周りが秋色に染まり、涼しくなってくると、何かと物思いにふけることが多くなる。
昔、新聞か本で読んだ「四季のこころ」が、思い出されます。
澄み渡った秋空のもとで、澄んだ心で、新しい自分作りをしたいものです。
「人に接する時は 春のような暖かい心で」
「仕事をする時は 夏のような燃える心で」
「ものを考えるときは 秋のような澄んだ心で」
「己を責める時は 冬のような厳しい心で」
でも最近は、季節感が無くて・・・・。
秋だからといって、澄んだ心が持ちにくくて・・・・。
「冷たい心、冷めた心、濁った心、甘ったれた心」が多くなったのは、気候変動のせいにするつもりではないのだが・・・。
心に沁みる言葉・・・・こう在りたいものと思います。 儒学者佐藤 一斎(岩村藩士)の著「言志後録」の中に、「春風をもって人に接し、秋霜をもって自ら粛む。」と云う言葉がありますが、ある上司が此の言葉を好み、若い頃、何回となく挨拶文に挿入した原稿起案を指示されたことがあります。意味するところは、書かれている「四季のこころ」と同じだと思いますが、不幸なことに此の上司の言行は「春風秋霜」ではなく「秋霜春風」ではなかったかと今も思ってますが、自分だけは逆で在りたくないと肝に銘じてます。
「呼んで」は「読んで」の間違いです
よーく心に刻んでおきます、なかなか実行できなくて・・・・
底意地が悪く、心は腐っているなと思っているこの頃です。ブログのある人の紹介で「徒然草的生き方」江坂彰を呼んでいます。少しは改心できるかも・・・・・
季節感は持ちにくいですね。空調はいたるところで効いているし、
野菜、果物も旬に関わらず店頭に並べられる昨今です。
でも、今日の夕方の西の空の雲の美しさは見事でした!
会社にカメラを持って行けばよかったと後悔するほどの秋空でした。