【 夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも
よに逢坂の関は 許さじ 】
清少納言 百人一首67
<読み>
よをこめて とりのそらねは はかるとも よにあふさかのせきは ゆるさじ
<訳>
夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、
函谷関(かんこくかん)ならともかく、この逢坂の関は
決して許しませんよ。(だまそうとしても、決して逢いませんよ)
ある夜、清少納言のもとへやってきた大納言藤原行成は、
早々と帰ってしまいました。
翌朝、「鶏の鳴き声にせかされてしまって」と言い訳の文をよこした行成に、
清少納言は「まったく、嘘でしょ。中国の函谷関(かんこくかん)の故事のような、鶏の空鳴きでしょ~」
と答えます。
「函谷関の故事」というのは、中国の史記にある話しです。
秦国に入って捕まった孟嘗君が逃げるとき、
一番鶏が鳴くまで開かない函谷関の関所を、部下に鶏の鳴き真似をさせて開けさせた話し。
よに逢坂(あふさか)の関は許(ゆる)さじ・・・
「よに」は「決して~」という意味です。「じ」に掛かります。
「逢坂の関」は男女が逢って過ごす「逢ふ」と意味を掛けた掛詞です。
”「逢坂の関」を 通るのは許さない”、という表の意味と”あなたが逢いに来るのは許さない”
という二つの意味を掛けています。逢坂の関は 今の滋賀の大津にあります。
頭が良くて 男勝りの清少納言・・・・行成はたじたじでしょうね。
今の時代なら絵文字で ←こんな感じかな
美峰