蘇州大学「酔話会」

不問過去的事、在中国生活快楽、交換消息

中国江蘇省蘇州市蘇州大学
高嶺者留学生の談話室

台風の名前

2012年08月09日 | 学習

   最近、台風が立て続けに中国に上陸している。6月30日には台風6号(中国名:杜蘇rui)が広東省珠海に、7月24日には台風8号(中国名:韋森特)が広東省台山に、8月2日には台風10号(中国名:達維)が江蘇省陳家港に、8月3日には台風9号(中国名:蘇拉)が福建省福鼎に、8月8日には台風11号(中国名:海葵)が淅江省象山に、それぞれ上陸し、大きな被害も発生している。昨日(8月8日)は蘇州も風雨が激しく、とても外出する気にはならなかった。




   日本では台風の呼称として、「台風○○号」のように、その年に発生した番号で呼ぶことが一般的であり、固有の名称を聞く機会は殆どないが、中国では上記のような固有名称で報道されることが一般的である。実は2000年1月1日から、アジアで発生した(正確には北緯0~60度、東経100~180度で発生した)台風には、国際的に共通の固有名が付けられている。それ以前、戦後の米軍占領下では、アメリカ式の名前(カスリーン、キティ、ジェーン等)が付けられ、サンフランシスコ講和条約後の1953年以降は番号順の呼び方になり、特に被害の大きかったものには特別の名前(伊勢湾台風、第2室戸台風等)が付けられることもあった。アジア名は、米国とアジア各国(計14地域)で構成された委員会が命名している(実務は日本の気象庁が担当)。各国(地域)がそれぞれ10個の名前を持ち寄り、合計140個の名前を順番に付ける決まりになっている。具体的には下記のような順番で命名され(年度が変わってもリセットはされない)、140番目(ベトナムのSaola)まで使い切ったら、再び最初の名前(カンボジアのDamrey)から繰り返される。 

順番       命名国                英文名                 中文名      2012年
01-01     カンボジア           Damrey                 達維        台風10号
01-02     中国                  Haikui                   海葵        台風11号
01-03     北朝鮮               Kirogi                    鴻雁        台風12号 
01-04     中国香港            Kai-tak                  啓徳        台風13号
01-05     日本                  Tembin                 天秤        台風14号
01-06     ラオス                Bolaven                 布拉万      台風15号
01-07     中国澳門            Sanba                   三巴
01-08     マレーシア           Jelawat                 傑拉華
01-09     ミクロネシア         Ewiniar                  艾云尼
01-10     フィリピン            Maliksi                   馬力斯
01-11     韓国                  Gaemi                   格美
01-12     タイ                   Prapiroon               派比安
01-13     米国                  Maria                    瑪莉亜
01-14     ベトナム              Son Tinh               山神
02-01     カンボジア           Bopha                   宝霞
02-02     中国                  Wukong                 悟空
    ・           ・                         ・                        ・
    ・           ・                         ・                        ・
    ・           ・                         ・                        ・
10-13     米国                  Vicente                 韋森特       台風8号
10-14     ベトナム              Saola                    蘇拉         台風9号

   アジア地域の年間台風発生数は約25個なので、今年の台風10号で、ちょうど3回り目に入ったことになる。

   因みに、日本が名付けた10個は、Tembin(テンビン) Yagi(ヤギ) Usagi(ウサギ) Kajiki(カジキ) Kammuri(カンムリ) Kujira(クジラ) Koppu(コップ) Kompasu(コンパス) Tokage(トカゲ) Washi(ワシ) で、全て星座の名前が由来となっている。他の国(地域)は、動植物名・人名・地名等が多いのだが、全て現地語なので、他の地域の人には名前の由来がわからない。なお、米国ではABC順にあらかじめ用意した男女の名前を交互につけている。

(文責:y)


ものずき

2012年07月15日 | 学習

きのう午後、新区桃園度暇村であった蘇州ビジネスフォーラムS-SBFの催しに参加。S-SBFは5年前に発足、今回が29回目。現行会員は約200名、きのうの出席は中日約半数ずつ計34名。今年は、ビジネスの話から少し離れて、歴史文化のテーマをとりあげており、なかなかの人気。わが酔話会からも、ものずき3名が参加。以下、どんな話だったか、紹介してみよう。

今回のテーマは「中日熟語(諺語)の比較から両国文化の差異を読む」。講師は沈鷹さん56才。日本語教師を経て1993年ソニーケミカル入社、蘇州に5つの会社をたちあげ、現在は積水行政人事部長。インストラクターとして貢献。沈さんは、日本の歴史文化通。それでも日本人に日本文化を語るのは、釈迦に説法、班門弄斧のようなものだが、とことわって話し出した。

日本各地のかくれた歴史文化遺産を歴訪し、日中の文化の差異に瞠目した。毎回招かれる積水社長の宅では、いつももてなしの茶菓子の心遣いに文化を感じ、植木屋の理髪師のような刈り込みのていねいな仕事に気配りを見た。積水の社名は創始者であるチッソの野口社長が当時孫子の兵法“積水の力”からとった。

沈さんは、歴史勉強の目的を生き方の鑑とするという唐の太宗の名言に求め「新しい歴史教科書」「日本史1000人、上下巻」を通読して歴史上の人物の生きざまを学んだ。しかも、現場主義に徹して、各地の歴史舞台に足を運んだ。その時の映像をスクリーンに投影しながらの説明。その見る視点が面白い。

例えば、久里浜のペリー記念碑(伊藤博文揮毫)の画には、「ペリーは侵略者か?」とコメントを挿入。伊勢神宮の式年遷宮。なぜ20年ごとに遷宮するのか?宮大工の技術継承のため?神様に気分転換してもらうため?こんなことをまじめに聞いてまわっている。日中文化の審美観はちがうと題して、二条城と故宮、白川郷と無錫団地の写真を併掲。

ことばの意味の違いでは、仕事と工作。指示されて仕えるのが仕事、自ら工夫して作るのが工作。長崎の博物館の玄関に温故知新の木板が掛けられていたが、中国では普通学校で習ったことを復習しなさいという意味。博物館には掛けない。

1339年後醍醐天皇が隠岐に流される時、児島高徳が行在所に忍び込み、桜の幹に「天莫空勾践,時非無范蠡」天コウセンを空しゅうする莫れ、時にハンレイなきにしもあらず、の十字の詩を書いて臥薪嘗胆して再起を期されよ!と天皇を励ました話など沈さんの話題は豊富。

さて、本題の中日諺の比較:

全部で112の諺をあげて、中日対比し、その異同の特長により9つに分類して紹介。

つぎに、9つの分類順に、よく知られた1~2句を紹介してみよう。

1.形義相同

一衣帯水はきわめて近いこと。同軌同文 は同文同種とは言わない。

2.形近義同

郷に入れば郷にしたがえは入郷隋俗。

3.形異義同

足を洗うは金盆洗手。両方とも博打をやめることだが、日本は足だが、中国は手。

馬の耳に念仏は対牛弾琴。日本は馬、中国は牛。

4.形異義近

我田引水は自私自利。

可愛い子には旅をさせよは棒打出孝子。中国の方が直接的。

うちの米飯より隣の麦飯は家花不如野香花。このての話は、どちらも隠喩。

5.論理推論の差:日本語の方が論理的?

美味しくて頬っぺたが落ちそうは鮮得眉毛也要卓下来了。美味いなら落ちるのは頬っぺたの方が眉より理屈に合う。

法螺を吹くは吹牛。法螺は吹けるが、牛を吹いてどうするの?

6.国情文化差別

くろうとは内行。しろうと、とうしろうは外行。日本の黒と白は中国では内と外。

7.具体抽象差別:日本語は抽象的、中国語は具体的

風上に置けぬは臭不可聞。

花より団子は眼福不如口福。

8.巧用人体詞;日本語は体の部分をうまく使う

鼻が高いは得意揚揚。

首を切るは解雇。これはコワイ。

9.巧用通俗比喩;日本語は物に託していう、中国語は直接表現する

取らぬ狸の皮算用は如意算盤。如意棒でそろばんの方が直接的。

太鼓判を押すは保証没錯。太鼓判つまり大きなハンコと物に託している。

まだまだ面白いのがあるが、実は日本語にない漢字がかなりある。簡体字で書くとブログへ載せた時点で文字化けするので、割愛せざるを得なかった。

午後3時にはじまった講演は2時間を越えた。このあと、参加者一同2階のレストランで大テーブル2卓を囲んで蘇州料理で乾杯。一同あらためて、日中ことわざを披露しあいながら、話に花が咲いた。大山鳴動鼠一匹は中国の諺かと思って、山東省へ行った時、泰山鳴動老鼠一只と言ったら、中国では雷声大、雨点小ですと教えられたと話したのはぼく。沈さんは、中国人は文章にも会話にも頻繁に成語(諺)を入れるが、日本では頻度が少ない。日中文化の違いもあるが、日本の諺は語数が多いので、入れにくい面もあるなどと話した。沈さんのぼくらの目線とは一味違う視点からの話は、眼から鱗が落ちる感をもった。

 傾聴でつかれた頭に紹興酒がここちよい。帰りは、代表幹事のセツさんが車で3人のものずきを送ってくれた。多謝。 さわ


われらが母校

2012年06月13日 | 学習

酔話会でわれらが母校といえば、、、いわずと、、、蘇大海外教育学院。と、おおみえをきったが、その具体像を語れと言われれば、はなはだ心もとない。そこで、学院幹部に最近お話をうかがう機会があったので、紹介。

蘇州大学では、各学部で留学生を受け入れており、中国語学習だけとっても、四年制大学として、文学部本科、また韓国大真大学蘇州分校も蘇州大学内にあり韓国人大学生を受け入れているなど、多様であるが、今回は東校区文輝楼を校舎とする海外教育学院に限って話をすすめていただいた。


                        蘇州大学 海外教育学院 文輝楼

先ず、学院の歴史:

学院設立は30年前の80年代初め。2003年から留学生受け入れ規模拡大。2009年からは、国の奨学金対象校となり更に発展。

現在の留学生受け入れ状況:

半年以上の留学生を長期留学生、一ヶ月内外の留学生を短期留学生と呼んでいる。今学期は長期留学生50カ国、430名。韓国30%、日本20%、アメリカ、欧州の順。年齢層は若者が多数ながら、現役大学生から、フリーター、企業駐在員、その奥様、退職高齢者などさまざま。学費負担面では、本人自費留学のほかサウジアラビアなど派遣国側国費留学、アフリカなど第三世界からの中国側受入奨学金留学、アメリカ、フランス、日本などの大学との大学間相互受け入れ協定による留学など多様。

短期留学生は姉妹提携している友好校から受け入れている。今年中日本、韓国、アメリカ、フランスから20グループ、約300名受け入れる。ちなみに、日本の友好校は、宮崎公立大、京都産業大学、立命館、関西学院、金沢大、国士舘大、群馬女子大、和洋大、関東国際高校など十校。

最近の傾向:

韓国、日本からの留学生数はかわらないが、アメリカ、ヨーロッパからの留学生は増えている。彼等は学院卒業後も中国で働くことを求めて来ており、実際中国国内の合弁企業等に就職している。蘇州大学でも2009年から国費奨学金が出せるようになり、特に第三世界のアフリカからの留学生が増えてきた。実は今年に限り、日本からの留学生が増えたが、理由はわからない。東日本大震災が影響したのかも?

留学生気質:

私費留学の多かった90年代に比べ最近の学生はまじめに勉強するようになった。交換留学大学生は留学の成績が単位に組み込まれているのでよく勉強する。2009年から成績が良ければ国費奨学金を受けられるようになったので、成績も上がった。新HSK漢語検定試験で上級の5~6班の学生は最高レベルの6級がとれるだろうし、留学生全体の半数は4級がとれるとみている。

国別長短:

日本人、韓国人は漢字に強く、読み書きが得意。目で読めてしまうし、漢字である程度意思疎通できるので、会話がおろそかになる。その分発音は苦手。欧米人ははじめ漢字が書けないので、音でコミュニケーションするしかない。その分聴き取り、話しが早く上達する。しかし、中国で就職するには、漢字の読み書きが必須、やはり彼らにとって漢字のハンディは大きい。

日本人留学生:

長期留学生は韓国に次いで多く、今学期は約90名。交換留学の大学生、一般大学生など若者、日系企業の駐在員の奥さん、退職高齢者など。高齢者留学生十数名のほとんどは日本人。彼等は自分で勉強するだけでなく、指導的役割も果たしている。日本人は総じてまじめ。

今後の取り組み:

第12次五カ年計画(2011~2015)で留学生の規模を拡大することが計画に入っている。韓国、日本だけでなく欧米その他の国からの留学生が更に増える傾向にあり、中国で就職を求める学生も増えているので、そのニーズに応えて適切な授業ができるように改善を積み重ねる。

また、第三世界の東南アジア、アフリカの留学生をもっと受け入れる体制を強化しなければならない。教え方、教える内容についても研究しなければならない。例えば、更に上級に進みたい学生には総合学習を、会話能力だけをつけたい学生には会話だけを教える入りやすいクラスを準備する等これから考えていかなくてはならない。

以上でした。 z


シュリーマンの外国語習得術

2012年05月23日 | 学習

   学習カテゴリーに初めて投稿。ドイツ生まれのハインリッヒ、シュリーマンは、ホメロスの古代詩に魅せられ、貧困の中からインジゴの取引によって財をなし、44歳のとき引退してすべての財をなげうって、少年時代の夢、考古学に没頭。このとき日本は明治維新、そのさ中、横浜と江戸にも来た。そしてトロイ、ミュケーナイ、ティーリュンスを発掘、1890年六十八年の生涯を閉じアテネに永眠。彼が読み書き話せる外国語は実に、英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、ギリシャ語、ラテン語、アラビア語など十か国語以上。少年の夢を生涯追い続け、数々の歴史的発見をなしとげた発掘王が自伝に曰く「少年時代の貧困こそが、そして、一生懸命勉強すれば、この貧困から抜け出せるという確実な見通しこそが、何にもまして私をはげまして勉強させたのである。私はこのとき、必要に迫られて、外国語習得法をひとつ見つけたが、この方法を用いるとどんな外国語もひじょうに楽に覚えられる」と。鉄人のやりかたが、凡人にも通用するなら、われら語学留学生にとっても福音。どれどれ、、、。

1.先ず声を出して多読する。

2.短文を訳す。

3.一日一時間は勉強する。

4.興味あることについて、いつも作文を書く。

5.その作文を先生に訂正してもらい、暗誦する。

6.日曜日に教会へ通い、説教の一言一句を小声で繰り返す。

7.出かける時は、手に本を持って、待ち時間には、何かを暗誦する。

こうすると、三ヶ月後には、予め注意深く熟読しておくと、20ページにわたって印刷された散文を先生の前で一字一句間違えずに、らくらくと暗誦できるようになった。

眠れなくて、目がさめている夜の時間は、晩に読んだことを、頭の中でもう一度繰り返してすごした。記憶力というものは、夜の方が、昼よりもはるかに集中される。私は、初めて学んだ外国語である英語に半年で精通した。

強烈な目的意識、並外れた集中力があったとはいえ、シュリーマンのとった方法は、凡人の想像を絶するものではない。不肖、ぼくも6を除き、一応全部試みた。シュリーマンとの差は、強烈な目的意識と持久力。蘇州在住五年経過も、漢語一言語でさえ精通には程遠い。

すべてを従えて夢に向かって力強く前進する人生はまぶしい。シュリーマンの仕事の忠実な協力者だったデルプフェルトは友人として、また、ドイツ学会の代表者として、こう告別の言葉を呼びかけた「安らかに休んでください。あなたは十分に仕事をなさいました!」

半世紀後に生まれたぼくらにも、彼がバトンを渡そうとしているような気がする。気がつくのが遅かったか?まだ、間に合うか?


ロバ(別名:うさぎうま)

2012年05月14日 | 学習

ロバ肉を賞味したついでに、ロバを題材にした中国の寓話を紹介します。

                       黔之驢      柳宗元
   黔无驢,有好事者船戴以入。至則无可用,放之山下。虎見之,pang然大物也,以為神。蔽林間窮之,稍出近之,yinyin然莫相知。
   他日,驢一鳴,虎大駭,遠遁,以為且噬己也,甚恐。然往来視之,覺无異能者。益習其声,又近出前后,終不敢搏。稍近,益狎,蕩倚冲冒,驢不勝怒,蹄之。虎因喜,計之曰:“技止此耳!”因跳踉大㘎,断其喉,尽其肉,乃去。
   噫!形之pang也類有,声之宏也類有能,向不出其技,虎雖猛,疑畏卒不敢取;今若是焉,悲夫!

  黔(現在の貴州省)にはロバはいなかったが、ある物好きが船に乗せて連れて来た。ところが何の役にも立たないので、山の麓に放してしまった。虎がロバを見て、何と大きな動物、神ではないのかと思った。林に身を隠して様子を窺い、しばらくして近づき、注意深く観察してみたが、何者かは分からなかった。
  ある日、ロバが嘶くと、虎はびっくりして遠くへ逃げ、食い殺されるかもしれないと恐れた。しかし戻ってきてロバを見ると、特にこれといった力もなさそうに思えた。鳴き声にも慣れ、また近づいてロバの前後を歩き回ったが、襲う勇気はなかった。虎はだんだんロバに近づき、からかって、わざと体をぶつけてロバを怒らせてみたところ、ロバは我慢できず、虎を蹴りあげる動作をした。虎はこのことで喜び、「お前の技はそれだけか!」とロバに襲いかかり、喉に噛みついて倒し、その肉を食べつくし、去って行った。
  ああ、体が大きく徳行もありそうで、鳴き声も伸びやかで能力もありそうなロバだが、その弱点を露わにさえしなければ、凶暴な虎といえども恐れをなして襲わなかっただろうに、このような結末になって何とも可哀そうだ。

作者の柳宗元(773-819、別名“柳河東”)は、唐時代の文学家・政治家で、「唐宋八大家」のひとり。
(唐代の韓愈・柳宗元、宋代の欧陽修・蘇洵・蘇軾・蘇轍・王安石・曾鞏)

この寓話から、下記の成語が生まれている。
  pang然大物:途方もなく大きなもの。強そうに見えるが実はうどの大木。見かけ倒し。
  黔驢技窮/黔驢之技:手の内(貧弱な対抗策)を出し尽くして窮地に陥る。化けの皮がはがれる。

上記以外にもロバは成語や諺によく登場するのだが、概して、うすのろ・馬鹿のイメージが強い。本来は、利口でペットにもなる愛らしい動物なのだが・・・(文責:y)


纏足

2012年04月29日 | 学習

中国には不思議な風俗習慣が数多くあるが、その一つである「纏足」について簡単に考証してみようと思う。

纏足(てんそく)」(中国語では、缠足chánzú/裹脚guǒjiǎoと言い、纏足をした足を小脚xiǎojiǎo/三寸金莲sāncùnjīnlián等と言う)

歴史的には、諸説あるようだが、五代十国時代南唐の末代君主であった李(在位961-975年)が足の小さな女性を好んだことから始まったという説が有力。北宋時代(960-1127年)以降、華北を中心に普及が始まり、徐々に拡大し、元朝末から明朝初期に最も盛んになった。但し、主に漢民族の間での習慣で、少数民族や女真族(満州族)には、あまり見られない。清朝の時代に纏足禁止令が出されたが、あまり効果がなく、辛亥革命以降、各地方政府が罰則を強化したことにより下火となり、文革時に反革命行為とされたことによってようやく根絶された。従って、現在でも70歳以上の老人で纏足の人が生存している。

女子が3-6歳になったころ、裹脚布と呼ばれる木綿の布で足を縛り、発育を押さえながら整形する。第一段階では親指以外の4本指を内側に曲げ、第二段階では足の甲を縦に曲げていく。約2年かけて整形が完了するが、その後も、3日毎に消毒するなどして生涯にわたって縛り続ける。纏足を施した足はハイヒールのような形状になる。

纏足の風習が流行した理由としては、足の小さいことが女性の魅力・女性美とされていたこと、女性の歩行を困難にすることで貞節を維持しやすくすること、バランスを保つために内股の筋肉が鍛えられ局部の筋肉も発達すると考えられたこと等がある。一時期は纏足を施していない女性には嫁の貰い手が無いとまで言われた。

写真やイラストでもわかるように、決して美しいものではないと思うのだが、このような悪しき風習が最近まで脈々と続いていたことには驚きを禁じ得ない。皆さんはいかがでしょうか?(文責:y)


活到老,学到老!

2012年03月06日 | 学習

本会は高齢者とはいえ学究の徒(?)が主体の集まりなので、「学習」というカテゴリーを追加しました。学習時の気づき、雑学・蘊蓄・トリビアの類、教えてほ酔話!、その他学習関連なら何でも投稿歓迎。
(但し、河村たかし的な発言はご法度で)

先ず手始めに、《論語・為政》から、

子曰:“吾十有五而志于学,
     三十而立,
     四十而不惑,
     五十而知天命,
     六十而耳順,
     七十而从心所欲,不逾矩。” (←后用“随心所欲”)

悲しいかな、この年齢になっても、惑うこと甚だ多く、天命は知っているつもりでも、時に人の言葉を素直に聞くことができず、心の欲するままに振る舞えば、ついつい矩(のり)を逾(こ)えてしまうことも・・・。
ただ、孔子様のような君子でなくても、齢を重ねてくると、すっと腑に落ちたり、ぐっと琴線に触れるような名言が、中国の古典にはたくさんありますよね。

次のは古典ではありませんが、似たようなパターンです。

     男人三十歳叫日立,
     男人四十歳叫正大,
     男人五十歳叫松下,
     男人六十歳叫微軟,
     男人七十歳叫聯想。

各句末に出てくるのは全て有名な企業で、「正大」は正大集団、「微軟」はマイクロソフト、「聯想」はレノボです。それぞれの漢字が持っている意味から何となくわかってきましたね。
     ヒント:「松」は樹木の松ではなく、「緊」の反対語のほうです。
私のは、すっかりマイクロソフト。あなたのは、まだまだ正大? すでにパナソニック? そろそろマイクロソフト? もはやレノボ? ええっ、まさかの日立!

これって本当に学習???

文責:(y)