしているうちに、到着しました」
 伊藤恵は、全員が降車したのを確認して、旗を掲げて皆をリフト乗り場へと引率した。
 ここも、観光客が、少なく閑散としていた。
「皆さん、ここからリフトに乗りますので、気を付けて乗ってください」
 伊藤恵が、まず最初に乗った。
 リフト乗り場の従業員は、都度、乗ろうとする客に乗り方の簡単に説明をした。
 私は、スキーの経験があったのでスムーズに乗ることができたが、続いて乗った夫は、ぎこちない所作だった。
 後から乗った人たちも人それぞれであったが、特に女性は夫同様ぎこちなかった。
 伊藤恵は、全員がリフトから降りたのを確認してから、歩き始めた。
「伊藤さんが言うようにリフトを使わないで登って来るのは大変そうだ」
「修行するにはいいけど」
 私は、登り路を覗いて言った。
 私たちは、洞窟の境内の無漏洞に入った。
 石像の五百羅漢が、目に映った。
 皆が、驚きの声を上げた。
「よくもこんなに造ったもんだ」
「こんなところにあるなんてすごい」
「あなた、川越にもあるけど、五百羅漢てなに」と私は、夫に聞いた。
「一説によると、釈迦入滅後の第一回の経典、および第四回結集のときに集まったという五百人の悟りをひらいた高僧をいうらしい」
「旦那さん、本当によくご存じですね」とそばにいた梶山敏夫が、感心した。
「いいえ」
 夫が、照れ笑いした。
 リフトで降りて、だるま食堂で牛丼と味噌汁の昼食を私たちがとっていた時に、伊藤恵が携帯を取り出し、店の外に出て行った。
 しばらくして、電話を終えた伊藤恵が、険しい顔をして戻ってきて、食事中の運転手の山田直人に数分ほど話しかけた。
「雅子のいうように、やはり何かあったのかな」
「良からぬことのようだわ」と答えた私は、脳裏に山本一たちの顔が頭に浮かんだ。
 食事を終えて、バスに乗り込むと、早速伊藤恵がマイクを持ち、話し始めた。
「皆さん、大変なことになりました。私たちのツアーの山本一さんと末永喜美子さんが、亡くなったそうです。事件性があるとのことで、警察から至急Uホテルに戻るように連絡を受けました。これから予定を変更して、ホテルに戻りますので、ご了承ください」
 車中のあちらこちらの席から、驚きの声が聞こえてきた。
「まさか、殺人事件じゃないだろうね」
「殺人だったら、誰が二人を殺したんだろう」
「いや、心中かもしれないわ」
「あの山本という男と連れの女性は不倫の関係で、この世を儚んで心中したんじゃないか」
「雅子、今日の便に乗れるかな」
 夫は、帰りの心配をした。
「何ともいえないけれど、殺人事件だったら、足止めされるわよ」
 ホテルに戻ると、ホールで大分県警の刑事二人が私たちを待っていた。
 刑事から話を聞いた伊藤恵は、私たちに言った。
「これから刑事さんからお話がありますので、皆さんを部屋にご案内します」
 私たちツアー客は大広間に案内された。
 大広間に用意された椅子に腰をおろすと、前に立っていた刑事たちが名のった。
「大分県警の安田です」
「同じく久米です」
 安田刑事が、山本一と末永喜美子の件について話を始めた。
「今朝十時頃、このUホテルの裏庭で山本一さんと末永喜美子さんの死体が発見されました。死因は、司法解剖に回されていますが、山本一は、絞殺で末永喜美子は、後頭部殴打によるものと推量されていますが、まだ死因は確定できません。死亡推定時刻は昨夜十時から日をまたいでの一時の三時間の間に殺害されたものと思われます。本件、殺人事件として、捜査を進めます。これから皆さんに事情聴取させていただきますので、ご協力をお願いします」
「ちょっと待ってくれよ、私たちは、今日の夕方の便で、東京に帰る予定になっているんだ。その飛行機に間に合うようにしてくれるんでしょうね。明日は、朝から委員会があるので、今日中に東京に帰らなければならないんだ」と現役官僚の足立隆が、不満げに言った。
「間に合わなかった場合は、ホテル代や飛行機の代金も当然警察が払ってくれるんだろうな」田所正が、要求した。
「損害賠償問題だ。まだツアーは宇佐神宮を残しているのよ。一体、どうしてくれるの」大山君子が、不満をぶちまけた。
「そうだ、なんとかしろよ」
「我々の中に犯人がいるってことかよ」
 大広間は、誰が何を言っているのかわからないほど騒がしくなった。
「皆さん、静かにしてください。皆さんの帰りの飛行機には間に合わせます。あと二時間しか時間がないので、すぐに始めます。ご協力よろしくお願いします。まず、別室で、一人、一人に簡単な事情聴取をさせていただきます」といって、バスの席順そして、バスの運転手の山田直人、ツアコンダクターの伊藤恵とすると付け加えた。
 まず私が、呼び出された。
「お名前、年齢、職業、住所、電話番号そして、昨夜十時から一時ごろまでの間どうされていたかを教えてください。このことは皆様すべての方にお聞きしますので、ご協力をお願いします」と安田が聞いてきた。
 安田は、伊藤恵から手に入れた客のリストを手にして質問し、久米がメモを取った。
「藤沢雅子、六十歳。探偵事務所経営」と答えると、安田が現役の時の職業を教えてくれと聞いてきたので、三か月前まで警視庁に勤めていたと答えた。
 安田が驚いて、私を見つめた。
 久米のメモっている手の動きが止まり、私の顔を注視した。
 ふたりとも疑っている様子だった。
「警視庁のOBの方でしたか。失礼いたしました。今回の旅行は旦那様とお二人ですか」
「ええ、夫は藤沢南湘五十九歳で、T大学の准教授です」
 久米が部屋を出て、しばらくして戻ってきた。
 そして、安田に耳打ちした。
「藤沢元警部殿でしたか、失礼しました。ところで、山本一さんと末永喜美子さんについて何かご存じありませんか」
「ある人からM大学の教授がこのツアーに参加するので、その行動を探ってほしいという依頼が私の事務所にありました。その人が私たちの手続きしてくれ、この旅行中の山本一さんと末永喜美子さんの行動をウオッチングしていました」
「不倫の調査をやられていたんですか」
 安田は動揺した。
(この人が白だと断定はできないが、しばらくは協力してもらい様子を見ることにするか)
「次は、旦那様の聴取をさせていただきますので、お伝えください。以上です、お疲れさまでした」と安田は頭を下げ、久米はドアーを開けた。
 私が、部屋を出ようとした時、
「藤沢元警部殿、ちょっと待ってください。これからツアー客の聞き取りを始めますが、立ち会っていただけませんか」と、安田が言った。
「それは、ちょっと」と私は断ろうとした。
「そうですね。まだ警察の肩書がありませんから、ツアー客たちに何を言われるか分かりませんね。では、隣の部屋で聞き取りを聞いてもらえませんか。携帯を通話状態にしておきますので、電話番号を教えていただけませんか」 
 ここまで頼まれてしまったら、断れなかった。
「安田さん、これからは私のことを元警部殿といわないでください。もう退職して一般の国民になっているので、よろしくお願いします」
 部屋を出て、夫に詳細を伝え、形だけの聞き取りのために、部屋に入るようにと伝えた。
 私は、誰にも気づかれずに隣の部屋に入った。
 夫に続いて、佐川恒夫が部屋に入り、安田が質問し始めた。
「佐川恒夫さんですね。お歳と職業を教えていただけませんか」
「六十六歳、無職です」
「それ以前は、どちらにお勤めでしたか」
「六十歳まで、T自動車のエンジニアでした」
「亡くなった山本一さんや末永喜美子さんは、この旅行ではどんなでしたか。些細なことでも結構ですので、何かありませんか」
「そうですね。気づいたことといえば、最初ふたりは夫婦かと思いました。しかし、お互いに言葉使いがよそよそしかったし、また写真を一切撮らないよう意識していたように見えたので、もしかしたら、人にいえないお付き合いかと妻とも話していました。まさか、二人が、殺されるとは、驚きました」
「この旅行中、他のお客ともめた様子は、ありませんでしたか」
「気が付きませんでした」
「あなたは、山本一さんが、M大学の教授だとご存じでしたか」
「えっ、M大学の先生だったんですか、そんなに偉い方が殺されるとは。相手の女の人も先生ですか」
「いや、まだ分かっていません。ところで、あなたは、昨夜の十時時から一時までの間、どちらにいましたか」
「部屋で、十時にはすでに床に入って、寝ていました」
「奥様や娘さんは、どうされていましたか」
「皆、床に入っていました」
「それを証明する人は、誰かいますか」
「アリバイですか」
「一応皆さんにお聞きしますので」
「妻と娘です。肉親ではダメでしたっけ」
「わかりました。ありがとうございました。次は、奥様に来られるようお伝え下さい」
 佐川恒夫は、不機嫌そうな顔して部屋を出て行った。
 続いて、佐川安子が、部屋に入った。
 安田は、佐川恒夫と同じ質問を繰り返した。
「佐川安子さんですね。お歳と職業を教えていただけませんか」
「六十一歳、無職です。夫と結婚してから、今に至るまで専業主婦です」
「結婚前は、何かお仕事を」
「銀行に勤めていました」
「どちらの」
「MT銀行です」
「どのようなお仕事でしたか」
「窓口業務です」
「亡くなった山本一さんや末永喜美子さんは、この旅行ではどんな様子でしたか。些細な事で結構ですので、教えてください」
「二人とも仲が良さそうでした。私たち客とはほとんどしゃべらなかったですが、ガイドさんとは時々おしゃべりしていました」
「どんなことを話していましたか」
「どんなことといっても、遠くから見ていただけで、話の内容まで知りませんよ」
「他のお客さんともめていたようなことは、ありませんでしたか」
「別に気づきませんでした」
「あなたは、山本一さんがM大学の教授だったことはご存じでしたか」
「いや、今、刑事さんから聞いたのが初めてです」
「最後に、あなたは昨夜の十時から次の日の一時までの三時間の間、どちらにいましたか」
「もうとっくに部屋で寝ていました」
「それを証明するものはありますか」
「主人と娘です」
「他には」
「いません」
「わかりました。どうもお疲れの所ありがとうございました。次に娘さんが来るようお伝えください」
 すぐに、佐川知美が入ってきた。
「佐川知美さんですね。お歳と職業を教えていただけませんか」
「三十三歳、東京都職員です」
「どのような業務をやられていますか」
「都市計画関係に携わっています」
「学校での専門を生かされているのですか」
「大学は、法学部でしたので、ちょっと畑違いになります」
「ところで、亡くなった山本一さんや末永喜美子さんは、この旅行ではどんな様子でしたか。些細なことでも結構ですので、教えていただけませんか」
「山本先生が、このツアーに参加しているのには驚きました。それも、奥さんではない女の人と一緒だとは。私の前の席で、ふたりは、お酒を飲んだり、いちゃいちゃしたりで、耐えられませんでした」
「どうして、あなたは、山本一さんが、M大の教授だったことをご存じなのですか」
「ええ、私はM大学の卒業生なので、学部時代は、山本先生の講義を受講したことが何度かありました。先生は私を知る由もありませんが」
「そうですか。学校で山本さんを恨むような人はいなかったですか」
「知りません」
「ところで、先ほどあなたは、山本さんたちがいちゃついたりしているのを見て、耐えられなかったといってましたが、どうしたんですか」
「時々、父と席を代えてもらいました」
「あなたは、昨日の夜十時から今朝の一時までの三時間の間、何をしていましたか」
「私含めて、家族三人すでに寝ていました。アリバイですか、証明できるものなんてありませんよ」
「分かりました。どうもありがとうございました」
 佐川知美が、出て行ったあと、久米は、部屋を出て行き、次の番の足立隆を連れて来た。
「足立隆さんですね。年齢と職業を教えてください」
「二十九歳、国家公務員」
「どちらの省ですか」
「経産省」
「どのような業務をされているんですか」
「高圧ガス関係」
 安田の質問に対して、足立隆は終始ぶっきらぼうに答えていた。
「ところで、亡くなった山本一さんや末永喜美子さんは、この旅行ではどんな様子でしたか。どんな些細なことでも結構ですので教えていただけませんか」
「別にないな」
「あなたは、山本一さんがM大学の教授だったことを知っていましたか」
「ええ、何度か講義を聞いたことがありますよ」
「あなたも、M大学の卒業生でしたか」
「あなたもって、どういう意味なの」
「いや、別に意味はありません。山本さんは、大学で何か恨まれるようなことはなかったか、ご存じありませんか」
 足立隆は、答えずにただ首を横に振った。
「ところで、あなたは、昨夜十時から一時までの三時間、何をされていましたか」
「妻と部屋にいましたよ。アリバイを証明するものはないけどね」
「分かりました、どうもありがとうございました。奥様に代わって頂けるようお伝え願いませんか」
 足立隆は、返事もせずに部屋を出て行った。
 足立隆の妻の誉が、部屋に入った。
「足立誉さんですね、年齢と職業を教えてください」
「二十八歳、M大学病院の研修医です」
「亡くなった山本一さんや末永喜美子さんについて、お聞きしたいのですが、この旅行で彼らはどんな様子でしたか、些細なことでも結構ですので、教えていただけませんか」
「そういえば、湯布院の湯の坪街道の脇道で、彼らと田所さん、そうそう藤沢さんたちが言い争っていたのを見かけたわ」
「言い争いの内容は、ご存じありませんか」
「遠くで見ていただけだから」
「他には何かありませんか」
「ないわ」
「ところで、山本一さんがM大学の教授だったのをご存じでしたか」
「知りません」
「昨日の夜十時から翌日一時までの三時間ですが、あなたはどこにいましたか」
「部屋に、隆といました」
「分かりました、どうもありがとうございました」
 足立誉を見送って、久米は、三浦幸子を部屋に案内した。
「三浦幸子さんですね。年齢と職業を教えてください」
「五十歳、Yスーパーマーケットへの派遣社員です」
「亡くなった山本一さんや末永喜美子さんは、この旅行でどんな様子だったか、些細なことでも結構ですので、何かありましたら教えてください」
「ふたりが夫婦ではないとは気づきましたが、今時よくあることなので、別段気にはしていませんでした」
「他のお客とは、何かもめているようなことはありませんでしたか」
「私は、何も気づきませんでしたが」
「山本一さんが、M大学の教授だったことを知っていましたか」
「そうなんですか、偉い人だったんですね」
「ところで、昨日晩の十時から翌日一時までの三時間は何をされてましたか」
「部屋で寝ていました」
「何か証明する人は、いますか」
「あるわけないでしょう、一人なんだから」
「分かりました。ありがとうございました」
 続いて、久米は、田所正を部屋に連れて来た。
「田所正さんですね。年齢と職業を教えてください」
「はい、田所正、六十三歳、現在アルバイトでガードマンをしています」
「それ以前は、どちらにお勤めでしたか」
「一年前まで、M大学の構内にある生活協同組合で働いていました」
「山本一さんが、M大学の教授だったことを、当然あなたは、知っていましたよね」
「ええ、知ってました」
「山本一さんが、末永喜美子さんと一緒に参加していた事については、どう思われましたか」
「他人のプライベートには興味がないので、別になんとも思いませんでした」
「亡くなった山本一さんや末永喜美子さんは、この旅行中はどんな様子でしたか。どんなに些細なことでもいいので、教えてください」
「別に気づいたことはありません」
「あなたは、湯布院の湯の坪街道の脇道で山本一さんたちともめていたようですが、何かあったのですか」
「大したことではありません、ただバスの中での二人の行動を注意しただけです。そういえば、その時、藤沢さん夫婦が来られて、どうしたのかと聞かれたので、なんでもないと答えたことを覚えています」
「ところで、あなたは、昨夜の十時から翌日一時までの三時間の間、どこで何をしていましたか」
「刑事さん、私を疑っているのですか」
「いや、皆さんにお聞きしています」
「部屋で寝ています」
「それを証明する人はいますか」
「いるわけないでしょ」
「分かりました。どうもありがとうございました」
 続いて、梶山敏夫の聞き取りが始まった。
「梶山敏夫さんですね。年齢と職業を教えてください」
「七十歳、無職です」
「退職前に勤めていた会社を教えてくれませんか」
「六十歳まで、SK化学に勤務していました」
「亡くなった山本一さんや末永喜美子さんは、この旅行ではどんな様子だったか、些細なことでもいいので、気づいたことを教えてくれませんか」
「バスの中で、弁当の時に、最初に酒を飲んでいました。それに続いて、後部座席のグループの人たちが酒盛りを始めたので、車中が酒臭いと苦情が出たことを覚えています。あとは、山本さんは、なぜか写真を撮られるのを嫌っていました」
「あなたは、山本一さんが、M大学の教授だったことをご存じでしたか」
「ええ、どこかでガイドさんと彼が話しているときに、連れの末永さんが、山本一さんがM大学の教授だとガイドさんに自慢そうに言っていたのを聞きました」
「それ以前は、ご存じではなかった?」
「はい」
「ところで、昨夜の十時から翌日一時までの三時間の間、どちらで何をしていましたか」
「私のアリバイですか」
「皆さんにお聞きしています」
「部屋で寝ていました。妻が知っていますけど、身内は証人になりませんね、刑事さん」
「分かりました。お疲れのところありがとうございました」
 続いて、梶山敏夫の妻の政代が、部屋に入ってきた。
「梶山政代さんですね」
「はい」
「年齢と職業を教えてください」
「七十三歳、無職です」
「何処かの会社に勤務されたことはありませんか」
「学校を卒業して、すぐに結婚したので、会社勤めの経験は、一度もありません」
「亡くなった山本一さんや末永喜美子さんは、この旅行中で何か様子が変わったようなことに気づかれませんでしたか」
 梶山政代は、しばらく考えてからいった。
「山本さんがM大学の教授だと連れの末永さんが、ツアコンダクターの伊藤さんにいった時の伊藤さんの驚いた顔は、普通ではなかったような気がしました」
「そうですか、山本さんたちが他の客ともめたようなことはなかったですか」
「あの方たちは、私たちとはほとんど話はしなかったと思います」
「あなたは、山本さんが、M大学の教授と知ったのは、先ほどの件で初めてでしたか」
「はい」
「ところで、あなたは、昨夜の十時から翌日一時までの三時間の間、どこで何をしてましたか」
「刑事さん、私を疑っているの」
「そういうわけではなく、皆さんに一通り聞いているのです」
「九時ごろには、部屋で寝てました」
「分かりました。お疲れのところどうもありがとうございました」

 そして、グループ九人の聞き取りが始まった。
 まず、吉田八重子が部屋の椅子に腰かけた。
 安田が、年齢と職業を聞いた。
「六十五歳、N運送会社の事務をしています」
「何年ぐらい務めていますか」
「四十年ぐらいになりますか」
「ところで、亡くなった山本一さんや末永喜美子さんは、この旅行中に何か変わった様子は見受けられませんでしたか。些細なことでも結構ですので、教えてください」
「気が付きませんでしたわ」
「そうですか、他の客たちともめたようなことはありませんでしたか」
「そういえば、湯布院に泊まった翌朝、土産を買いにうろうろしていたら山本さんたちと田所さんが、何かいい合いをしているようなところを見たわ」
「話の内容は、ご存じですか」
「遠くからでしたので、そこまでは」
「ところで、あなたは山本さんが、M大学の教授だと知っていましたか」
「あんな格好のいい人が、先生なんですか。知りませんでした」
「あなたは、昨夜の十時から翌日一時までの三時間の間、どこで何をしていましたか」
「九時三十分ごろには、寝てしまいました」
「それを証明する人はいますか」
「一緒の部屋の浜田さんや大山さんに聞いてみてください」
「分かりました。お疲れのところ、ありがとうございました」
続いて、浜田好子、大山君子と続いたが、安田の質問に対しての返答は吉田八重子とほとんど同じであった。
 そして、川本正雄が、安田の前に座った。
「川本正雄さんですね。年齢と職業を教えてください」
「七十歳、無職です」
「退職前まではどちらにお勤めでしたか」
「M中学校の教師でした」
「亡くなった山本一さんや末永喜美子さんは、この旅行でどんな様子でしたか、些細なことでも結構ですので、何かあれば教えて下さい」
「ほとんど目立たなかったです。たまに、ツアコンの伊藤さんと山本さんが話をしているのを見かけたことぐらいですかね」
「山本さんが、M大学の教授だったことをご存じですか」
「いいえ、そうでしたか。かっこいい男だと思っていましたが、教授ですか」
「ところで、川本さんは、昨夜の十時から翌日一時までの三時間の間、どこで何をしていましたか」
「十一時くらいまで、同室の平山さんとふたりで部屋で飲んでいました。それから、寝ました。刑事さん、疑うならば、平山さんに確認してください」
「反田さんも、一緒の部屋ではありませんか」
「反田さんが部屋に戻ってきたのが何時か、寝てしまっていたので知りません」
「分かりました。お疲れの所、ありがとうございました」
 続いて、宮本くみが部屋に入った。
「宮本くみさんですね。年齢と職業を教えてください」
「七十一歳、無職です」
「お勤めしたことはありますか」
「ええ、六十歳までW病院で看護師をしていました」
「亡くなった山本一さんや末永喜美子さんは、この旅行でどんな様子でしたか、また他のお客とのトラブルは何か見ませんでしたか」
「別に何もなかったかと思います」
「あなたは、山本一さんがM大学の教授だったことをご存じでしたか」
「へえ、あんなにかっこがいい人が大学の先生でしたか」
「そうなんです。ところで、あなたは昨夜の十時から翌日一時までの三時間の間、どちらで何をされてましたか」
「部屋で、十時半ごろまで同室の渡辺さんと話していました。それから寝ましたが、あら、刑事さん、私を疑っているんですか」
「そういうわけではありません。同室の山中響子さんは、ご一緒ではなかったんですか」
「彼女、私たちが寝るまで部屋に戻ってきませんでした」
「どこに行ったか、ご存じありませんか」
「どこに行ったやら」幾分妬んでいるようだった。
 続いての渡辺美代子の話は、あらかた宮本くみと同じであった。
 そして、平山和夫が、安田の前の席に座った。
「平山和夫さんですね。年齢と職業を教えてください」
「平山和夫、六十三歳、無職です。三年前に三十五年勤めたK鉄道を退職しました」
「ありがとうございます。ところで、先日亡くなった山本一さんや末永喜美子さんは、この旅行でどんな様子でしたか、また他の客ともめたようなことなど些細なことでも結構ですので、教えてくれませんか」
「私たちはグループで参加していましたので、ほとんど他の客については、私はほとんど意識をしていませんでした。亡くなった山本一さんや末永喜美子さんの顔すら思い出せません」
「山本一さんが、M大学の教授だったことをご存じでしたか」
「全く知りませんでした」
「では、昨夜の十時から翌日一時までの三時間の間、あなたはどちらで何をされていましたか」
「刑事さん、私のアリバイですか。その時間は、部屋で川本さんと飲んでいましたので、彼に確認してください」
「分かりました。お疲れの所、ありがとうございました」
 久米が、平山を送り出して、反田次郎を部屋に連れてきた。
「反田次郎さんですね。年齢と職業を教えてください」
「反田次郎六十六歳、無職です。六十歳までM大学の事務職員で働いていました」
 安田は、一瞬、次の質問をためらった。
「亡くなった山本一さんや末永喜美子さんをご存じでしたか」
「山本一先生の学生時代から准教授までの間は、知っていますが、大学をやめてからこの六年間の彼については、知りません。まさかこのツアーでお会いするとは驚きました。ただ、連れの方は知りません」
「あなたは、この旅行中山本さんと何かお話しされましたか」
「あいさつ程度ぐらいでした。山本先生は、私を避けるようなそぶりをしていましたので、私も積極的には話しかけませんでした」
「反田さん、あなたがM大学に勤められていた頃、他人から山本先生が恨みをかうようなことがあったかどうか、何かご存じありませんか」
「別にそんな話は聞いたことがありません。当時の先生は、研究に忙殺されていたはずです」
「ところで、あなたは昨夜の十時から翌日一時までの三時間の間、どこで何をされてましたか」
「言わなければいけませんか」
「強要するものではありませんが、今回の事件の容疑に関係すると判断して、捜査を進めるようになるかもしれません」
「そうですか、刑事さんこれからいうことは、皆には言わないでください」
「内容によりますが」
「実は、グループの山中響子さんと食事を終えてから町に出て、十二時頃までスナック楓という店で、飲んだり歌ったりしていました」
「分かりました。スナック楓ですね」
 安田は、久米のほうに目を向けてから、反田に再び向き直った。
「反田さん、お疲れの所、ありがとうございました」
 反田が部屋を出て行ったのを見届けた久米は、携帯をポケットから出して他の刑事にスナック楓に行って反田と山中響子が来たか確認するよう依頼した。
 電話を終えると、部屋を出て、山中響子を伴って戻ってきた。
「山中響子さんですね。遅くなり申し訳ございません。年齢と職業を教えてください」
「はい。六十七歳、美容師です」
「美容院をやられているんですか」
「ええ、四十年ぐらい東久留米でやっています」
「本題に入りますが、亡くなった山本一さんや末永喜美子さんが、この旅行中何か変わった様子や他の客ともめたようなことがなかったか何かご存じありませんか。些細なことでも結構です」
「山本一さんや末永喜美子さんだけでなく、私はグループ以外のどなたともお話ししていませんし、お名前すら記憶にございません」
「そうですか、ところで、あなたは昨夜の十時から翌日一時までの三時間の間、どこで何をされていましたか」
「刑事さん、私を疑っているんですか」
「いや、ただ皆さんにお聞きしているだけです」
「反田さんと十二時頃までスナックでお酒を飲んでいました。反田さんに確認してください」
「スナックを出てから、どうされました」
「ホテルの部屋に戻って、寝ました」
「それを証明する人、いますか」
「同室の宮本さんや渡辺さんは、寝てたので、誰も証明する人はいません」
「分かりました。お疲れの所、ご協力ありがとうございました」
 引き続き、ツアコンダクターの伊藤恵の聞き取りに入った。
「伊藤恵さんですね。年齢と職歴を教えてください」
「はい、三十六歳、KHSに勤めて十六年になります」
「亡くなった山本一さんや末永喜美子さんは、この旅行中に何か変わった様子や他の客たちともめたようなこと、些細なことでも結構ですので、教えてください」
「特段、変わった様子はありませんし、もめごともなかったと思います」
「山本一さんが、M大学の教授だったことをご存じでしたか」
「はい、お連れの末永喜美子さんからお聞きしました」
「ところで、あなたは昨夜の十時から翌日一時までの三時間の間、どちらで何をされていましたか」
「食事を終えてから、部屋で明日の予定の確認等をして、お風呂に入って、確か九時三十分ごろには寝てしまったと思います」
「それを証明する人はいますか」
 伊藤恵は、少し考えこんでから言った。
「誰もいません」
「分かりました。どうもお疲れのところ、ありがとうございました」
 伊藤恵が部屋から出て行った後、久米が、山田直人を部屋に案内した。
「山田直人さんですね。年齢と職歴を教えてください」
「はい、山田直人、五十歳。KHSに入って二十年経ちました。その前は、別府タクシードライバーでした」
「ところで、亡くなった山本一さんや末永喜美子さんは、この旅行中何か変わった様子に気づきませんでしたか。また、彼らは、他の客とのトラブルを起こしませんでしたか。どんなに些細なことでも結構ですので、教えてください」
「おふたりに変わった様子は、見受けられませんでした。トラブルですか。何回かグループの方同士でもめていたことはありましたが、山本一さんや末永喜美子さんが、ほかのお客さんともめていたようなことは、少なくとも車中ではありませんでした」
「ところで、山本一さんがM大学の教授だったことをあなたはごぞんじでしたか」
「えっ、あの山本一さんが、大学の先生ですって、全く存じていません」
「そうですか。昨夜の十時から翌日一時までの三時間の間、あなたは、どこで何をしていましたか」
 山田は、多少時間をおいて
「大分市内の自宅に帰っていました」
「何時ごろの電車に乗りましたか」
「車中内の掃除をし終えて、十九時五十一分湯布院発の電車に乗って、帰りました」
「それを証明する人はいますか」
「アリバイの証明ですか。それはありません」
「お疲れのところ、ありがとうございました」
 久米が山田を送り出した。
 一時間四十分ほどで、安田たちは聞き取りを終えた。
 私は、隣の部屋から出て、安田たちの所へ行った。
 安田は、部屋の片隅に行って、電話をかけ始めた。
 五分ほどで、話が終えて、私に言った。
「藤沢さん、先ほど上司に連絡したところ、藤沢さんに是非本件について、協力してもらうように話してくれとの指示がありました。協力と言っても、警察の立場でご協力をお願いしたいのですが、いかがですか」
「もう定年退職した身ですから、お断りします」
 私が夫の顔を見ると、彼は頷いて答えた。
「そうですか。ではご協力いただくにはどうしたらよいでしょうか?」
「今の職業の探偵という身分でなら、協力させていただきますが?」
「しばらくお待ちください。上司と相談してきます」
「あなた、これならいいでしょ」
「おまえが納得するなら、俺は何も言わないよ」
 安田が戻ってきて言った。
「藤沢さんのいわれる通り探偵の立場でご協力お願いします。人件費や経費については、嘱託扱いでいかがですか?」
「それで結構です。では、まず何をしましょうか」
「私のほうから、今まで分かったことと、藤沢さんもお聞きになられたはいますが、今回の聞き取りの結果を説明させていただきます」と、久米がパソコンの画面を見ながらいって、まず、殺害された山本一と末永喜美子について、説明し始めた。
「山本一、四十五歳。M大学法学部教授で、住所は文京区のSマンションとバッグの中の身分証明書と免許証から分かっています。また、末永喜美子、四十歳で住所は、町田市のKアパートです。これは、免許証からです。職業は、分かりません。事件の概要ですが、先ほど皆さんに説明した通り、このホテルの裏庭で、昨夜十時ごろから今朝一時頃の間に、ふたりは、殺害されたと思われます。山本一は絞殺痕がありますが、末永喜美子のほうは、頭骨陥没骨折も確認されています。今、ふたりとも司法解剖に回されています。また、目撃者がいないか、近辺をあたっています」
 そして、久米がツアー客たちへの聞き取りの結果を簡単にまとめたものをアウトプットして、私に渡した。
 よくにている
氏名     年齢       職業              住所
山田直人   五十      KHS(株)観光バス運転手       大分市
伊藤恵    三十六     KHS(株)ツアーコンダクター     大分市  
佐川恒夫   六十六     無職、元T自動車メーカー      横浜市
安子   六十一     無職
知美   三十三     東京都職員、M大学卒
足立隆    二十九     経産省課長補佐、M大学卒      新宿区
誉    二十八     T大学病院の研修医
三浦幸子   五十      派遣社員              藤沢市
田所正    六十三     ガードマン、元M大学生協勤務    江東区
梶山敏夫   七十      無職、元SK化学社員        練馬区
政代   七十三     無職
吉田八重子  六十五     N運送事務員            江戸川区
浜田好子   六十五     Sスーパー パート         大田区
大山君子   六十五     介護福祉士             青梅市
川本正雄   七十      無職、元L中学校教師        横浜市
宮本くみ   七十一     無職                川崎市
渡辺美代子  六十五     看護師               小金井市
平山和夫   六十三     無職、元JR東日本          豊島区
反田次郎   六十六     無職、元M大学事務職員       三鷹市
山中響子   六十七     M小学校栄養士           東久留米市         

「皆さんの住所の詳細及び電話等の連絡先は、後日連絡します。話が長くなりましたが、藤沢さんには、予定の便で、東京に戻られて、山本一と末永喜美子について、調べていただけませんか。世田谷署の捜査一課に話をつけてますので、まず、世田谷署に行って下さい」
 この短い時間に、世田谷署まで連絡を取ったとは、私は、安田という男の仕事の早さに舌を巻いた。
「ところで安田さん、私たちへの嫌疑は?」
 私の質問に安田は黙った。
「そうですか、分かりました」
「藤沢さん、ここにいる久米刑事を世田谷署に我々との連絡役として、明後日に派遣しますので、よろしくお願いいたします」
 大分県警の捜査一課に来て一年ほどしか過ぎていないという三十二歳の若手刑事の久米が丁重な挨拶をした。
 今まで黙って聞いていた夫が、
「妻をよろしく頼みます」
 と言って、頭を下げた。
                 (続く)

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