田舎道

東電の町から各町を転々と・・やっと終の棲家を決めました

あれから一年・・・

2012-03-11 10:09:04 | 大震災と原発事故
あの日から、一年が経ちました。

冷たい体育館の床にダンボールを広げ、毛布一枚敷き、そこに寝た事、忘れる事ができません。

それでも、家族、親族、誰一人欠けなかった事、これは一番幸せな事であります。

大地震災害に加え原子力事故により、わが双葉郡は今なお苦しめられております。




昨日あたりから東日本大震災の映像が流れています。

どんなに苦しかったことか。

どんなに冷たかったことか。

そして、残された方々、いまだ待ち続ける方々、胸が詰まります。

凄まじい映像を見て、涙を流す事しかできません。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。






あちこちに電話しました。

仮設住まいの義母に。

「帰れる時あったら、倉庫にいい食器、いっぱいあるから皆と分けてなぁ~」と言うので
「それはお義母さんが見ないとわからないよ~」と言うと
「そうかぁ、私いないと場所わからないか・・・もう少し頑張るかぁ」と。

・・・そばにいてあげられなくてごめんなさい。暖かくなったら主人と行きますね。
・・・元気でいてくださいね。

義理弟へ
「お義母さんの事、そっちにばっかり負かせっきりでごめんね~」と言ったら。
「大丈夫です~仮設で介護のことは整ってるし、友達も訪ねて来るから、元気にしてます~」と。

・・・血圧の薬飲み始めたらしいね。いろんな事抱えてストレスたまってるよね。
・・・体、大事にしてね。遠くから応援することしかできない。ごめんね。


お義理姉さんへ。
「〇〇子さんばかりじゃないよぉ~私もあちこち治療中なのよぉ~」
「この先どうなるか、まったく見えないよね~」と。

・・・具合悪いのは私ばかりじゃなかったね。
・・・まだまだ先は見えない日々、お互いに元気でいましょうね。


長男家族へ。
「俺たちの事は大丈夫だ。自分達の事心配しろよ」と。
「大変時に何も助けてやれなくて、ごめんね」と言たっら
「それぞれだったんだから、そんな事思わなくていいよ」と。

・・・見知らぬ土地で嫁と娘を守ったね。頑張ったね。
・・・これからもまだまだ大変だけど、嫁ちゃんと仲良く、大切な娘を育てていってね。


次男へ
「俺は~元気だぁ~~。そっちこそ年なんだから気をつけなぁ~」
「ここは雪は降るし、朝は道路テッカテカでブレーキきかないし大変だよ~慣れたけどね~」
「住むならやっぱ浜通りだなぁ~」

・・・相変わらず、元気な息子です。
・・・脳天気に見えても、結構私達の事、心配してくれる優しいヤツなんです。
・・・そろそろ身を固めたら、 どうかな。。


コメント (6)
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