沢藤南湘

残り少ない人生を小説とエトセトラ

天皇になれなかった皇子

2023-05-25 21:12:22 | 小説
 五百七十四年二月七日、後年天皇用明となる大兄皇子の妻のから私は生まれた。
 母は、欽明天皇と蘇我稲目の娘のの第三皇女である。
 私の名は、私には、蘇我氏の血が色濃く流れている。
 蘇我氏は、天下の政を独占して多くの利を得ようと娘の多くを天皇家に嫁がせるという政略結婚をあからさまに行っていた。
 私もその結果、この世に生を授かったのだ。

蘇我馬子は渡来人の支援を受け、仏教を取り入れるべきだと一層の熱意を深めていた。
しかし、天皇の世の末頃、疫病が再び蔓延し、とうとう馬子に伝染してしまった。 
それを知った渡来人に好意的でなかった敏達は、ますます廃仏主義になり、それを機に物部守屋や連のらは、疫病の蔓延は、馬子による仏教崇拝が原因によるものだと、大規模な廃仏毀釈を実施し、馬子を追い込んだ。
大兄は、私を連れて、馬子を見舞いに行ったが、馬子は伝染するからと言って、追うことができなかった。
守屋は仏像の廃棄や伽藍の焼却だけでなく、さらに人である尼僧らの衣服をはぎ取り、鞭打ちするなど徹底して仏教を憎んだ。
それにもかかわらず、疫病の感染拡大は収まらず、それどころか、敏達や守屋も感染してしまった。
庶民は、
「守屋殿が、仏像廃棄し、寺を焼いたことによる天罰だ」と騒いだ。
 大兄は、私を呼んで言った。
「守屋殿のような極端に仏を嫌うようなことをするとよいことはない。守屋殿は仏教のことをよく知らないのだ。おまえは、これから仏教のことをよく学ぶがよい。そして、今後我が国に仏教をどう取り入れたらよいか考えるのだ」
 大兄は、自分の考えを押し付けようとはしなかった。
庶民の声の後押しを受けて、馬子は執拗に敏達に仏法を祀る許しを求めた。
「天皇、私が陰陽師に占わせたところ、この疫病の蔓延は、父の稲目のときに仏像が破棄されたことによる祟りであるとのことでした。その祟りを鎮めるために、何卒、仏を祀ることをお許しください」
敏達はやむなく馬子に対してだけに許して、三人の尼僧を返した。
馬子は三人の尼僧を拝み、新たに寺を造って、仏像を安置して供養した。

数ヶ月後の五百八十五年九月、天皇敏達が崩御した。
十一歳になっていた私は、父と葬儀に参列した。
その席で、私は列席していた馬子と守屋の二人が争っている風景を間近で見てしまった。
長刀を差した小柄な馬子が、弔辞を読んでいたときに、
「ワツハツハ、馬子は、まるで矢に射られた雀のようだ」と守屋は、声を出して嘲笑した。
(守屋め、わしをあぜけわらったな。みておれ)
 馬子は、席に着く前に守屋を睨んだ。
 守屋の番になった。
緊張で体を震わせながら弔辞を読んでいる守屋を見て、馬子が大声でいって笑った。
「鈴を付けたらさぞ良い音色が出て、面白かろうよ。ワツハツハ」
 葬儀が終わった後も、二人は互いに罵り合っていた。
「天皇の葬儀であるぞ、ふたりともいい加減にしなさい」
 父は、二人の間に立って声を荒げた。
(ふたりともいい年をしてなんと情けない)
 私は、地位にある者の醜い争いを見て、この国の将来を案じた。
 皇位を熱望していた欽明の第四皇子のは、憤慨していた。
「何故に死する王に仕え、生きる王に仕えないのか。私が次期天皇になるというのに」
 それにもかかわらず、馬子が父を強力に推したことによって、父大兄が、次期天皇用明となった。
「馬子め!今に見てろ」
 次期天皇になるのは自分だと思っていた穴穂部皇子は、馬子に対抗するために、物部守屋と手を結んだ。
 父は、天皇の地位を得るのに、裏でいろいろ手を尽くしてくれた馬子に負い目を感じていたので、馬子の執拗な進言を受けて、敏達とは異なり、仏教を許容した。
私はそのような状況下で、今まで以上に仏教に興味を持った。
十の大きな誓いや三つの大きな願いによる大乗仏教の理想および理念が書かれたをはじめ、在家者の立場から大乗仏教の軸たる空思想を高揚する、そして誰もが平等に成仏できるという思想が説かれている法華経を学んだ。
「仏の世界というものはなんてすばらしいのだ」
 仏教を知れば知るほど、私はますます感銘を受けた。

 父が即位して二年後。
 父は病にかかって、日に日に病が重くなっていった。
 死を覚悟した父は、病や死などに対処するには神道ではなく仏教だとの認識を深めてはいたが、いざその立場になると、自信が持てなくなっていいた。
 父は御簾越しに、見舞いに来ていた群臣たちに尋ねた。
「私は仏法に帰依すべきだと思っているのだが、お前たちはどう考えるか意見を聞きたい。遠慮なく申せ」
「病は、仏が神を怒らせているのです。仏法に帰依すべきではありません。これ以上、神を怒らせては、治る病も治らなくなってしまいます」
 欽明の時と同じ理由により、物部守屋は猛反対した。
 馬子は、仏法に帰依すべきと訴えた。
 結局、父は守屋の意見を入れて、仏法に帰依することなく崩御した。
 私は、父の臨終の席で号泣した。
(父上は、あれほど仏法に関心を持っていたのに、なぜ帰依されなかったのか)
 私は、理解に苦しんだ。
 父の葬儀が終わって数か月後。
 馬子から娘のを私の妃にして欲しいとの申し出があった。
 わたしは、政略結婚承知のうえで承知した。
 他のふたりの妻、推古の娘のと推古天皇の孫のも同様政略結婚だった。
 しかし、の娘のを妻にしたのは、私の一目ぼれからだった。
 
 馬子と守屋の反目は、増々激しくなっていた。
 守屋は、欽明天皇の子女の一人で、私の叔父にあたると通じて、皇位を望んでいた穴穂部を天皇にすべく画策していたことを、私は、馬子の屋敷に呼ばれた時に知った。
「厩戸皇子、あなたのお父上は、仏法に帰依されたかったのに、守屋の反対でできなかった。きっとご無念だったでしょう。守屋は穴穂部皇子を天皇にして、己の主義主張を通そうとします。この機に守屋を討たねば、二度と仏法は、この国では日の目を見ることはなくなります。婿殿、近々、私は守屋討伐に軍を揚げます。どうか、加勢下さい」
 馬子は懇願した。
 沈黙がしばらく続いた。
「分かりました。私は、皇族方を説得して、義父殿にお味方するよう尽力を尽くします」
 仏法に帰依しようと考えていた私は、当然のことと思いながらもまた、馬子に加勢して、守屋を討った暁には、私は天皇の地位につくことを期待していた。
「ありがたき幸せ。よろしくお願いいたします」
 私は、その時、馬子が欽明の子のを次期天皇に推すつもりであることを知らなかった。
 
馬子は、私を筆頭に、欽明の第十二皇子泊瀬部皇子、敏達の第二皇子の竹田皇子などの皇族や諸豪族の軍兵を率いて、河内国渋川郡の守屋の館へ進軍した。
「かかれ」総司令官の馬子が、叫んだ。
「おー」
守屋は一族を集めて稲城を築き、守りを固めていた。
「蹴散らせ」守屋は怒鳴った。
軍事を司る氏族として精鋭の戦闘集団でもあった守屋の軍勢は手強かった。
「これでもか。くたばれ、馬子」
守屋自身も木の枝間によじ登って、雨のように矢を私たちに射かけた。
私たちの軍兵は、守屋軍に恐れをなして退却した。
「仏さま、私たちに御加護を」
 退却した私は、白膠木を切りだし四天王の像をつくり、戦勝を祈願した。
「皆の者、今度こそ、物部守屋を血祭りにあげるぞ!」
「おー」
馬子は、軍を立て直して進軍した。
 私は、家来たちに策を与えた。
「守屋一人を狙え。きっと、守屋は木に登って矢を放ってくる。その守屋を狙うのだ」
家来たちが、私の命令通りに、大木に登っている守屋を射落とした。
「守屋が、木から落ちたぞ」
家来たちは、守屋に駆け付けて首を取った。
「総大将の物部守屋殿を討ちとったぞ」
 雄たけびが、あがった。
 総大将を失った物部軍は、総崩れとなり、四方八方へと逃散していった。
「休まず攻めろ、攻めて攻めて攻めまくれ!逃げる者も容赦なく討ち取れ」
 勝利を確信した馬子が、叫んだ。
 追討軍の寄せ手は攻めかかり、守屋の一族らを殺害し、物部守屋の軍を完全制圧した。
 守屋の支持をとりつけ、天皇の位を窺っていた穴穂部皇子も惨殺された。

馬子は、思い通りに泊瀬部皇子を天皇に推薦した。
 私は、父の妹の(後の推古天皇)に呼ばれた。
「厩戸皇子、あなたを次期天皇に推しますので、期待しておいてください」
「叔母さま、ありがとうございます」
 私は、次期天皇を確信した。
 しかし、叔母の思い通りにはならなかった。
「馬子殿、次期天皇は、厩戸皇子にしていただけませんか」
「それはできかねます」
「なぜですか」
「厩戸皇子は、賢すぎます」
「賢いのは良いことではありませんか」
「私には不都合なのです。額田部皇女、泊瀬部皇子の次には、あなたを天皇に推薦しますので、厩戸皇子の件については、あきらめてください」
 馬子は、交換条件を差し出した。
叔母は、自分を優先して、私のことはあきらめた。
額田部皇女が説得に応じたため、馬子の意向とおり、泊瀬部皇子が天皇に即位した。
天皇崇峻の誕生であった。
 物部氏の没落によって、天皇欽明以来の崇仏廃仏論争に決着がついた。
 権力を握った蘇我馬子は、大和の地に本格的な伽藍を備えた法興寺を建立して、釈迦如来を祀った。

即位して四年目の秋、崇峻は群臣を集めた。
「私は、任那を再建しようと思うが、お前たちははどう思うか」
群臣の長老が、答えた。
「任那を再建するべきことは、皆、賛成です」
緊張した面持ちの馬子が、異を唱えた。
「天皇、任那の再建は、損は多く益は少ないと思われますので、あきらめたらいかがでしょうか」
群臣たちから、どよめきが起こった。
 前日、馬子から頼まれていた私は、崇峻に任那の再建を思いとどまるよう願い出た。
「天皇、今は、朝鮮に兵を割いてはなりません。我が国は、まだまだ、朝鮮半島に出兵するほどの余力は持ち合わせておりません」
「何を申す、お前は、私に説教するつもりか。下がれ」
 私は、崇峻の逆鱗に触れてしまった。
 その後、私と崇峻の関係はぎすぎすしたものになった。

大和地方に、秋風が吹き始めていた。
崇峻は、、、、の四名を大殿に呼んだ。
「お前たち四人を呼んだのは、他でもない。任那の再建のため、お前たちを大将軍に任じる」
「承知いたしました」
 大将軍を拝命した四人は、臣下を率いて筑紫に向かった。
先に、偵察のために新羅と任那に派遣した臣下が、筑紫に戻ってきたのは、大将軍が到着する二日前であった。
派遣した臣下が、大将軍四人の前に参じて報告した。
「情勢をうかがったところ、新羅の軍勢が、任那にかなり侵攻しています。今は、任那再建は、かなり困難だと思います」
「そうか、分かった。天皇へ時期を改めるよう文を書いたので、至急運んでくれ」
 天皇からの返事を待たずに、勝手に大将軍たちは戦わずして、帰還の途についた。
 天皇がどう出るか心配しながらの帰還だった。
「厩戸皇子や馬子殿の意見を聞いておけば、こんなことにはならなかった」
「天皇は、我々が勝手に帰還したことをお許しなさるであろうか」
「覚悟しておいたほうがいいな」
「馬子殿のことだ、それ見たかと言いふらすであろう」
「天皇は、どう思われるだろうか」
「まずいことが起こらなければいいが、心配だ」

 大将軍たちが、まだ帰還していない日、天皇へ猪を献上する者が現われ、崇峻の御前に供えられた。
「猪か」と言って、崇峻は、猪の前まで降りてきて、急に(刀の鞘のにさしておくへらのようなのもので、髪をなでつけるのに用いる。)を抜いて、その猪の目を刺した。
 そして、刀を抜き、首を叩き斬った。
「この猪の首を斬るように、いつか私が憎いと思っておる者の首を斬ってやる」
 周りの者は、震えあがった。
 翌日、天皇の妃のから猪の献上の時の一部始終と天皇が多くの武器を集めている状況が書かれた文が、私の元に届いた。
 私は、すぐに馬子の屋敷に行った。
 馬子は、私の差し出した文を何度か読み返して言った。
「天皇はきっと自分を斬殺するつもりだ。先手を打たねばこちらがやられる」
 馬子は、緊張した。
「厩戸皇子、よく知らせてくれました」
「これからどうされますか?」
「先手必勝です」
 私は、馬子が具体的にどうするのかを聞かずに、屋敷を後にした。
馬子は、臣下にいった。
「すぐにを呼んでこい」
 駒が、息切れ切れに馬子の前に座した。
 馬子は、人払いをして、駒を近くに来るようにいって、小声で何かを命じた。
 
 馬子が、屋敷に戻った私を訪ねてきた。
「先ほどの文では、天皇が罪のない私を討とう考えているようです。その前に、天皇を討たなければ、私が殺されます」
「叔父上殿、この文からでは、天皇が憎いのは、叔父上殿とは限らないのではありませんか」
 私は、馬子の決心を確認した。
「任那の件など、私が天皇の意見に反対したり、政にいろいろ口を出すので、天皇は、私を憎く思っているのに間違いありません。あなたもそう思われているに違いありません」
(大臣は被害妄想を抱く気質だとは思っていたが、まさか、恐れ多くも天皇の命を狙うなんて信じられない)
「大義名分はおありですか。また天皇を討った後、きっと大騒ぎになりますが、どのように対応されますか。そのお覚悟はありますか?」
「手の者にやらせます。そして、その者をすぐに捕え、処刑してしまいます」
 馬子は、暗殺計画を打ち明けた。
「なんて恐ろしいことを、考えていらっしゃる」
「天皇亡き後は、婿殿、あなたに即位していただきます」
 私は驚いて、しばらく沈黙した。
(大臣は思い込んだら一体何をするかわからない怖いお人だ。私が、天皇に即位したら、崇峻の二の舞いになるかも知れない。ここは、叔父上殿の力が衰えるまで、天皇の地位は見送った方が得策かもしれない)
「叔父上殿。本来、天皇の息子のが皇位継承の筆頭になりますので、それを超えて私が即位すればいろいろ問題が生じます。また、皇子としての皇位継承者は数多く、誰が即位してもやはり問題が生じるはずです」
「蜂子皇子は、反対です」
「それでは、額田部皇女にお願いしたらいかがですか。欽明天皇の子女の敏達、用明そして、崇峻と続いていますので、額田部さまなら誰も異を唱える方はいないと思います」
 以前私は、叔母から聞いていた話を思い出した。
「敏達さまのお后さまか。それは良いお考え、承知しました」
 馬子も思い出した様子だった。
「いつ決行されますか」
「二日後の夜に。この件は、あなたと私の二人の秘め事です。くれぐれも内密に」と馬子は言い残して、私の屋敷を後にした。
 朝を迎えた。
 蜂子皇子は私の家臣を伴って、宮中を脱出して丹後国由良へと向かった。
 そこから、舟に乗って、馬子の手が及ばないところまで逃げるつもりであった。
 一方、馬子は主立った群臣たちに明後日より初穂の献上の席に立ち会うよう命じてから、崇峻を訪ねた。
「明後日、東国より初穂が献上されますので、是非、天皇にも臨席していただきますようお願いいたします」と馬子は、崇峻にいった。
 
 初穂の献上の日を迎えた。
 馬子は、関係者が紫宸殿に集まったのを確認して、近習の者に命じた。
「皆が揃ったので、天皇をお呼びするように」
 しばらくして、先ほどの近習の者が泣きわめきながら戻ってきた。
「何があったのだ」
 場がざわめいた。
「一体どうしたのだ」と馬子が、戻ってきた近習の者を怒鳴った。
「帝が・・・。誰かに殺されたようです」
「なんだと」と馬子は、剣を掴んで立ち上がり崇峻の部屋に走った。
 他の公卿たちも続いた。
 寝室に、胸から流れでた血が広く固まって崇峻の身体を覆っていた。
 生臭さい血の匂いが、馬子たちの鼻をついた。
「なんとむごいことを」
「一体誰が、天皇をこんな目に」
 泣き出す公卿もいた。
「天皇を殺害した犯人を一刻も早く探し出せ」と馬子は、舎人に大号令をかけた。
 また、家臣にも命じた。
 馬子は、自分が首謀したことを悟られないように、犯人捜しに目の色を変えている様子を、皆に印象付けようとつとめた。
(叔父上殿は、本当に天皇を殺害した。それもあんなにむごい殺し方を、手下にさせて、自分は全く関係ないふりをする策士だ)
 私は、首謀したのが、蘇我馬子であることを、事件後には、一切、誰にも話さなかった。話せば、わが身に危険が及ぶことは分かっていたからだ。
(このことは、蜂子だけには伝えったが、もう彼は叔父上殿の手の届かないところへ行ってしまったので、心配ないだろう)
 その夜、崇峻を惨殺し、寝所に侍していた馬子の娘のを奪って逃亡した東漢駒が、馬子の家臣によって捕えられた。
 馬子は、事前に、家臣に犯人の逃げる道をそ知らぬふりして、待ち伏せするよう命じていた。
(これで、無事に天皇を消すことができ、娘も無事に戻ってきた。なによりだ)
 朝から、雨がしとしとと降っていた。
 昨日捕らえられた駒は、髪を枝に掛けて木に吊るされ、馬子は、自ら弓を引き、罪を数えあげながら駒を矢で射った。そして、馬子は剣を抜き、駒の腹を裂いて、首を斬り内裏の門外に晒した。
(これで、この俺が疑われることはあるまい。待てよ、婿殿は、知っている。しばらく注意して様子をみるか)
 馬子は、家臣に私の行動を監視するよう命じた。
数日後、馬子は、鎧兜をまとった家臣を十数人ほど連れて、私の屋敷を訪れた。
 私は、門番からの知らせに驚いた。
 一人、馬子が、屋敷に上がり、私が待つ客間に通された。
「叔父上殿、いかがいたしましたか」
「実は、天皇の息子の蜂子皇子が、見当たらぬ。婿殿は、ご存じありませんか」
 私は、とっさに息が止まった。
 馬子は、それを見逃さなかった。
「蜂子皇子ですか、存じませぬ」
「そうですか。もし分かったら教えてください」
 私は、馬子の私の心を見透かすような目つきに身が縮む思いであった。

 馬子は、次の行動に移った。
 馬子は、額田部皇女を即位させた。
 女帝推古の誕生だった。
 叔母の推古は、私を呼んで言った。
「馬子に口を挟まさせずに、厩戸皇子あなたと協力して、天皇中心の政をすすめるので、よろしく頼みます」
 そして、叔母は、私に摂政になってくれるよう懇願してきた。
 私は、悩んだ。
 馬子が目指す豪族いや蘇我氏中心の政は、叔母の天皇中心の政とは相反するので、私が摂政になると馬子との軋轢が今まで以上に強まるのは必至だ。馬子の強引さや異常ともいえる残虐な性格に私は打ち勝つことができるのだろうか。
「何を躊躇しているのですか?」
 叔母は焦れていた。
「承知いたしました。摂政のお役目、請けさせていただきます」
 私は、蘇我氏との対立を覚悟した。
二年後。
推古は、三宝(仏、法(経典)、僧)興隆の詔を出した。
これにより、馬子が待ち望んでいた仏教が正式に認定され、諸群臣は、競って寺院を造営した。
豪族の筆頭になって、権力をさらに強くした馬子は、本格的な伽藍を備えた蘇我氏の氏寺である大和寺を建立した。
私は仏教の力を借りて、天皇中心の世にするためにどのように政を推し進めたら良いかと常々考えていた。
「現在の特権的地位を世襲するの制を撤廃しない限りは、天皇中心の政は出来ない。なんとか、 、、、、の特権的地位を有する特定の一族から家柄にこだわらない有能な庶民に地位をあたえる方策はないものか。しかし、今の制度を覆すような制度を作ることには、天皇も大臣も承知しないだろう。そうだ、氏姓の制を包括するような制度を考えよう」
 私は、推古だけに進捗を報告し、秘密裡に事を進めた。
 まず私は、天皇と豪族たちとの主従関係の確認および強化をねらった簡易の制度である冠位十二階を策定した。
 私は馬子を呼んで、冠位十二階の詳細を説明し説得した。
「厩戸皇子、我々もこの制度の対象になるのか?」
「はい」
「それでは承服できぬ。我々蘇我氏は、この制度の対象外として欲しい。対象外にしてもらえれば、制定に賛成する」
 私は、馬子の要望を取り入れた。
 
その後、私は馬子には相談せずに、推古と二人で政を推し進め、念願の天皇中心の世の礎を作り始めていた。
馬子は、私の政のすすめ方に対して、危機感を深めていた。
「このままでは、天皇が絶大なる権力を握ってしまい、我らの権力がそがれてしまう。なんとかしなければ」馬子は、親戚の者たちに不満をぶつけていた。
 翌年の春。
 私は、豪族たちに臣下としての心構えを示すとともに、天皇に従い仏法を敬うことを強調した十七条を読み上げた。
「一曰、以和爲貴、無忤爲宗。 二曰、篤敬三寶。 三曰、承詔必謹。君則天之。臣則地之。・・・・・・・・・・・」
 私は仏教を厚く信仰して、数年かけて、経典注釈書であるを書き上げた。
その後、私は倭国の歴史を記した、皇室の系譜を記した、及び天皇に仕えていた豪族たちの歴史書であるを編纂した。
馬子は、できあがったそれぞれの書を読んで激怒した。
「何事だ。すべての書にそれがしの意向が取り入れられていない。厩戸皇子は、性懲りもなくいつか天皇に即位して、天皇中心の政を行うことを熱望している。そのようなことは、俺の目の黒いうちは絶対にさせない」
 馬子は、私の妻のを屋敷に呼んだ。
「皇子とはうまくいっているのか?」
「皇子は、ばかり寵愛されて私には全く興味がないみたいです」
「そうか、困ったもんだ」
「厩戸皇子は、どうされている?」
「まともに食も取らずに仕事ばかりしております。身体も細って元気なさそうです」
「そうか、これを煎じて毎日皇子の食に混ぜなさい。皇子もきっとお元気になられる」
 と言って、馬子は包を娘に渡した。

 六百二十二年二月五日夜半、雪が、やんだ。
 斑鳩の里にある私の屋敷から、陰陽師の祈祷の声が外まで響いていた。
 その寝屋に、病に倒れた私は、床に臥せっていた。
 そばに、四人の妻たちやその子そして、重臣が悲痛な面持ちで、私を見守っていた。
陰陽師が、渾身を込めて、祈りをささげている。
「もうしばらく生かしてくれれば、天皇に即位して、この世を平穏な国にできたのに、無念だ」私の言葉は、誰にも届かなかった。
自然と流れていた涙が止まり、私の意識は消え失せた。
 

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