昨日から修学旅行について行っていたので、長崎と佐賀にいました。写真屋さんが二人となぜか民放テレビのディレクターが一人、取材で来ていました。二日間のみっちり撮影で、放映は2分の予定だそうです。大変だ。テレビ取材も…。と感動していましたが、長崎。半端じゃない暑さ。
今年は“雨女”じゃなかったLunaでしたが、逆に猛暑で、子どもたちと共にヘロヘロになっていました。
長崎市は相変わらず、たくさんの観光客が来ていました。特に、原爆資料館で見かけた外国人(英語を話していました)の修学旅行生(高校生)の会話が、興味深かったです。女の子ばかりでしたが、原爆の資料を見て、真剣に「ひどい」「こんなことが本当にあったなんて…」「思っていたのより、ずっと酷すぎる…」など口々に話して、ノートにメモをしっかり取っていました。
真剣に原爆のことを考えてくれている姿が、とても嬉しかったです。その反面、日本人の中学生は「あつい、あつい」を連発して、世間話ばかり。見る気モードゼロ? 学習モード・ゼロに日本人として悲しかったです。被爆者の方たちも、65年前に生まれた方が最年少。(しかも、本人が0歳なので原爆の被爆体験はなかなか話せないそうです)
この方たちが後、何年生きてくださるのか。被爆体験を直接聞けなくなるのは、「ノーモア・長崎、ノーモア・広島」から考えると、いいことでしょうが、お互いの顔を見て、言葉のキャッチ・ボールができなくなると…。一緒に行った小学生が、被爆体験講話の後、いろいろと質問をしている姿を見て、この方たちは人類の無形文化財なんだと思いました。
その後、フィールド・ワークで説明をしてくださった“さるく会?”のボランティアの方の被爆体験にも、子どもたちは質問をしていました。小学生の質問ですから、微笑ましいものから初歩的なものと色々あって、側で聞いているLunaもとても勉強になりました。
やっぱり、「ノーモア・広島、ノーモア・長崎(これどっちが先でしたっけ? 広島が早いから広島が先かな?)」を九州の人間として、訴えていく必要があると思いました。
でもって、長崎は歴史もとっても珍しいので、Lunaとしては好きな街なんですが…。陸路で行っても、海路で行っても遠いです。九州新幹線。どうせなら、長崎ルートも作ってくれれば良かったのに…。諫早湾干拓よりも、そっちを早くしてくれたら良かったのに…(と自分に都合のいいことを考えてみました)。
しかも、大河ドラマ「龍馬伝」で盛り上がっていました。泊まったホテルも「龍馬」の足跡を尋ねるツアーが玄関に書いてありました。
そっちも、魅力的でした。(Lunaたちは平和学習がメインでした)
子どもたちは暑さにめげず、元気に活動して、無事帰校。さて、帰ろうかなぁと思った矢先に、六年生のお兄さんだか?お姉さんを迎えに来た年長さん。思いっきり転んだ先が石。額にこぶと擦り傷を作ってきました。幸いにも、意識はしっかりして泣くだけの元気があったので、氷で患部を冷やすようにしました。(擦り傷はしっかり洗浄しました…)
やっぱり怪我とは縁が切れないLunaです。で、ようやく、自分の担当机を見ると、二日しかいなかったのに、書類が…。しかも、部屋に戻れば、???と備品が移動している。
別に私個人の部屋じゃないから、文句は言わないけど、一応、管理責任者としては……。しかも、普段オープンにしている棚に鍵が掛かり…。開けられなくて、鍵を探しました。
公共の場のような部屋だけど、現状維持はしてもらいたいです。というオチがついた今回の仕事でした。