三河武士がゆく

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梓特別攻撃隊 杓子定規が日本をダメにする

2020年07月20日 13時32分16秒 | 歴史
■梓特別攻撃隊 

楠木正行の辞世より命名されたという、梓特別攻撃隊が東京の南2800キロに位置するウルシー環礁の米機動部隊攻撃のために出撃したのは昭和20年3月11日のことです。

3月10日に予定された攻撃は中止され、攻撃隊は途中で引き返しています。
出撃は翌日に延期になり、この夜宇垣纏第五航空艦隊司令長官に招かれた晩餐会で隊長の黒丸直人大尉が参謀のひとりに激怒している姿が描かれていますのでそのまま抜粋します。

内容は生存者の記憶をもとにしています。

なぜ、三人も出さにゃならんのですか?

電信員を二四機すべてに乗せる理由は何ですか!

小隊長機だけに乗せてもことはたりますよ!


手前らのその杓子定規が、日本を駄目にしたんじゃねえのか!

無理して死なせることはねえだろう!



電信員ほとんどは予科練出身、幼願の残る十代の少年たちである。いたずらに若者を死に追いやるとしか思えないやり方、押し黙る参謀に対して、黒丸大尉の精一杯の抗議でもあった。

※神野正美「梓特攻隊の第二次丹作戦」(『歴史と旅』増刊号94・激闘太平洋戦争)より

攻撃機は海軍の陸上爆撃機「銀河」で搭乗員は操縦員・偵察員・電信員です。
最年長は黒丸大尉の27歳、最年少は18歳でした。
なお、攻撃隊の内一機が空母に体当たりをし、一機はソーレン島に突入、その他少なくとも二機が珊瑚礁に突入して自爆したようです。

黒丸隊長機を含めた4機は暗闇のため目標を捕捉できずにヤップ島に不時着しました。

大和特攻出撃の前に大和からおろされた若い水兵がいたというお話を聞いたことを思い出しました。


無謀だと言われても、
一度決めた作戦(方針)を、なかなか変えることができない。
または、事情に合わせた対応ができない。

成功が期しがたいのに、
決めた作戦(方針)を実行することが目的となっている。
そのための、犠牲はやむを得ない。


「手前らのその杓子定規が、日本を駄目にしたんじゃねえのか!」

(以前の記事を、一部書き直して再掲)

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