遠い親戚が約30数年前、和紙づくりをしていたことで、「紙漉き」の作業場を見たことがあった。
また、冬の吉野川の冷たい中で、白い布のようなモノ(楮の樹皮だったのだ)を洗っているのを見かけたことがある。
ということで、昨日は、吉野郡吉野町窪垣内にある「和紙の里」に、宇陀紙保存技術保持者の福西弘行さんとご子息の正行さん父子を訪ねた。
国道370号線から細い急坂をあがったところに「福西和紙本舗」があった。
庭に干し板に張り付けられた紙が並べられている様子を思い浮かべていたが・・・残念ながら軒下に板が積まれたままだった。
父子は、水で晒され綺麗になった楮(こうぞ)の樹皮のホコリや不純物をナイフでそぎ落とす「徐塵(ちりきり)」という作業中であった。根気のいる地味な仕事である。
快く迎えて頂き、作業工程と作業場を案内してもらう。
午前中に桜の樹皮で染めた紙を漉いていたとか。これは草木染めといわれるもので、紙漉き場に漉いたピンク色の紙(になる前のもの)が10cmほどの高さで積まれていた。暫くすると、松板に張り付け乾燥させるという。
漉き槽には少し赤みがかった水が溜まっていた。
作業場の壁には、昔の作業工程が写真にして掲げられている。吉野川で洗っているもの、釜で煮ているもの、漉いているものなどなど。
また、自宅の玄関の軒下には薬師寺・高田好胤管長が亡くなる半年前に書かれた扁額が掛けられ、墨書もあるという。
どういうかかわりがあったのか・・・恐らく、「紙と書」で、かなりの交友があったのだと推察するが・・・。
途中で手を止め、漉いた紙の見本を見せてもらうことに・・・・。
隣の部屋には、和紙がアチコチの棚に無造作に積まれている。
薄い桃色、薄紫色、茶色、白色、薄い紙、厚い紙などが・・・。
近年は、インテリアとして見直され、個性的に使われることが多いとか。 行灯や電気スタンドの笠としても・・・。
和紙に柿の渋を塗ると虫がつかず「柳梱(ヤナギコオリ)」に張られる人もいて、注文があるとか。何百年ももつという。
和紙は繊維が長く引っ張っても破れず、思いっきり引っ張っても千切れなかった。
壁には文部大臣、知事などの表彰状がズラリ。また、著名な方からの和紙に書かれた礼状や書・画の作品が・・・いっぱい。
さすが、各地で手漉きの実演をされているためか、説明も滑らかです。
『吉野川で楮(こうぞ)を洗って、それを煮て、叩き潰し、漉き槽の中に入れて、木糊の液を加え、スダレの上に手際よくスキ上げて、積み重ね、水を切って、1枚1枚丹念に板に張り上げて出来上がります。』・・・と。
『吉野の紙の存在が一般的に知られるようになったのは、近世徳川期に入ってからであるとか・・・。
伝記によると、「壬申の乱」で吉野に兵を挙げた、大海人皇子が国栖の里人に紙漉きと養蚕を教えたのが始まりである。』と言われている。
朝廷や寺院に納めるのに都合の良いこの地で普及したのも頷けます。 明治中期まではこのあたりは原料の楮(こうぞ)が栽培されていて、村の半数の300戸で和紙づくりが行われていたが、戦中・戦後以降、需要が減り、洋紙に圧されて、今や数軒にまで減っているという。
福西和紙本舗では、宇陀紙(国栖紙)と言われる掛け軸の総裏紙と、美栖紙(表装用中裏紙)、吉野紙(薄くてキメ細かく、美栖紙と同じ)、吉野杉皮和紙(洋風クラフトなど工芸材料などに)、草木染め和紙(原料の楮に、桜・あけび・ねむ・トマト・ヨモギ・アイ・サカキ・栗のイガなどの樹皮を炊き出して混ぜ合わせたもので、植物の色彩が好評)の4種類を造っておられという。メインは、宇陀紙(国栖紙)であるが、最近は草木染め和紙が多くなっているという。
10名ほどで紙漉き体験を希望すれば、かなえて貰えるそうだ。
桜の草木染めの名刺を頂いた。また、キズものなので、と手元にあった吉野杉皮和紙と吉野紙をカミさんは貰っていた。
毎年春に、近鉄百貨店(上本町)で、実演するという。
案内状を送付するから是非、来て欲しいと誘われていた。
宇陀紙保存技術保持者の後継者としてご子息が修業中だ。
既に、楮(こうぞ)を煮る作業を任されているとか。
煮すぎると繊維が溶けてしまうため、この作業には気をつかうという。
『かなり難しいが、もう大丈夫ですわ。』と嬉しそうに話されていた。
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「吉野・紙漉きの里」。向こうの山の手前に「吉野川」が・・・。
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この地が手漉き和紙の発祥であることを示す案内看板。
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楮(こうぞ)樹皮のホコリをそぎ落とす「徐塵(ちりきり)」という作業中の福西さん。
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作業場の壁には作業風景の写真が・・・。
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紙漉き場には、午前中に漉かれたピンク色の紙(になる前のもの)が10cmほどの高さで積まれていた。
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作業場の軒下には、漉かれた紙を天日干しするための松板が立てかけられていた。
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玄関の軒下には薬師寺・高田好胤管長の扁額が・・・。
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各種の賞状と、礼状や作品などが・・・。
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色々な種類の紙を見せて頂いた。薄緑色、薄黄色、紙の色から草木を想像するのも楽しいものだ。
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福西さんが、実演の時に着られている「和紙の服」。3年間着ていてもしっかりしている。
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カミさんが貰った和紙。茶色の紙は「吉野杉皮和紙」、白の紙は「宇陀紙(国栖紙)」だ。さて、何に使うか・・・楽しみだ。名刺の少しピンクがかったほうは、桜の草木染めだ。
また、冬の吉野川の冷たい中で、白い布のようなモノ(楮の樹皮だったのだ)を洗っているのを見かけたことがある。
ということで、昨日は、吉野郡吉野町窪垣内にある「和紙の里」に、宇陀紙保存技術保持者の福西弘行さんとご子息の正行さん父子を訪ねた。
国道370号線から細い急坂をあがったところに「福西和紙本舗」があった。
庭に干し板に張り付けられた紙が並べられている様子を思い浮かべていたが・・・残念ながら軒下に板が積まれたままだった。
父子は、水で晒され綺麗になった楮(こうぞ)の樹皮のホコリや不純物をナイフでそぎ落とす「徐塵(ちりきり)」という作業中であった。根気のいる地味な仕事である。
快く迎えて頂き、作業工程と作業場を案内してもらう。
午前中に桜の樹皮で染めた紙を漉いていたとか。これは草木染めといわれるもので、紙漉き場に漉いたピンク色の紙(になる前のもの)が10cmほどの高さで積まれていた。暫くすると、松板に張り付け乾燥させるという。
漉き槽には少し赤みがかった水が溜まっていた。
作業場の壁には、昔の作業工程が写真にして掲げられている。吉野川で洗っているもの、釜で煮ているもの、漉いているものなどなど。
また、自宅の玄関の軒下には薬師寺・高田好胤管長が亡くなる半年前に書かれた扁額が掛けられ、墨書もあるという。
どういうかかわりがあったのか・・・恐らく、「紙と書」で、かなりの交友があったのだと推察するが・・・。
途中で手を止め、漉いた紙の見本を見せてもらうことに・・・・。
隣の部屋には、和紙がアチコチの棚に無造作に積まれている。
薄い桃色、薄紫色、茶色、白色、薄い紙、厚い紙などが・・・。
近年は、インテリアとして見直され、個性的に使われることが多いとか。 行灯や電気スタンドの笠としても・・・。
和紙に柿の渋を塗ると虫がつかず「柳梱(ヤナギコオリ)」に張られる人もいて、注文があるとか。何百年ももつという。
和紙は繊維が長く引っ張っても破れず、思いっきり引っ張っても千切れなかった。
壁には文部大臣、知事などの表彰状がズラリ。また、著名な方からの和紙に書かれた礼状や書・画の作品が・・・いっぱい。
さすが、各地で手漉きの実演をされているためか、説明も滑らかです。
『吉野川で楮(こうぞ)を洗って、それを煮て、叩き潰し、漉き槽の中に入れて、木糊の液を加え、スダレの上に手際よくスキ上げて、積み重ね、水を切って、1枚1枚丹念に板に張り上げて出来上がります。』・・・と。
『吉野の紙の存在が一般的に知られるようになったのは、近世徳川期に入ってからであるとか・・・。
伝記によると、「壬申の乱」で吉野に兵を挙げた、大海人皇子が国栖の里人に紙漉きと養蚕を教えたのが始まりである。』と言われている。
朝廷や寺院に納めるのに都合の良いこの地で普及したのも頷けます。 明治中期まではこのあたりは原料の楮(こうぞ)が栽培されていて、村の半数の300戸で和紙づくりが行われていたが、戦中・戦後以降、需要が減り、洋紙に圧されて、今や数軒にまで減っているという。
福西和紙本舗では、宇陀紙(国栖紙)と言われる掛け軸の総裏紙と、美栖紙(表装用中裏紙)、吉野紙(薄くてキメ細かく、美栖紙と同じ)、吉野杉皮和紙(洋風クラフトなど工芸材料などに)、草木染め和紙(原料の楮に、桜・あけび・ねむ・トマト・ヨモギ・アイ・サカキ・栗のイガなどの樹皮を炊き出して混ぜ合わせたもので、植物の色彩が好評)の4種類を造っておられという。メインは、宇陀紙(国栖紙)であるが、最近は草木染め和紙が多くなっているという。
10名ほどで紙漉き体験を希望すれば、かなえて貰えるそうだ。
桜の草木染めの名刺を頂いた。また、キズものなので、と手元にあった吉野杉皮和紙と吉野紙をカミさんは貰っていた。
毎年春に、近鉄百貨店(上本町)で、実演するという。
案内状を送付するから是非、来て欲しいと誘われていた。
宇陀紙保存技術保持者の後継者としてご子息が修業中だ。
既に、楮(こうぞ)を煮る作業を任されているとか。
煮すぎると繊維が溶けてしまうため、この作業には気をつかうという。
『かなり難しいが、もう大丈夫ですわ。』と嬉しそうに話されていた。
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「吉野・紙漉きの里」。向こうの山の手前に「吉野川」が・・・。
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この地が手漉き和紙の発祥であることを示す案内看板。
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楮(こうぞ)樹皮のホコリをそぎ落とす「徐塵(ちりきり)」という作業中の福西さん。
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作業場の壁には作業風景の写真が・・・。
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紙漉き場には、午前中に漉かれたピンク色の紙(になる前のもの)が10cmほどの高さで積まれていた。
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作業場の軒下には、漉かれた紙を天日干しするための松板が立てかけられていた。
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玄関の軒下には薬師寺・高田好胤管長の扁額が・・・。
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各種の賞状と、礼状や作品などが・・・。
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色々な種類の紙を見せて頂いた。薄緑色、薄黄色、紙の色から草木を想像するのも楽しいものだ。
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福西さんが、実演の時に着られている「和紙の服」。3年間着ていてもしっかりしている。
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カミさんが貰った和紙。茶色の紙は「吉野杉皮和紙」、白の紙は「宇陀紙(国栖紙)」だ。さて、何に使うか・・・楽しみだ。名刺の少しピンクがかったほうは、桜の草木染めだ。
柔らかな印象があるのに素材は丈夫で・・・。
わが家にも照明器具のカバーに使用されているのがありとてもよい雰囲気です。
ジャンケンで石を包めるのは和紙ならではです。コピー紙では破れてしまいますからね。
日本の素晴らしい伝統の手仕事はどんどん廃れる一方。それだけ作業が大変ということなんでしょうね。
先日も養蚕が危機状態にあると聞いたばかりです。
清少納言は新しい紙を見ると幸せになると枕草子に
書いています。
こんなに紙が溢れている時代でも、手漉きの和紙を見るとあったかい気持ちになって、欲しくなりますもの。
桜の草木染めの名詞なんてステキですね。