昨日、長崎平和祈念式典をリアルタイムで見る事が出来なかったので、せめて新聞の記事だけでもしっかり読んでおこうと目を凝らしていたら、社会面にこんな記事を見つけました。
中日新聞 8月10日(金)朝刊の記事です。
長崎で原爆投下により傷ついた人達の生きる糧になった救援給食、その9割超がおにぎりだった。その多くは郊外在住の女性たちが握り、市中心部に運ばれ太その数は10日間で約60万個だったそうです。
戦時中の折、いわゆる銀シャリのおにぎりを食べる事はなかなかできなかっただけに、突然大きな恐怖と苦しみと痛みの渦中に巻き込まれた人たちにとっては、とても力強いエネルギーを貰えたのでしょう。
「うまかった」と言う言葉を残して息絶えた人たちもいたそうです。それは本当に悲しく残念でなりません。
しかし、当時おにぎりを食べて、被爆後の戦後を生き抜いてきている人たちもいられるそうです。
日本人のソウルフードとも言えるおにぎり。
今こうしている私も、さっきまで暑さでかなりしんどくなっていたのですが、この記事を読んでふっと思いつき、お仏壇に供えてあったお仏飯を小さなおにぎりにして食べてみました。
そしたら…何となく元気が出てきたようです。やっぱりお米の力ってすごい!
食べる事って嬉しい!ありがたい!
こんな力を持っているお米を十分に食べられなければ、戦争に負けるのは当たり前なのかもそれません。
長崎原爆の日の翌日に、そんなことを思って書き綴ってみました。
中日新聞 8月10日(金)朝刊の記事です。
長崎で原爆投下により傷ついた人達の生きる糧になった救援給食、その9割超がおにぎりだった。その多くは郊外在住の女性たちが握り、市中心部に運ばれ太その数は10日間で約60万個だったそうです。
戦時中の折、いわゆる銀シャリのおにぎりを食べる事はなかなかできなかっただけに、突然大きな恐怖と苦しみと痛みの渦中に巻き込まれた人たちにとっては、とても力強いエネルギーを貰えたのでしょう。
「うまかった」と言う言葉を残して息絶えた人たちもいたそうです。それは本当に悲しく残念でなりません。
しかし、当時おにぎりを食べて、被爆後の戦後を生き抜いてきている人たちもいられるそうです。
日本人のソウルフードとも言えるおにぎり。
今こうしている私も、さっきまで暑さでかなりしんどくなっていたのですが、この記事を読んでふっと思いつき、お仏壇に供えてあったお仏飯を小さなおにぎりにして食べてみました。
そしたら…何となく元気が出てきたようです。やっぱりお米の力ってすごい!
食べる事って嬉しい!ありがたい!
こんな力を持っているお米を十分に食べられなければ、戦争に負けるのは当たり前なのかもそれません。
長崎原爆の日の翌日に、そんなことを思って書き綴ってみました。