田舎道

東電の町から各町を転々と・・やっと終の棲家を決めました

何もなかった…

2018-09-08 14:07:37 | 大震災と原発事故

先日、夫と下の息子と三人で我が家の様子を見に行って来た。

この前の連絡で、家の中の荷物を取り出すと言っていた。

きっと家の中はがらんぽになってるのだろうと考えていた。

でももしかしたら・・・ないかも(家が)、という思いもないわけではなかった。

 

町に入ってびっくり。

業者がかなり入っているようで、あちこちに人やトラック、ショベルカーが。

あちこちに「解体中」の旗が揺れていた。

 

家は、我が家は?

まず夫さんの実家に立ち寄ってみた。

玄関、窓、開けっぱなしで家の中はぐちゃめちゃになってはいたが、家はそのままにあった。

 

さて続いて我が家の所へ。

・・・・・・・・

え???  え!!!・・・・ うそ!!

なにもない・・・なくなってる。。。

我が家がなくなってる!  

基礎だけ・・・・

 

何とも言えない気持ちだった。

「ここは、人と共に建てた、我が家なんだよ~~」の

「二人の息子達と泣いて笑って怒って過ごした我が家だよ~」

胸の中で絶叫した。

 

庭も,周りの木々も、畑も、倉庫も、車庫も、何もかもなくなっていた。

なくなっちゃった・・・

もうここに来ることはないだろう・・・・

 

最後に海に立ち寄った。

毎年元旦参りがあって、海まで息子達と3キロを歩いた思い出がある。

何もない寂しい海。

 

三人、言葉少なく帰路に。

仕方がないことだと思うが、胸が苦しい。

でも、今の家があるのだから、そんなこと思っていては罰が当たる。

もっともっと辛い人苦しんでる人がいるわけだから。

 

 

家がなくなっても、そこで過ごしたたくさんの写真と共に思い出は残っているのだから。

前を向いて生きなければならない。

 

 

 

 

コメント (4)
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