司馬遼太郎の「坂の上の雲」で、主人公の秋山好古が、新聞を読んでいた弟・真之に「自分の考えをもっていない人間が新聞なんて読むな」と言って新聞を取り上げるという件があります。
「坂の上の雲」を読んだのはもう10年も前で、その時はあまり気にも留めていなかったのですが、ここ最近、秋山好古の考えが理解できるようになってきました。
仕事上、自分の業務に関係する記事を5大紙並べて読むことがあるのですが、論調が明らかに違う。
当然、自分の業務に関係することですから、動向も事情の内情もある程度知っています。その知っている人間から見ると、明らかに公平性を欠いた一方的な記事を目にすることがあります。
新聞だけではありません。ニュースもそうです。会議の内容を報道するとします。あるニュース番組は、会議の発表者が会社として回答できないことを説明するところだけを報道し、「この会社は隠ぺい体質だ」と視聴者に訴えかけます。
でも、その会議を傍聴していた私は知っています。その会社は「答えられる質問には答えている」ことを。そもそも、質問者が聞いていることは、およそ通常の株式会社では答えない質問、答える義務のない質問です。
この一方的な新聞社、ニュース番組だけを毎日読んでいると、自分の考え方が確立していない場合、偏った考え方の人間になってしまいます。新聞を1紙だけ読み続けることの怖さを最近感じています。
もちろん、人の考えはいろいろです。一つの事実も表から見るのと、裏から見るのでは全然受け止め方も違います。だから誰からも見ても「公平な報道」というのはないかもしれません。
新聞社やニュース番組に文句を言うのではありません。
秋山好古が言っているように「自分の考えを持つ」ということが大事だと言いたい。
しっかりと自分の考えを持つことが、より良い世論を作ることにつながるんでしょうね。