蘇州大学「酔話会」

不問過去的事、在中国生活快楽、交換消息

中国江蘇省蘇州市蘇州大学
高嶺者留学生の談話室

クリスマス学芸会で芝居をやるよ。(さわ)

2011年12月21日 | 酔話会からお知らせ
 12月23日金曜日午後2時から蘇大本部西門すぐ内側の敬賢堂で恒例の「留学生クリスマス晩会」開催。

ぼくたちの班から誰も出ないので、急遽ぼくが飛び入りでなにかやることになった。演題は「楓橋夜泊」、寒山寺を詠った張継の唐詩にまつわる故事と伊藤博文の銘入りの鐘が寒山寺にきた由来を張継になったり、博文になったりしながら一人芝居でやってみようというこんたん。

故事の背景は下記のとおりかいてみたが、せりふは即興で。うまくいったらごかっさい。
十分くらいの芝居だけど、おひまだったら、来てみてね。
席は五百席くらいあるので、あまりがらがらだと張り合いないし、誰か見てくれないと呑み会のとき話してみても興が伝わらない。
できればだれか舞台に上がって後ろで掛け軸を支えてくれたり、ビデオで撮ってくれるとなおありがあたい。よろしく。

访寒山寺的故事
那是我第一次来到苏州的事了。我早就知道苏州城外有闻名的名刹寒山寺。
有一天我带着摄影机去参观了寒山寺。下面是那时听到的故事。
寒山寺有一千五百年的历史。一千两百年前唐代的诗人张继来到苏州在枫桥边停泊的船上过了一夜。他当时科举考试落榜了,怀着悲伤的心情,到半夜也睡不好觉。忽然咚咚的钟声传到客船上,他有了灵感,就作诗了;月落乌啼霜满天 江风渔火对愁眠 姑苏城外寒山寺 夜半钟声到客船。这就是脍炙人口的唐诗;枫桥夜泊。后来好多名人把这首诗写而刻石。尤其清代末的书法家俞樾写的诗碑是苏州市重点文物的。我到手了一幅这首诗碑的拓本。
还有另外一个故事。甲午战争时日本士兵抢走了寒山寺钟楼的吊钟。后来日本的首相伊藤博文听到这件事。他在日本的各个角落寻找这口钟,都找不到。他只好开始募集捐款,过了一段时间汇集了一大笔钱。因为日本人都惦念“夜半钟声”里描写的寒山寺的吊钟。他用这笔钱铸造乳头吊钟就把它还给寒山寺了。这是一百多年前的事。这口钟现在挂在寒山寺大雄宝殿里,表面刻着伊藤博文和铸造钟的工匠的名字。伊藤博文是我的同乡人,也是我国第一代首相。想到他们对寒山寺的友好情谊,我回想往时感慨颇深。
  
 ちなみに、「風橋夜泊」の日本語は、
月落ち鳥(からす)啼いて霜天に満つ 江村の漁火愁眠に対す 
故蘇城外寒山寺 夜半の鐘声客船(かくせん)に至る
  英語は
The moon is coming down in the midst of the crow calling and the frost covering all over the sky.
Looking at the fishing fires across two bridges of Jang & Feng, I’m having a lonely sleepless night.
Outside of Suzhou, stands the temple by the name of “Han Shan Si”.
I hear the temple bell ringing all the way to my boat at midnight.

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5 コメント

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出番は3時ごろ (さわ)
2011-12-21 18:27:08
忘年会と重なっちゃったね。でも、ぼくの出番は3時ごろ。学芸会も5時には終わるので、歩いて10分の忘年会会場へは、5時過ぎにはつくよ。
できれば、学芸会の話も含めて、23日は盛り上がりたいね。よろしく。さわ
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暇なので覗きに行きます ()
2011-12-21 22:01:21
暇なので覗きに行きます。
頑張り過ぎて、転けないように。
骨が弱っているはずだから・・・
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謝謝 (さわ)
2011-12-21 23:26:16
柏寿虎兄多謝。
編集長拙稿に気の利いた詩碑を入れてくれて多謝。ガラスに映る内庭の風情がなんともいえないね。実は、この詩碑は千金の碑といわれ、拓本は故宮博物館にも収蔵されている逸品。王珪が風橋夜泊を筆写したのは、宋代1057年、しかし原碑は消失。現存の碑は後に、1996年、台北博物館蔵の王珪の書の三千余字から28字プラス12字を拾い出して、詩の配列に組みなおして、刻石したもの。とか。 
それにしても、見事な楷書だねえ。眼福眼福!
さわ
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見に来てくれて謝謝 (さわ)
2011-12-24 00:13:07
酔話会忘年会、酒足飯飽。聖誕節留学生のゆうべ、見に来てくれて、謝謝。おかげで、いい話が聞けた。関さんのマイクから遠いと声が聞こえないの指摘、もっともながら、言われてはじめて気がついた。だれも言ってくれなかったら
何度も同じヘマを繰り返しただろう。得がたきは、率直に指摘してくれる友。楽屋から時間切れのサインが来て、芝居は半分で打ち切ったが、あのまま続けていたら、マイクから離れては、音声が途切れるヘマを繰り返していただろう。救われた。残りの部分も含め、全体の脚本はつぎのとおり。コメント欄にはボリュウムがでかすぎるかもしれないが。勝手ごめん。さわ

独角戏《枫桥夜泊》2011.12.23剧本
大家好!我是二班的留学生泽克。同学们去过寒山寺吗?寒山寺是一座拥有1500多年历史的著名寺院。它在苏州的西郊,如果大家坐公共汽车的话,半个小时就能到。。去过的同学请举手!不多啊!好!那今天我就当导游陪同你们去参观寒山寺。
我是寒山寺的导游,也是平时念经的法师,但今天是圣诞节,所以我特意为了大家当一次导游。喔!这么多外国人,你们都是在苏州大学学习的学生吗?欢迎欢迎!
你们知道寒山寺有两个非常有名的东西吗?一个是寒山寺的钟声,另一个是唐代的诗碑。今天我想给你们介绍有关它们的两个故事。
首先请看这幅画。这是1200年前唐代的古寒山寺。钟楼在这里。京杭大运河的支流上有一座桥,这座桥的名字叫做枫桥。唐代的诗人张继路过枫桥,在船上过了一夜,晚上听到了寒山寺的钟声,于是他写了“枫桥夜泊”这首诗。
后来,有很多名人抄写了这首诗,然后石匠把他们的字刻在石头上,这就是诗碑。请看这幅字,这就是从诗碑拓下来的拓本。让寒山寺闻名天下的就是张继所作的这首唐诗“枫桥夜泊”。
下面,请大家来大雄宝殿看看寒山寺的吊钟。上面写着日本人伊藤博文的名字。伊藤博文是日本的第一代首相。为什么在这里有这样的吊钟呢?这个经过,我们请泽克来表演一下吧!
我是寒山寺的演员泽克。大家欢迎欢迎! 我一个人来表演一下张继写诗的故事和后来有关寒山寺吊钟发生的故事。我有时演诗人张继,有时演寒山寺的和尚,有时演日本士兵,有时演伊藤博文,我用帽子来表演各个角色,请大家注意看我的帽子。
《故事》
第一场 1200年前唐代的寒山寺
张继:“我是诗人张继。我科举考试失败了,怀着悲伤的心情来到姑苏,哦,那边有游船,喂,船老大,我也要坐船,我要坐在船上写诗。”
“已经到半夜了,外面铺满了白霜,真冷呀,喂,船大夫,可以再温一点儿酒来吗?远处看得见渔火,唉!钟声!!!那大概是寒山寺的钟声吧。我有灵感了。”
“月落乌啼霜满天,江枫渔火对愁眠,姑苏城外寒山寺,夜半钟声到客船”
“顺便也用英语作诗吧。(用英语念诗) 再用日语来作诗吧(用日语念诗)。”
“好了!诗题就叫枫桥夜泊吧!”
后来,大家都知道了这首诗,刻在寒山寺的石碑上,一直流传到现在。
第二场 100年前清代末年,甲午战争时的寒山寺
和尚:“哎呀!日本鬼子来了。真可怕!”
士兵A:“喂,这是有名的寒山寺,枫桥夜泊的诗,你小子知道吗?”
士兵B:“俺在小学学过的。是夜半钟声那个诗吧。”
士兵A:“对对,俺们抢走那个钟吧。俺们的队长肯定会很高兴的。”
和尚:“哎,别拿别拿,你们可不能把钟抢走呀。”
第三场 甲午战争结束了。日本的第一代首相伊藤博文来到寒山寺参观。
和尚:“伊藤先生,日本士兵把我们的吊钟抢走了。”
伊藤:“唉!夜半钟声的吊钟,日本军人拿走了!不行,我们应该把它还给你们。”
第四场 在日本东京
伊藤:“被抢走的寒山寺的吊钟,怎么也找不到了。我们一定要偿还日本军人犯过的罪。铸造一口新的钟吧,把它还给寒山寺。募集捐款!大家捐款吧!”
伊藤:“谢谢!谢谢!眨眼之间已经筹集了这么多钱。师傅,你用这笔钱快铸造新的吊钟吧。”
铁匠:“遵命。 乳头吊钟铸造好了。刻在上面伊藤先生和捐助人的名字。”
第五场 第二年从日本送来的吊钟已经到达了寒山寺。
和尚:“谢谢伊藤先生,你们终于偿还了日本军人犯过的罪。我们现在把它放在大雄宝殿里了。”
好!泽克,辛苦了!我导游再出场了。
各位同学,今天的参观活动到这里就结束了。马上就是2012年元旦了,欢迎大家在12月的最后一天来听听寒山寺的新年钟声,祝大家圣诞快乐,也提前祝大家新年快乐!!请大家慢走,欢迎再来!


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海外圣诞节联欢会i (Z)
2012-01-04 16:33:36
クリスマス学芸会の写真がたくさん載ってるよ。日本人留学生の「よさこいソーラン」はきまってるね。
请看;hssp://oversea.suda.edu.cn/ さわ
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