これは私の父の話です。
もう10年くらい前になるんでしょうか。
父が喉に何か引っ掛かったような違和感を感じると言っていたんです。
しかし病院が死ぬほど嫌いな父は病院へ行こうともせずほっといたんですね。
1ヵ月くらいたつと声もしわ枯れたようになり、やたら
エヘンッ、ウ~ン、ガッ~ウン
みたいにしょっしゅう苦しそうに言うようになり、そのうち食事も困難な上、呼吸もしずらいというようになりました。
さすがの父もヤバイと思ったのでしょう(遅いけど)。病院へ行ったんですね。
原因は喉にできたポリープ。しかも3センチを越える特大!!
ほとんど喉をふさいでいるような状態(-Q-)
最初に行った近所の町医者は、喉にできたポリープでこんなに大きいポリープは見たことがない!!
と驚き、そして初診で市内の大きい病院への紹介状をくれたそうです。
2つ目に行った病院は、市内でもかなり大きいほうの病院ですが担当のお医者さまも、あまりにも大きいポリープに驚き、専門の病院へ行ったほうがいいということで、更に紹介状をくれたそうです。
この時父は、少々不安を感じていたそうですが、案の定、その行き先は、
“国立がんセンター”
(οдО;)
不安も何も、病院たらい回しにされて行き着いた先ががんセンターですから、そりゃ落ち込みますよ。
ここでも医者にその大きさ故にかなり驚かれたそうです。とにかくすぐにレントゲンとポリープの組織検査をすることに…。
戦時中に生まれ、日本全体が貧しさのドン底にあった中たくましく生きてきた父は、私たち姉弟の友人にはとてもおもしろいという印象を与えていましたが、普段はプライドだけは天に昇るほど高く、厳しい人でした。
しかしそんな人も歳と病には勝てないらしく、がんセンターへの紹介状をもらってからは一気に老け込み、毎日ため息ばかりつきながら元気もなくっていきました。
検査結果は確か10日後ということで、自営業だった父は仕事をする気力もなくし、患部が喉ということから大好きなタバコもお酒禁止だったので毎日ボーっとすごしていました。
検査結果の前日、父はどこかへふらっと出かけたまま帰ってきませんでした。
検査結果は、本人だけでなく、家族も同伴するように言われていましたので、母は覚悟を決めてあらかじめ仕事の休みを入れていたんです。
ところが当日になっても、父は帰ってこず、行方知れず…。
突然電話がなり母が出ると、父でした。
母が言うには元気のない声で、自分の行方については触れずに、検査結果は1人で聞いてきてほしいと言って電話を切ったそうです。
まぁ死の宣告を受けるかもしれないという現実に恐怖を感じるなと誰が責められましょう(´`)
母は母で、普段喧嘩して離婚する~なんて騒いではいてもそこは長年連れ添った夫婦ですからかなりの恐怖を感じていたようです。
母は不甲斐ない父に呆れ、怒り、そして恐怖に涙していました。
とにかく1人では行けないからと、私も同行することになりまして、なんだか医者にガンの告知を受ける家族のドラマのワンシーンなんかが頭に浮かんだり、これから先のこととかいろいろ考えながら病院に向かいました。母もいろいろ考えていたのでしょう。病院に行き着くまでほとんど無言でしたから。
病院に着き、先生と対面すると、先生は父がいないことに不審をいだき聞いてきましたが、母が
「検査結果を聞くのが怖くて逃げました(`´)」
と言うと、先生は冷静に
「まぁよくあることです。」
と言っていました。
ほんとによくあることなのかぁ~
なんて思いながら、緊張感は極度状態に
やっとの思いで母が先生に、
「それで、病名は・・・」
と聞くと先生はあっけらかんと、
先生:「ところでご主人はカラオケとか歌歌うのが好きですか?」
母:「いえ、特に・・・?」
先生:「では話をする仕事とか、仕事で話をよくされるとかしますか?」
母:「いえ、仕事はそんなこともないですね・・・??」
先生:「そうですか。。。う~ん。。。」
母:「話をするような仕事ではないですけど、普段からびっくりするぐらいしゃべるのは好きですが。。。」
先生:「それだ!」
母&私:???????
先生:「旦那さんの病名はズバリ“しゃべりすぎ特大ポリープ”です!」
母&私:「えっ!!!!」
つまり父のポリープは癌などではなく、単なる良性腫瘍で、一時期“カラオケポリープ”と言われた、喉を酷使しすぎた時にできるポリープだったのです。。。
しかもカラオケに行かない父の場合はしゃべりすぎが原因(ーー;)
そして病院を2つも経由して国立がんセンターまでたらい回されるほどの稀に見る特大。。
癌の告知を覚悟して極度の緊張感にいた母は恥ずかしさのあまり気を失いそうになったと今でもぼやいています。
そして肝心の父ですが、病院から帰り家についた頃に父から電話がかかってきました。
聞けばなんと父はニュージーランドにいました(-_-;)
普通にありえません。
癌の告知をされるかもしれないという恐怖のあまり、日本から遠くニュージーランドまで逃亡していたとは・・・。
癌ではないと知った父はしわがれた声で、明らかに明るく数日後に帰るわ、と言い残しました。
父の帰国後、2つ目の病院に出戻りでポリープの摘出手術をしましたが、手術室から出てきた瞬間に看護婦さんに、
「今何時ですか?」
と声にならない声で聞いて怒られていました。
術後1週間ほど入院をして、絶対にしゃべってはいけない!と言われているにも関わらず、
父はお見舞いに来た人たちや、同室の患者さんに他の患者さんのお見舞いに来た人たちにまでよくよく話しかけて看護婦さんに怒られていました。
2,3日後私がお見舞いに行くと、注意してもしゃべることがやめられない父に、看護婦さんは、ベットの四方すべてにカーテンと引き全てのカーテンに【沈黙療法中!おしゃべり厳禁】とマジックで書かれた札を貼りつけられました。
また2日後、今度は病室の外にあるネームプレートのところに目がついて見て見ると、
【沈黙療養中患者。患者に絶対に話しかけないででくだい】
という手書きの札が父の名前の横に貼られていました。
ってかどんだけおしゃべりだよ(-_-;)
娘としては恥ずかしすぎる(*_*)
そんな父は1週間後、無事に退院し、今も元気に毎日しゃべりまくってますwww
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でもニュージーまで逃亡するとは‥
普通落ち込んでる時はそこまでいく元気ないよね?(笑)
本当にしゃべりすぎポリープで良かったね!
めちゃ笑えました♪そんなさとこのお父さんに会ってみたいな。
あと歳のせいか同じ話し繰り返すんだよね。
まぁ本当にガンじゃなくてよかったけど。