こんにちは
sujaです
航空評論家が垂直尾翼の破損での墜落について
模型を使って説明しているのをよく目にしました
その時の説明は全く記憶にないのですが
とても簡単に破損するものなのか…
という印象だけが残っています
今回、私が読んだそれぞれの著書では
運輸省(当時)の事故調査委員会は
原因が掴めるまで、通常何ヶ月もかかるものを
ボイスレコーダーも聞かず
フライトレコーダーも解読しないまま
なんと、事故から4日後に仮説を発表しています
「圧力隔壁が破損し
客室内の空気が爆発的に噴出して
垂直尾翼を内側から吹き飛ばし脱落させた」
とあります
しかし、これには
日航の事故調査担当だった藤田日出男氏は『隠された証言』で反論しています
客室内の空気が爆発的に噴出したなら
機内にいる人は、外に吸い出される
という事らしいです
けれどそんな事は無かったと
生存者の証言もあります
内側からの破損でなければ
外側から破損した
という事になります
そう
何かが、垂直尾翼に当たり、破損したというと納得出来るのです
垂直尾翼が破損した時間、日航機123便は
相模湾上空を飛んでいた事が
ボイスレコーダーとフライトレコーダーから分かります
当時、8月12日
相模湾では、護衛艦『まつゆき』の試運転が
海上自衛隊によって行われていました
角田四郎氏の著書『疑惑』によると
1985年8月12日時点では未納入のままの試運転だったそうです
起工は石川島播磨重工との事
試運転という事は様々な設備においても
試すので
艦対空ミサイルの垂直発射装置の試験も行われていたようです
実際のミサイルを発射するのではなく
オレンジ色に塗装された訓練用ミサイルを使用するのだそうです
まさか
その訓練用のオレンジのミサイルが日航機の垂直尾翼に激突した?
信じられない事だと思いますが
自衛隊の訓練で起きた事故の前例は
過去にもあります
1971年7月30日
岩手県岩手郡雫石町上空で
飛行中だった全日空旅客機と航空自衛隊の戦闘機が衝突し
双方とも墜落という事故です
自衛隊員は自ら脱出出来たそうですが
全日空旅客機は空中分解し
162名全員が死亡したそうです
当時の防衛庁大臣は就任したばかりだったそうで
それまでは、中曽根康弘氏が大臣だったそうです
そして
日航機墜落があった1985年8月12日
中曽根氏は総理大臣でした
その日、夏季休暇中だった中曽根氏は
軽井沢の別荘から都内へと帰る列車の中だったようです
どの時点で墜落の情報を受けたのかは定かではないのですが
総理大臣として速やかに現地に赴くという事は、ありませんでした
何故でしょうか?
そして
私のもう一つの疑問
人が炭化するまで燃えてしまうのか?
…続きは次回へ