蘇州大学「酔話会」

不問過去的事、在中国生活快楽、交換消息

中国江蘇省蘇州市蘇州大学
高嶺者留学生の談話室

遅れた、コメント、定例会

2012年03月30日 | 酔話会からお知らせ

OB会の後にコメントとおもいつつ在日本の我が家にわネツトがありません。OB会のコメントをUPしよょうかなと、ネツトカフェへきたらページがかわっていて、あいやー。

谷山氏、尾関氏、中西氏、三氏にはその節ありがとうございました。当日、新幹線の人身事故により一時間半ぐらいホームでまっていました。当日尾関氏は、在来線で帰宅、谷山、中西両氏と私は新幹線で帰宅。尚両氏は東海道線で東京へ、私は駅員に名古屋までどのくらいかかりますかと、聞いたら4~5時間とのことで、待つことにした。これは昼間の日本の出来事で、私は、これが、言葉も、地理も、判らない外国だったらと考えたら、ビビってしまた。昼間の日本の出来事なのに、私の夢は世界漫遊の旅なのに、、、、、あああああああああ。

お知らせ、4月6日金曜日に4月定例会を開催します。場所、時間は従来どうりです。

尚、場所については、同じところがつづいているので、別の場所で良いところがあれば連絡してください。

今日は、こんくらいにしします。田舎のネツトフエにて、酔話会怪長。

 

 

 


むかし「渋沢龍彦」

2012年03月27日 | つぶやき

むかし、と言っても還暦を過ぎたころだが、バックパッカーでたどりついたタイカオサンのドミに沈没していた頃、同世代のTと同宿した。Tとたまり場で酒を呑むうち、渋沢龍彦の話がでた。「快楽主義の哲学」。高校のころ熱中したそうな。 

六十年安保世代、アンチがかっこいい時代にデカダンは少数派。白状すると、ぼくも当時読んで、カバーをはがして本棚の奥に隠していた。あの頃の本はカバーをとると、白表紙。何の本かわからない。思うにその頃のぼくは、表むき社会改革派、樺美智子支持、その実自我意識ありありのデカダン。勇ましい連中が闊歩する表通りをしりめに、裏町でおおいばりで酒を呑んではばかることなくデカダンをいく渋沢栄一にある種のまぶししさを感じていた。

数十年が過ぎた。タイのカオサン、数十年前渋沢栄一に熱中したTと遭遇した。誰はばかることなく語れる。おかしかったのは、やつも当時カバーをはがして本棚の奥にかくしていたと言った。

ときは移り、快楽主義がなんかあたりまえの時代になった。主義なんてもったいをつけて言うのもおこがましい時代になった。でも、渋沢が裏町の酒場で吼えていたころは、別の意味で、現実社会への挑戦。彼が主義と表題した心意気よし。渋沢も還暦までとどかず。昭和末年この世を去ったが、快楽を吼える時代は去っていた。カバーをはがしてかくしたいのは、渋沢本人だったかも知れない。

ともあれ、そういう時代をたどりながら、今を迎えた自分をつむぎだしてくれた時の流れに感謝したい。z


うその科学

2012年03月26日 | つぶやき

こんなんは、ショートショートで書けるわけがない。でも、呑んでふと思ったことを羅列しておけば、あとは仲間がフォローしてくれるだろう。正岡子規も高浜虚子、河東碧梧堂に託したではないか。

うそはおそらくひとだけが言う。“かわうそ”もうそは言わない。なぜ、言うか?他を思いやるゆえに、、、自己弁護のために、、、ひとを乗せるために、、、いろいろある。「折れたたばこのすいがらで、あなたのうそがわかるのよ、、、」ひところ流行った細川?某のヒット曲。「男と女、あやつりつられ、、、」夢舞台。衝突をカバーする潤滑油にはちがいない。

昔、ぼくも、うそをついた。しかし、うそをつかない、いやつけない種類にひとがいたのを知っている。かりに、ぼくが、戦国の武将になったとしよう。うそをつけない側近は貴重。戦略を組み立てるのに、不動のレンガとなる。うそをつくかも知れないスタッフは、かりに才能があっても、重用のしかたがむつかしい。しかし、もともと、動機はともあれ、うそをつくのがひとのさが。そうゆうひとを使い切るには、うそを見抜くのではなく、うそをつかなくてもはげんでくれる状況をたえず維持するほうに、力を注ぐにしかず。

退職十数年、ぼくのまわりには、うそをつかなくてもすむひとたちばかり。やはり、落ち着く。でも、今でも、やさしさゆえにうそをついているひとを否定しない。ひとは、やさしさがいちばん。じゅうなんがいちばん。もっと話を展開したいんだが、アドレナリン切れ。z


プライオリティー

2012年03月21日 | つぶやき

ブログの訪問数をみていると、報告もいいが、なにか問題提起する話題に、みんなの関心が集まるようだ。そこで、コーヒーを飲みながら閑話休題。

時間と健康と金をどう使って、残された余生を生きるか? シニアなら誰しも、考えることだろう。この際、聖人君子の生き様はおいといて、ぼくら俗人の思考で話をすすめることとする。

寿命は天からのさずかりもの。健康は自己管理のたまものだろうが、いつ病気に見舞われるかは予測しがたい。金は、これからたいしたかせぎは望めないので蓄えか年金に頼らざるを得ないが、かなりの精度で計量化できる。

となると、思考のスタートは一定の金をどう使うかから考えるのが順序だろう。つまり、何に使って、何に使わないか。時間と健康をどの程度重く見るかによって、使い方は変わるだろうが。

ぼくの場合、目下健康に恵まれてるし、寿命もたっぷりありそうなので、病魔が突然来たり、天のお迎えが来たりしたときには、じたばたせずそれをゴールとしたい。また、唯物史観が身上なので、死後の世界は無。したがって、葬式、墓のたぐいは無用。金の話に戻ると、何に使わないか?健康保険、介護保険、葬儀、墓に使わない。健康で生きてるうちに使ってしまう。

どう使うか?読書と旅行。陳瞬臣の「中国の歴史」12巻はもう一度精読したい。司馬遼太郎のものも、もう一度全部読み直したい。年1~2回ふとパックツアーに参加して、バスの中からぼんやり街をながめてまわりたい。あとは、老朋友ととりとめのない話をしながら、うまい酒を呑みたい。

コーヒーでスタートしたが、締めはやはり酒。ひとによっては、ややついていけない部分があるかも知れないが、そこはガヤガヤ話のきりだし、そうは思わない、ややそう思うなどとガヤガヤ話をつづけて!  z


OB酔話会at熱海

2012年03月19日 | 酔話会からお知らせ

2012年03月19日 晴れのち曇り

熱海にて「OB酔話会」が開かれました。

今年は桜の開花が遅い日本の気候ですが熱海の桜は満開です。

遠路、関西から中西さん、中部から友さん、関東から谷山さん、尾関が参加。

やはり日本人、午後3時の集合時間に遅れることなく熱海駅前に全員集合、無料送迎バスでホテル「金城館」へ到着。

さっそく大浴場で旅の疲れを流し夕食。

久しぶりの再会、近況報告に花が咲きアット言う間の飲み放題90分が終了。

その後は部屋で静かに歓談、酔話会らしく高尚な話題・政治経済の話で盛り上がりました。

現在23時53分まだまだまだ話は続くね。

 


OB会

2012年03月18日 | 酔話会からお知らせ

第二回、OB会のおしらせを、谷山氏から連絡があり。私の帰国のスケジュールにあわせて、開催とのことで、私も参加しますと連絡。

谷山、尾関、中西、私(片山)の四名で、3月19日PM3時に、熱海に集合。

温泉、こんぱにおん??!。後日詳細をUPします。

田舎のインターネットカフェで、暇つぶし。tomo.


蘇州はかって世界最大の都市だった?

2012年03月18日 | つぶやき

きのう午後、新区の桃園でSBF(蘇州ビジネスフォーラム)主催第27回目の講演会があった。演題は「ガイドブックにない蘇州の歴史の見所」

代表幹事の薛さんから「我々は日ごろ蘇州でビジネスしながら、歴史を知らない。みんななんとなく‘山中にあって山を見ず’おぼつかなさを感じていたんだろう、SBF記録の45名参加いただいた。」と前置きして、講師紹介。

わが「蘇州歴史探訪会」会長荒木氏が壇上にのぼる。彼は、9年前新区商業街で蘇州美人の奥さんをみそめて結婚、一旦広州へ行ったが、蘇州に戻ってきて、4年前自分の会社設立。長女美穂ちゃんは8歳。ママとは中国語、パパとは日本語で話すが、やはり中国語が得意。「日本語がかすんでしまわなければいいが」と彼。「歴史会」のほかにも「懐メロ会」「国際結婚の会」などの世話をするやや控えめな社交派、夢枕獏似の48歳。その彼が、多忙の中、歴史探訪の経験に加え、十数冊の本と資料を読破してやっとまとめたレジメ。プロジェクターを使ってとつとつと説明する姿に人柄がにじんでいた。

先ず、歴史会の活動紹介。

2年前4月発足。孫武公園、孫武が「孫子の兵法」を書いた弩穹山公園、林彪アジト、孫武派兵出発地、司馬遼太郎「江南の道」取材通訳呉小媛さんを囲んで、無錫鴻山遺跡、蘇大日本語科教師手塚山学院学長を囲んで蘇州物好き探訪談義、ぼくのビデオ上映会、唐実書法園など。4月には孫武、文徴明の墓、6月は胡錦濤、梅蘭芳の故郷泰州見学を予定。ぼくも、1年前林彪アジト見学から参加、くしくも東北大震災の翌日だった。

さて、蘇州はいつ世界最大の都市だったのか?

1600~1850の頃、清代、人口百万人。(江戸が途中で追い越したかも)当時、江南の地は比較的平穏で、軍隊も小規模、従って租税も軽く、絹織物、紙、金銀細工などの産業とそれを取引する商業が発展したため、蘇州へ外地から多数移住してきた。絹織物職工数千人、染色工数千人、今の三香路道前街中間学士街との交差点に通じる万世橋付近が人口の密集地だった。夜は城内への通行が制限されるので、城外に位置し城内に近い万世橋に人が集まったのだろう。蘇州府のもとに3県が置かれたが、府下3県は全国唯一で、北京でさえ順天府下2県であった。

20分間の休憩後、古代史、中世史、近代史と続くが、あとは、コメント欄でぼちぼちメモってみよう。

午後6時、2階宴会場へ移動。荒木氏は正味2時間の独演会を終えて、放心状態。数週間ずぶん根をつめてまとめたらしい。容貌がますます夢枕獏に似る。とりあえず、彼の労をねぎらって、乾杯。こっちも、2時間、数千年の歴史物語傾聴後、ビールがかわいたのどを通る感触がなんとも言えない。勉強した後のビールののどごし感が病みつきになって、毎度SBFへも歴史会へものこのこ出かける。いつも、酒の話で締め。ご勘弁。z


巴蜀記

2012年03月11日 | 旅行

今日3月11日、東北大震災一周年。成都双流空港ラウンジで上海虹橋行き便を待つ間に、これをメモっている。四川地震から四年、「完全復興なった」宣言もされた蜀の地でこの日にこれをメモっていることに不思議を感じる。東北はあと三年後に「完全復興なった」宣言できるだろうか?

3月3日蘇州を発って蜀(四川)の国を9日間うろついた。巴(重慶)までは足をのばせなかったが、語呂をとって、巴蜀記とした。

先ず、きのうの話から。

3月10日、一週間の蜀の旅を終えて再び成都へ戻ってきた。午後2時、めずらしく晴れ、気温15度。明日は蘇州へもどるが、半日どうするか。

碧峰峡の野生パンダは小雨の中、木に登ってあたりを睥睨していた。濡れそぼって寂寥感さえ感じた。晴れた日のパンダはどうだろうと思いついて、成都大熊猫繁育研究基地へタクシーを飛ばした。交渉で片道80元。80元の元を取ろうと、運転席のとなりにすわって、話しかけてみた。ドライバー、顔はいかついが、けっこうのってきた。

名前は? 。 小平の? そう。 小、生まれは?成都。 歳は? 40。

(娘とおなじだ) 親父はいくつ? 43年生まれ。(ぼくよりふたつ下だ)子供は? 娘が一人、初中二。

向こうからも聞いてきた。

T:どこから来た? 蘇州。 何やってる? 中国語を勉強している。??? 中国人じゃあないの? 日本人。 へえー、地震たいへんだったね、マグニチュード9、四川より大きかった。 よく知ってるね。

T:親父が日本語を勉強していたから、自分も関心をもった。

ぼく:親父は抗日戦争の頃生まれたのに、なんで日本語に関心をもったの?

T:日本もドイツも戦争に負けたのに、なんであんなに早く経済大国になったのだろうと関心をもった。よくTVの外国ニュースを見る。親父も自分も。

車中の話は延々と続く。

T:日本は戦後教育を重視した。毛沢東は文革をやって、その間教育を空白にしてしまった。この差が大きかった。日本の天皇は政治の実権は持っていないが、尊敬されている。毛沢東も天皇みたいになって、政治は周恩来に任せればよかった。

成都のタクシードライバーは実に雄弁。国体の話になったので、こっちも興がのってきた。

ぼく:日本は島国だから万世一系の天皇で今まで来られた。

T:日本にも朝代の交代はあっただろう。  (やつはなんでも知っている)

ぼく:あれは同一民族内の政権交代で、中国のような他民族に征服されての交代ではない。

(つい、そのちがいを説明しようと、以下やや勇み足)

農耕民族の漢族は龍で、狩猟民族の元や満族は鵬だ。龍が長期支配で腐敗すると、外から鵬がやってきて、新しい中国を再生する。しかし、中国には伝統文化という麻薬がある。外から来た鵬もしばらくすると感化されて龍になる。それが腐敗するとまた鵬が来てとってかわる。それでも中国は今日まで欧州のように二十数カ国に分裂せず、一つの国体を保っている。なぜか? 中華思想、孔子だ。老子をとったら、分裂小国家、欧州と同じになっていただろう。

T:そんな話ははじめて聞いた。 フーン。

(少し調子に乗ってしゃべりすぎた。Tは家に帰って、今日日本人がこんなことを言っていたと話すだろうが、親父から「お前、前を見て運転しろ」とどやされるだろう)|

車が止まった。いつのまにか、パンダ基地のゲート前に着いていた。時計を見ると午後3時。

58元払って、入場。目の前にジャッキチェーンが二匹のパンダを抱いてニッの写真。こんなんしたらいくら? 1300元。 パンダは地球スター。

サファリーカーで園内一巡。幼児パンダ、若年パンダ、成年パンダと飼育エリアが分かれている。やはり、人もパンダも幼児のほうがかわいい。生後1年くらいの幼児パンダ園でカメラをまわす。空堀の外に1mくらいの塀をめぐらせた園地で8頭のパンダがぐちゃぐちゃにおりかさなって、なかば遊びで竹を奪い合いながら食っていた。碧峰峡の野生パンダに比べて格段のんびりしている。天気のせいか?環境の違いか?

(ここで、8匹のパンダだじゃれあって、竹を食っている写真と野生パンダが木に登ってぼくを睨んでいる写真を入れたいが、ビデオで撮ってきたので、あとで工夫してみる)

帰りはバスを乗り継いで、都心までもどってきた。1時間半かかったが、出費はしめて6元。途中雑醤麺を食った。不要辣、清淡的。―――なにか物足りない。スーパーに寄って寝酒とつまみを買って宿にもどる。

酒とつまみ:

路易世家白蘭地110ml 4.9元

九塞溝耗牛肉干 50g  5.6元

一風呂浴びて、さて、ブランデーをコップに注ぎ、耗牛をつまむと、とびきりカライ。

パックをよく見ると「麻辣味」。四川入りして以降、すべて「不要辣的!」でとおしてきたのに、最後にとびきりからいツマミを買ってしまった。風呂も浴びたし、いまさらつまみを買いに出るのもおっくなので、ちびちびツマミながらやる。口内がほてって、感覚がなくなる。でも、ツマミに手が出る。結局50g全部食ってしまった。うまかった感が残る。こんなことなら、初めから麻辣の四川料理を敬遠しなければよかった。 あとの祭り。

9日間、オヤッちがう!と思ったこと。やはり同じだ!長江で繋がっているんだからな、と納得したこと、いろいろあり。このメモを頭に、思い出すままに、コメント欄を借りて、ボチボチメモってみる ことにしたい。 z


3月例会速報

2012年03月09日 | 酔話会からお知らせ

ずっと降り続いていた雨が上がり、天気もようやく回復の兆しとなってきた蘇州ですが、本日(3月9日)、新学期(春季)になって初めての酔話会が老地方の淮揚面館で開催されました。

参加メンバー:片山、長沼、前田、森下、宮木、河田、宮崎、矢部の8名(敬称略)。

本日の例会は、谷山氏・尾関氏・中西氏が相次ぎ蘇州から撤退されたこともあり、少し物足りない感じはありましたが、3月から5月までの短期留学で来られた宮崎氏を新たに迎え、いつも通り、よもやま話に花が咲きました。宮崎氏は千葉県市川市役所で中国語担当相談員をしておられる方で、海外は初めてとのことですが、HSKは日本で5級を取得、いきなり5班からのスタートです。また、ここでは詳しくは書きませんが、森下氏の蘇州石路及び上海での新スポット開拓の話もあり、前回の上海マッチ売りの少女の話とともに、近いうちに本HPに投稿されるかもしれません。乞うご期待。(文責:y)


活到老,学到老!

2012年03月06日 | 学習

本会は高齢者とはいえ学究の徒(?)が主体の集まりなので、「学習」というカテゴリーを追加しました。学習時の気づき、雑学・蘊蓄・トリビアの類、教えてほ酔話!、その他学習関連なら何でも投稿歓迎。
(但し、河村たかし的な発言はご法度で)

先ず手始めに、《論語・為政》から、

子曰:“吾十有五而志于学,
     三十而立,
     四十而不惑,
     五十而知天命,
     六十而耳順,
     七十而从心所欲,不逾矩。” (←后用“随心所欲”)

悲しいかな、この年齢になっても、惑うこと甚だ多く、天命は知っているつもりでも、時に人の言葉を素直に聞くことができず、心の欲するままに振る舞えば、ついつい矩(のり)を逾(こ)えてしまうことも・・・。
ただ、孔子様のような君子でなくても、齢を重ねてくると、すっと腑に落ちたり、ぐっと琴線に触れるような名言が、中国の古典にはたくさんありますよね。

次のは古典ではありませんが、似たようなパターンです。

     男人三十歳叫日立,
     男人四十歳叫正大,
     男人五十歳叫松下,
     男人六十歳叫微軟,
     男人七十歳叫聯想。

各句末に出てくるのは全て有名な企業で、「正大」は正大集団、「微軟」はマイクロソフト、「聯想」はレノボです。それぞれの漢字が持っている意味から何となくわかってきましたね。
     ヒント:「松」は樹木の松ではなく、「緊」の反対語のほうです。
私のは、すっかりマイクロソフト。あなたのは、まだまだ正大? すでにパナソニック? そろそろマイクロソフト? もはやレノボ? ええっ、まさかの日立!

これって本当に学習???

文責:(y)


定例会

2012年03月01日 | 酔話会からお知らせ

3月の定例会の、お知らせ。

3月9日(金)に、酔話会を開催します。

場所、東呉飯店入り口の麺館で、PM6時。

一期一会、出会い、別れ、酔話会メンバーの三氏が、帰国(撤退)しました。

1月に、谷山さんが帰国。

2月20日に、尾関さんが帰国。

2月末に、中西さんが帰国。

三氏の、送別会を、会員有志で、おこないました。有志の皆様には、お骨折りありがとうございまた。

尚、定例会のお知らせ、画面は、最低2~3日UPしたいと、思います。

投稿は、しばらく、コメント欄でお願いします。酔話会怪長。