速水家にやたら大きな荷物が届いた。差出人は、速水の母から。そして、受け取った速水は中身を確認しないまま、倉庫と化している部屋に放置。
そんなある日、田口が珍しく家事に勤しんでいるときに、家の固定電話が鳴った。
「はい。速水です」
「公平君? 晃一の母だけど、お雛さまどうだった?」
「お雛さま?」
田口は焦った。お雛さまって何だ? あられ? 甘酒? どこに女の子が生まれたっけ? 必死で記憶を探るが、何も出てこない。
「そうよ。この前、デパートからありすちゃん宛に送ったのだけど、届いていない?」
沈黙する田口に焦れたような口調で、速水の母が言った。
「はぁ…」
ありすにお雛さま? それは藁ですか? ペレットですか? ケーキですか?とは、聞けない雰囲気に田口は気づいた。どうやら、高価な何かが送られて来たようだ。
「私は受け取りをしていないので分かりませんが、速水が受け取っているかもしれません。どちらに発送されたのですか?」
丁寧な口調で、何を送ったのかと聞けないまま、田口はそっと尋ねた。
「そこ宛にデパートから送ったのよ」
何やら、空恐ろしいものを感じつつ、田口は一番怪しいのは速水だと気づいた。ここしばらくインフルエンザでオレンジの医者が交代でダウンしているらしい。そのため、速水は喜々として前線で走り回り、へろへろの毎日を送っていた。一昨日は、ついに佐藤から強制帰宅させられたという履歴があるのだ。
いい加減、自分の年を考えろと、田口は言いたいのだが、死ぬまであれは治らないというのも分かっていた。なので、もしかしたら、へろへろの速水が寝ぼけて受け取っている可能性があるかもと思った。専門馬鹿の速水は田口に届いた荷物は毎回、そのまま、その辺に放置している。それでも、食べ物のときは田口が文句を言うので、目に付くところに置いていた。
「…えっと、速水に確認してみますので、しばらく待ってくれますか?」
「ええ。でも、あの晃一が直ぐに捕まるとは思えないから、届いていないときだけに連絡してもらっていいかしら」
息子の状態をよく知っている母である。田口は、
「分かりました」
と、冷や汗たらたらで、電話を切った。そして、即、速水に連絡を入れた。
「行灯、どうした? 差し入れに来るのか?」
相変わらず、脳天気な速水に、どっと疲れが出る田口。
「おまっ! そんな場合じゃない。お雛さまなんて受け取ったのか?」
「あ?」
「だから、お雛さまだ!」
田口の叫びがその辺りに響き渡る。
「お雛さま? ひなあられ? ひな祭り? そんなのが、何で俺んちに来るんだ? まさか… お前が買ったのか? …なら、今度、休みを取ってバンコクにでも行くか?」
「何で、バンコク?」
速水が言う意味が分からず、、田口は聞き返す。
「今の日本じゃ、性同一性障害と認められない限り、性転換できないからな。そんなに、お前が女になりたいなんて…」
ジーンという言葉が続きそうな速水に、田口は絶句。
「違う! 俺は男のままで十分だ。 そうじゃなくて、お前のお母さんがありすに何か送ったみたいなんだけど。さっき電話が入って、お雛さまどうだったって聞かれて、俺は言い訳に冷や汗だったんだぞ」
田口は電話口で叫んだ。今すぐにでも、脳天気な速水を一発殴りたくなる。
「あー。そりゃあ、悪かったな」
「で、荷物の心当たりはないんだな? 俺は受け取った記憶がないから、残りはお前だけだ」
「……」
速水が沈黙する。どうやら、記憶の海を探っているらしい。
「そういや、一週間ぐらい前に、でっかい荷物がお袋から届いたけど、食べ物じゃないから倉庫に放り込んだ…ような」
「それだ!」
そう叫ぶと、田口は電話を放り投げて、倉庫となっている部屋に走った。
ドアを開けると、目の前にでんと大きな箱が無造作に置いてあった。配達伝票を確認すると、確かに送り主は速水の母だ。
これだ。と田口は確信して、急いで、どでかい箱の包みを解いた…。中から、出てきたのは、ガラスケースに入ったりっぱな親王雛だった。
「こんなのありすに貰ってもなぁ」
と、田口は呟いた。しかも、どんな安く見積もっても、この飾りは5万円はくだらないと思った。いや、田口のいい加減な見積もりの予想なので、実際ははるかに高いかもしれないのだ。
田口は豪華なひな飾りを眺めつつ、自分の親も時々ぶっ飛ぶが、速水の親も時々突飛もないことをしでかすとため息。とは言っても、今更、送り返すわけにもいかず、田口は一人で運べない大きさのガラスケースをそのままに、リビングへと戻った。
「…速水。なんか高そうなひな飾りが届いているぞ。俺一人ではとても運べないから、早く帰って来いよな?」
「…おっおおっ。なるべく早く帰るから、無理するなよ。行灯」
相変わらず、単純な奴。
語尾に付いた田口の?に超ご機嫌になった速水の単純さに、田口はにんまり。自分だけで、こんな事件に対応しろなんてあんまりだろう。が、田口の本音だ。自分の親に関しては、ぶっとんだ行動があっても、ある程度、仕方がないと割り切っている。しかし、それが速水の親まで絡んでくるとなると、プレッシャーが…。
などと、速水が帰ってくるのを待っていたら、いつになるか分からないので、田口は早々に速水母に丁寧なお礼の電話を入れた。
それだけで、どっと疲れた。
ところが、放してあったありすが自分からドアが開いていた倉庫に入ってしまい、探す田口を尻目に、かくれんぼを状態になり、さらに、疲れが倍増した。なので、ついでに、ありすとひな飾りを並べて写メして、速水母に送った。
速水母はその写真がいたく気に入ったらしく、待ち受けにするとメールしてきた。それを見て、田口はようやくほっとした。
「かわいいんじゃん。ありす」
田口に事の顛末を愚痴られ、母親に送った写真を見せられた速水はにんまり。田口に撮れたかわいい写真が自分に撮れないはずはないと、ライバル心に燃え、愛用のデジカメを取り出した。
「せっかくだから、こっちに並べて撮ろうぜ」
と言いつつ、ひな飾りを田口と共にリビングに運んで、ありすとの撮影会を始めた。
田口は、速水の親ばかは今に始まったことではないので、勝手にしろと放っておいた。それにしても、こんな立派なひな人形があっても邪魔になるばかりだ。来年、田口が忘れずにひな飾りを出すかと考えると…。このまま、二度と出されない確率の方が高い。
だったら、自分の実家に持って行くという手もあるが、出所がばれたら、叱られそうだし…。何かいい方法はないかと考える。そして、閃いた。
「なあ。このひな人形。小児科のナースステーションに置いたら、いいんじゃないか? お見舞いに来る人たちも、子どもたちも眺められるだろう」
病院に寄付したのなら、速水母にも言い訳がきくに違いない。
「まあ、うちに置いていても、基本、誰も見ないしな」
「だろ? ひな祭りまで、日にちがないから、早速、明日持って行けよ。看護師さんたちも喜ぶんじゃないのか?」
と、言いきった田口は出したばかりのひな飾りを再梱包して、速水の車に乗せた。内心では、これで厄介なものをリサイクルできたと喜ぶ。
だが、速水がひな人形を運んだ先は、オレンジ2階の小児科病棟ではなく、道向かいにある獣医学部付属病院の救急センターだった。そこの受付には、ありすそっくりの手作りぬいぐるみのうさぎが飾ってある。
速水はこの前、自分が撮ったありすの写真と共に、ひな人形を堂々と飾った。彼の将軍ぶりは、医学部だけでなく、獣医学部にも及んでいた。(最も、獣医学部は速水とありすを使って、自分たちをPRしている)