Sujak do 〜SujaのDNA〜

興味深く感じたことや読んだ書籍について書いたりしていきます。天然石については、一休み。

何故、すぐに現場を特定出来なかったのか?〜35年前の日航機墜落事故は事件だったかもしれない!〜

2020-11-01 13:39:00 | 本を読む
こんにちは
sujaです

35年前
御巣鷹山に日航機が墜落した当時

私が疑問に思った内の一つ
日航機の行方を中々掴めなかったこと

これは藤田日出男氏の『隠された証言』を読むと、実に不思議なんです




藤田日出男氏は当時、日航機のパイロット兼事故の調査も担当していた人で
当時、現場に赴いています

しかし
与えられた情報の場所が全く違う所で
結局、現場に訪れるとこが出来たのは
翌早朝だったそうです

これは
防衛庁(当時)のミスリードによって
現場到着を遅らせたようなのです

実は
日航機が墜落した現場は
墜落した直後、防衛庁は既に特定していたようです

墜落した12日の夜9時過ぎ
自衛隊のヘリが、現場上空に到着していた事を
朝日新聞のヘリが確認しています
しかし
その朝日新聞もその事を記事にはしていません

これはいったいどういう事でしょうか?

青山透子氏の「日航123便墜落の新事実』には




その夜、現場山頂では自衛隊のヘリや飛行機が
サーチライトを照らしながら
何かを上げたり下げたりと、何らかの作業をしていたという地元の人からの目撃情報が書かれています

この、何かを上げ下げしている作業は
人命救助では、勿論ありません
救助は翌日昼頃に行われています

当時の報道では
12日当日は、機体を発見出来ず
翌早朝、御巣鷹山で発見したとなっていますが

実際には事故当日の夜には
現場を確認出来て、何か作業をしているのです

この作業とは何なのか?
人命確認より優先された作業とは…?

青山透子氏の著書には
世間に知れてはいけないものを隠蔽するためではないかと推理しています

もしそうであるなら
これは事故ではなく事件といえます

世間に知れてはいけないものを現場から消す為に
防衛庁がミスリードで時間稼ぎをしたとなれば
私が当時過った疑問の答えとしては理解できます

日航機墜落になぜ防衛庁が絡んでいるのか?
そして
なぜ救出作業が翌日の昼頃という遅さになったのか…?

…続きは次回へ

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