わが町もようやく警戒区域が再編され、我が家の地区は帰宅困難区域となりました。
鉄のバリケードで閉められ鍵がかけられました。
大きな鍵が・・・
元々帰れない場所ではありましたが、テレビで見ていて、涙がでそうでした。
あと4年は帰ることが出来ません。
4年後、その時の除染状況、線量などで帰還について話し合うようです。
また我が家が遠くなってしまいました。
町の4%、海の近くの地区が難指示解除準備区域となりましたが
「2年前のガレキがそのままの所で、水もなにも無い所で、泊まる事もできない所で、
帰ってきても嬉しいことなどない、悲しい」と話していた方の言葉が切ないです。
戻る事をあきらめ、すでに県内、県外に家を建てられた方もいます。
ある程度の広さがある賃貸物件を苦労しながら探し、移られた方々もおります。
それぞれの場所で、新しい場所で、苦しみに耐えて生活を始めています。
私達も、 戻れるものなら戻りたい! けれど・・・戻れない、と考えています。
じっくり考えて、小さくていいから我が家となる家を探したいと思います。
息子達が、盆正月、実家として泊まりに帰って来れる家を。
じいちゃん~ばあちゃん~と孫が遊びに来れる家を。
私達の終の棲家を。
鉄のバリケードで閉められ鍵がかけられました。
大きな鍵が・・・
元々帰れない場所ではありましたが、テレビで見ていて、涙がでそうでした。
あと4年は帰ることが出来ません。
4年後、その時の除染状況、線量などで帰還について話し合うようです。
また我が家が遠くなってしまいました。
町の4%、海の近くの地区が難指示解除準備区域となりましたが
「2年前のガレキがそのままの所で、水もなにも無い所で、泊まる事もできない所で、
帰ってきても嬉しいことなどない、悲しい」と話していた方の言葉が切ないです。
戻る事をあきらめ、すでに県内、県外に家を建てられた方もいます。
ある程度の広さがある賃貸物件を苦労しながら探し、移られた方々もおります。
それぞれの場所で、新しい場所で、苦しみに耐えて生活を始めています。
私達も、 戻れるものなら戻りたい! けれど・・・戻れない、と考えています。
じっくり考えて、小さくていいから我が家となる家を探したいと思います。
息子達が、盆正月、実家として泊まりに帰って来れる家を。
じいちゃん~ばあちゃん~と孫が遊びに来れる家を。
私達の終の棲家を。
まぁ、なんとも残酷な光景ですね。
すずめさん、どんなにか悲しく悔しかったことでしょう。お察し申し上げます。
それにしても4年後戻ることができればばよいけれど、状況がどのように変化しているか予測はできません。
待つことが難しいのなら思い切って前に進むことが肝心ですね。
すずめさん、ここはご家族のみなさんのためにも、今ひとつ頑張ってください。
すてきな終の棲家をさがしてくださいね。
先週私も三陸の方に行ってきましたが、ぽちぽちと新しい家が建てられていました。
廃墟の町や村に生活の匂いが漂いはじめて嬉しかったです。
また、SBKへ、たびたびご訪問いただき、誠にありがとうございます。
さて、
最近・・でもないな・・震災後、、テレビ等マスコミが被災者を取材すると、被災者は必ずと言っていいほど、
「これで、少し、前に進めました」
「前を向いて、頑張っていきたいです」
「前に進むしかないと思います」・・・って言いますけど、アレって、マスコミに、うまぁ~く誘導されて、そう言わされてんだろぉ~な~・・・って思いませんか?
原災で避難を余儀なくされてる人(オレもですが、)にとっては、そもそも「どっちが前?」って言いたくなります。
・故郷に戻り、故郷や家族を「あの日」よりも前の状態に戻すために頑張ることが『前に進む』ことなのか?
それとも、
・故郷に帰るのをあきらめ、新しい土地で新しい生活をするための頑張ることが『前を向く』ことなのか?
・・・オレ自身も、いまだにわかりませんし、悩んでいるのです。
だから、気安く「前に・・・」・・・って言わせんな!・・・って、テレビを見るたびに、怒っております。
あ、あと、、、
被災地を訪れた芸能人なんかが、必ず、最後に、
「被災者を元気づけようと思って来たのですが、逆に私のほうが被災者に元気づけられました!」
・・・って言うのも、もうやめてほしいですよね。
だって、み~んな、判で押したように、
「逆に、私のほうが・・・」って言うんだもんな。
そろそろ、もうちょっと気の利いたフレーズ編み出せよ!・・・なんて思っているのはオレだけでしょうか。
でも賠償が進む事で一歩前進なのかもしれません。
我が家を諦めることは本当に悔しいですが、いつもでも避難者ではいたくないので、前に進みたいと思います。
小さな庭や畑がある家を希望しておりますが・・・
夢は捨てずに、最後まで頑張って探そうと思います。
所長さんもいろいろ大変だったでしょうね。
本当にね、前のようにしたいから頑張るのか、新しいスタートをするのを頑張るのか、 考えても考えても堂々巡りで、わからなくなってしまいます。頭から煙出そうです。
そうそう、「逆に、皆さんから元気を・・」って言うけれど、
被災者から元気もらって、どうすんの~って思いますね。
励まそうと思って訪問してくれるのはありがたいのですが、もう2年も過ぎて・・・今更な~んて思ってしまう事もちょっとあります。申し訳ないのですが。
早く住む家をなんとかしてほしいんです。
東電から我が家を追い出されたわけだから、大きな豪邸がほしいなんて思ってません。
仮設住宅のおどっつぁん、ぐらいの小さな家でいいんで、我が家をなんとかしてほしいんです。
所長さん、ちゃんと食べてますか。
体壊さないでくださいね。
お互い、生きて行きましょう。
相馬弁研究所所長さんの仰る通り、どちらが前向きでどちらが後ろ向きかなど簡単に判断は出来ないと思います。
確かに考えさせられました。
「被災者に元気づけられました」という台詞は私も嫌いなのですが、配慮の足りない言葉は空疎なだけです。気をつけなければいけないと思いました。
以前から相馬弁研究所のファンだった私は、もちろんブログが再開されていることはキャッチしていて凄く喜んでいました。
すずめさんに教えてあげようと思っていたのですが、すずめさんももうご存知だったのね。
本当に励ましていただいて嬉しいのも事実です。
心が温かくもなります。
でもその後の、自分の事、立場を思う時、ものすごい虚無感に襲われることがあります。
何を頑張るのか、どの方向を目指して進むのか、今現在、方向が見つけられない状態でいます。
今も大勢の人達がそんな毎日を過ごしています。
町の方針も決まらない状態ですから、どうしょうもないことで、みんなが日々悶々と暮らしています。
そんな時にかけてくれる言葉はどんな言葉でもとてもとても嬉しいものです。
nihaoさん、ありがとうございます。感謝してます(^^)
そうなんです!所長さん、復活しました。
避難していろんなご苦労があったようです。
やっぱり浜通りのが懐かしくて、方言が嬉しくて、覗いてしまいます。
歌は好き嫌いがありますが、youtubeにありますので覗いてみてください。
早速youtubeで聴いてみました。
生きていようよね
とにかく生きていましょうよね
生きていようよね
とにかく生きていましょうよね
明日になればさ 明日になればね
そのうちきっとさ そのうちきっとね
生きていようよね
語りかけるように歌われていました。
いい歌ですね。
あの大津波にのみこまれ亡くなられた方々を思うと、生き残った者として、人生が終わるまで生きなければと思いました。
かすかな望みを持って生きて行こうと思います。
ありがとうございました。