夜、23時頃、圏央道から関越道・上信越道・道の駅「小布施」まで、思い込んだら・・・いささか遠~~~~~~~~い。
翌朝、道の駅「小布施」の朝市が始まっている。女房は、果物が安いと言って、しこたま買い込んだ。
始めて、善光寺に行った。おばあちゃんが多い。
女の地蔵?・・・ぬれ仏(延命地蔵尊)。「江戸の大火を出したといわれる八百屋お七の霊を慰めたものという伝承が伝えられているため、俗に『八百屋お七のぬれ仏』とも呼ばれている」。本当に、珍しい。
六地蔵。おばあちゃんとおじいちゃん達に、若い説明の人が冗談を言って笑わせている。
焼香。私も失語症と右手足が良くなりますように。
願此香華雲 遍満十法界 無遍佛土中 無量香荘厳 具足菩薩道 成就如来香
びんずる(賓頭廬)尊者。失語症と右手足が良くなりますように。女房は、うっとり(?)
「牛にひかれて善光寺まいり」。一茶の俳句「春風や牛に引かれて善光寺」と「開帳に逢ふや雀も親子連」。私も、一句「善光寺、足が痛いは、湿布貼って」(季語?)、「善光寺、ああ夏の日に、足痛い」。
蕎麦は香りもしないし、出汁も醤油をうすめただけなよう・・・。
以前、福生市に住んでいた。あまり関係ないか!
長野県信濃美術館「東山魁夷館」に行った。
入ると、すぐに、「道」がある。東山魁夷「・・・道っていうものはやはり際限の無い道を誰でも歩いていって、途中で期限が切れるわけですけども・・・」
私の偽りの人生、病気になって始めて思い知った。
宮崎の田舎の風景を思い起こさせるし、なぜか涙が出てくる。
挿絵は衝撃的であった。こんな絵もあった。
千曲川を渡る。
「小諸なる古城のほとり」島崎藤村
「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず 若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る」
小布施で、北斎館に行った。
北斎「椿と鮭の切り身」・・・いいなあ!
西瓜と和紙と包丁。
「あしたにむかって」
すずきあき さん
http://vinca.doorblog.jp/archives/51473214.html
葛飾北斎80才の作品「西瓜図」は七夕行事「乞巧奠」に因んでいるという解に感心させられました。
「乞巧奠」(きっこうでん)とは宮中の年中行事で、七夕の夜に行なわれます。平安時代から行なわれており「星祭」とも呼ばれます。
古の宮女たちは、縄に紅白の糸を掛け、その下に水を張った【角盥】つのだらいを置き星明りを写しました。その星明りで針に糸を通して吉凶を占なったそうです。
また、水盤には「梶」(かじ)の葉を浮かべ、牽牛(彦星)と織女(織姫)の天の川での逢瀬を愛でました。織女三星(琴座)牽牛三星(鷲座)がその星です。梶の葉は、二人が逢瀬につかう船の「舵」(かじ)を洒落ました。梶の葉には、各々の願い事を書き五色の糸を通して吊るし、星に願いをとどけたそうです。
乞巧奠の外郭を経て『西瓜図』を拝観すると。半切りされた西瓜の皮は漆黒に塗られています。西瓜は水分を多く含むことから「水瓜」とも呼ばれ、【角盥】つのだらいを見立てているのではないかという説です。西瓜に被せられた水気を帯びた和紙、どうして和紙か?という答えには「梶」の葉が考えられます。「梶」は和紙を作る原材料の「楮」(こうぞ)の類に属します。そこで北斎は和紙で「梶」の葉を見立てたようです。包丁は西瓜の上に置かれ、柄ははみ出しています。これは【角盥】つのだらいの角を表しているのかもしれません。よく見ると、包丁には三星が写りこんでいます。そうすると、上から吊るされた紅白の西瓜の皮は、星占いにつかう紅白の糸となるでしょう。北斎という画号は、日蓮宗の妙見(北斗七星)信仰に基づいており、本人も星や天体をたいへん信仰していたそうです。一見、風流な夏の静物画に見えますが、意味を持って拝見すると、謎解きのようで大変興味深い鑑賞が出来ます。
『室礼』ではさまざまな「見立て」を飾ります。日本の洒落文化に微笑します。
7月7日「視点・論点」の放送をまとめる
木曽路名所一覧では、木曽路の他に、江戸・大宮・それに日野まで描いている。かなり、デフォルメしているが、事細かに描いている。
北斎は、祭り屋台の絵まで描いている。
小布施堂に行き、落雁を買ったし・・・
桝一市村酒造場に行き、もち米純米酒「州」と純米酒「スクウェア・ワン」を買った。なかでも、「もちごめ」(糯米)が珍しいと思った。