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《↑ 伊藤ちえ》(『宮澤賢治と幻の恋人』より、河出書房新社)
梅雨も間もなく明けそうだが、今年の稲の生育状況はどうであろうか?と私のような者でさえも気掛かりなこの頃である。
昨今、田植えというものはかつてと違ってかなり早い時期に行われるようになったが、昔の岩手では入梅の直前にそれが行われていたと聞く。つまりその当時6月という月は農家にとっては〝猫の手も借りたい〟といわれていた農繁期のはずである。田植機械であっという間に済ませてしまう昨今と違って、特に田植えなどは人手が全てであったはずだからである。そして、農業用水が充分に確保できて植田の早苗がすくすくと育ってゆくかどうかは最大の心配事であったはずである。
だからこの時期になると私は次のことを疑問に思う。以前〝「大島行き」の理由は?〟等でも少し触れたように、どうして賢治は昭和3年の6月に下根子桜を離れて伊藤七雄やちえの住む遠い大島に行ったのかと。
そこで、勇気を鼓舞して厚かましくも伊藤七雄・ちえの実家を訪れてみることにした。その疑問の解決へのヒントが何かつかめるのではなかろうかと思ったからである。
すると当主の伊藤大亞氏が初対面の私になんとご親切にも会ってくださった。そして、幾つかのエピソードを教えてくださり、資料をを見せてくださった。
今回はその中の一つ、伊藤ちえが藤原嘉藤治に宛てた手紙の内容を一部以下に転載する。
秋晴れの良いお日和が続きます。先日は失礼申し上げました。その後
御家内ご一同様には御変わりも御座いませんか 謹んで御伺い申し上げます
宮澤さんの御本、色々とありがたう存じました 厚く厚く御礼申し上げます
又、御願ひで御座います この御本の後に御附けになりました年表の昭和
三年六月十三日の條り 大島に私をお訪ね下さいましやうに出て居りますが
宮澤さんはあのやうに いんぎんで嘘の無い方であられましたから 私共兄妹
が秋 花巻の御宅にお訪ねした時の御約束を御上京のみぎりお果たし遊
ばしたと見るのが妥当で 従って誠におそれ入りますけれど あの御本を今後若し
再版なさいますやうな場合は 何とか伊藤七雄をお訪ね下さいました
事に御書き代へ頂きたく ふしてお願ひ申し上げます…(以下略)
ということは、『宮澤賢治全集』(十字屋版)の編者の一人でもあった藤原嘉藤治が伊藤ちえにその全集を贈呈したのでもあろうか。
たしか、大島から帰って来た賢治は藤原嘉藤治に会った際にちえに関して
「あぶなかった。全く神父セルゲイを思い出した。指は切らなかったがね。おれは結婚するとすれば、あの女性だな」
と語っていた(「大島行き」参照)ということだったはずだから、藤原にも思うところがあって寄贈したのかも知れない。
なお伊藤兄妹と宮澤賢治との間の仲介は菊池武雄だったとは聞いていたが、一方で伊藤ちえが藤原夫妻とも懇意だったとは今まで知らなかった。
それはさておき、この書簡の内容を見てそういえば森荘已池の著書の中にも似たような伊藤ちえの書簡があったなということを思い出した。
…ちゑ子を無理にあの人に結びつけて活字になさる事は、深い罪悪とさへ申し上げたい。そっと、さうゆりうごかさずに眠らさせてさし上げては頂けませんでせうか。
ふしての御願ひ、もう決して書かぬと御約束下さいませ。…(以下略)
<『宮澤賢治の肖像』(森荘已池著、津軽書房)より>
というような森が「六甲」に書いた記事に関しての。
あの「聖女ちえ」が、森荘已池が賢治とちえを無理矢理結びつけてそれを活字にしているということに対して『深い罪悪』と強い口調で訴え、そうせぬようにと哀願している。よほどいたたまれなかったのだろう。
確たる証拠もないままに決め付けられているとしか思えない「悪女・高瀬露」といい、嫌がっているのに無理に結びつけられている「聖女・伊藤ちえ」といい、一部の人によって翻弄されてしまっているような気がしてならい。両者ともに気の毒である。
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梅雨も間もなく明けそうだが、今年の稲の生育状況はどうであろうか?と私のような者でさえも気掛かりなこの頃である。
昨今、田植えというものはかつてと違ってかなり早い時期に行われるようになったが、昔の岩手では入梅の直前にそれが行われていたと聞く。つまりその当時6月という月は農家にとっては〝猫の手も借りたい〟といわれていた農繁期のはずである。田植機械であっという間に済ませてしまう昨今と違って、特に田植えなどは人手が全てであったはずだからである。そして、農業用水が充分に確保できて植田の早苗がすくすくと育ってゆくかどうかは最大の心配事であったはずである。
だからこの時期になると私は次のことを疑問に思う。以前〝「大島行き」の理由は?〟等でも少し触れたように、どうして賢治は昭和3年の6月に下根子桜を離れて伊藤七雄やちえの住む遠い大島に行ったのかと。
そこで、勇気を鼓舞して厚かましくも伊藤七雄・ちえの実家を訪れてみることにした。その疑問の解決へのヒントが何かつかめるのではなかろうかと思ったからである。
すると当主の伊藤大亞氏が初対面の私になんとご親切にも会ってくださった。そして、幾つかのエピソードを教えてくださり、資料をを見せてくださった。
今回はその中の一つ、伊藤ちえが藤原嘉藤治に宛てた手紙の内容を一部以下に転載する。
秋晴れの良いお日和が続きます。先日は失礼申し上げました。その後
御家内ご一同様には御変わりも御座いませんか 謹んで御伺い申し上げます
宮澤さんの御本、色々とありがたう存じました 厚く厚く御礼申し上げます
又、御願ひで御座います この御本の後に御附けになりました年表の昭和
三年六月十三日の條り 大島に私をお訪ね下さいましやうに出て居りますが
宮澤さんはあのやうに いんぎんで嘘の無い方であられましたから 私共兄妹
が秋 花巻の御宅にお訪ねした時の御約束を御上京のみぎりお果たし遊
ばしたと見るのが妥当で 従って誠におそれ入りますけれど あの御本を今後若し
再版なさいますやうな場合は 何とか伊藤七雄をお訪ね下さいました
事に御書き代へ頂きたく ふしてお願ひ申し上げます…(以下略)
ということは、『宮澤賢治全集』(十字屋版)の編者の一人でもあった藤原嘉藤治が伊藤ちえにその全集を贈呈したのでもあろうか。
たしか、大島から帰って来た賢治は藤原嘉藤治に会った際にちえに関して
「あぶなかった。全く神父セルゲイを思い出した。指は切らなかったがね。おれは結婚するとすれば、あの女性だな」
と語っていた(「大島行き」参照)ということだったはずだから、藤原にも思うところがあって寄贈したのかも知れない。
なお伊藤兄妹と宮澤賢治との間の仲介は菊池武雄だったとは聞いていたが、一方で伊藤ちえが藤原夫妻とも懇意だったとは今まで知らなかった。
それはさておき、この書簡の内容を見てそういえば森荘已池の著書の中にも似たような伊藤ちえの書簡があったなということを思い出した。
…ちゑ子を無理にあの人に結びつけて活字になさる事は、深い罪悪とさへ申し上げたい。そっと、さうゆりうごかさずに眠らさせてさし上げては頂けませんでせうか。
ふしての御願ひ、もう決して書かぬと御約束下さいませ。…(以下略)
<『宮澤賢治の肖像』(森荘已池著、津軽書房)より>
というような森が「六甲」に書いた記事に関しての。
あの「聖女ちえ」が、森荘已池が賢治とちえを無理矢理結びつけてそれを活字にしているということに対して『深い罪悪』と強い口調で訴え、そうせぬようにと哀願している。よほどいたたまれなかったのだろう。
確たる証拠もないままに決め付けられているとしか思えない「悪女・高瀬露」といい、嫌がっているのに無理に結びつけられている「聖女・伊藤ちえ」といい、一部の人によって翻弄されてしまっているような気がしてならい。両者ともに気の毒である。
続き
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ばあちゃんが、気の毒かどうかは知りませんが、
私の思い出の中のばあちゃんは穏やかで、いつも優しい微笑みをたたえ、満ち足りた顔をしている人でした。
こちらこそ、はじめまして。
ご返事が遅くなってしまいまして大変申し訳ございませんでした。
さて、この度は私の表現の仕方がまずかったようでかかまる様にはご不快な思いをさせてしまい、すみませんでした。
あくまでも私がしたかったことは、伊藤ちゑさんが謝絶しているのにもかかわらず、森荘已池が活字にして一方的に書き散らしていることに対する私の抗議ですので、その点はご理解いただきたいと存じます。
そしてもちろん、その謝絶の仕方等からちゑさんがとても優しい人であること等は十分承知しております。
鈴木 守