夏の夜の風物詩と言ったら、怪談だろう。オレンジ二階に入院している子どもたちも、例外ではない。彼らは消灯時間前まで、テレビで放映された『怪談』の話題で盛り上がっていた。
「怖かったー。トンネルって、絶対、怪しいよなぁ」
「うん。俺、部活の帰り道で、トンネルを通るんだけど…。これから、怖くて通れないかも」
「分かる。俺ン所は歩道橋。今まで、暗くなったら、星がきれいだなぁって眺めていたけど…」
身近にある場所での怪談には、でかい図体の高校生でも怖いらしい。お互いにベッドの端と端によって、話していた。当然、それより小さい子どもたちは、誰かのベッドに一緒にいる状態だ。
「消灯って、部屋の電気消えるよな」
「うん」
「でもって、廊下も節電で暗くなるよな」
「うん」
……。何とも言えない雰囲気に病室が包まれた。
「もうすぐ消灯よ」
その日の当直看護師が部屋を回ってきた。
「分かってるよ」
「なら、いいけれど」
看護師は憎まれ口をきく少年に、意味ありげな顔をすると、さっさとドアを閉めようとして、
「隣の部屋は、幽霊が怖いって大騒ぎよ。あなたたちも?」
立ち止まって、聞いた。
「まさか」
と笑った少年の顔は、わずかに引きつっていた。
「というわけで、田口先生。子どもたちに声をかけていただいていいですか?」
小児科の当直医から、極楽病棟でのんびーり当直のおやつを消化していた田口は連絡を受けて、分かりましたと返事をした。
「何でお前がオレンジのガキのために行くんだよ」
電話を切った途端に、ぶうぶう文句を垂れる奴がいた。
「仕事だから。その前に、お前こそ、俺のもらい物を平気な顔で食っているんだよ」
「うっせい。行灯のものは、俺の物」
「で、俺の物は俺の物なんだろう。速水…」
「当然」
極楽病棟のナースセンターで威張り腐っているのは、救命救急センター長の速水晃一だ。救命救急センターのトップが、こんなところで油を売っていていいのか?と言いたくなるが、本日の速水の勤務は終了している。なので、取りあえず、彼はプライベートなのだ。
「お前、明日も通常勤務だろう。ここで油を売る暇があるなら、さっさと帰るって寝るか、当直室で寝ろ。ついでに言うと、ここはお前の家じゃない」
「減るもんじゃないから、いいじゃん。行灯のけち?」
ウインクを飛ばしつつ、速水が田口にぺたっと甘える。
「減らないけど、ストレスが溜まるから、さっさと帰れ」
「い・や・だ」
一度、田口に甘え始めると歯止めがきかない速水。それがプライベート・モードなら、止めるのは不可能だ。
「じゃ、小児科病棟に行ってきます」
「田口先生、お疲れです。何かあったら、PHSを入れますから」
「お願いします」
田口は速水を無視して、小児科へと向かうべく立ち上がった。
「ちょっ、速水。重いから歩くのだけは自分で歩け。でないと、途中で俺は倒れる」
「……分かった」
少し不満そうだったが、田口には速水を担ぐ体力はない。渋々、速水がおんぶお化け状態のまま、歩き始める。
「小児科が何だって?」
「ああ。寝る前にテレビで怖い話を聞いた子どもたちが、怖くて眠れないんだそうだ」
「病院は出るからなぁ」
しみじみ速水が呟いた。
「…やっぱり、出るのか?」
恐る恐る田口が尋ねると、
「えっ? 出ないって、お前は思っていたのか? 会ったことないか?」
「ない! 無いって!」
お前はあるのかよ。と聞きたいのを、ぐっと田口は堪えた。が、
「ふうん。しょっちゅう、俺はあるけどな。…お前は無いんだ」
感心したような速水に、田口のだんだん背筋が寒ーくなってくる。もしかして、今、自分の背中にくっついているのは速水の化けたお化け?と、一瞬考えてしまった。そして、そう考えてしまうと、ますます、怖くなってしまい…。
「速水!だよな!」
と振り返りつつ、大声で叫んでしまった。
すると、速水はわはははっ!と、大爆笑。
「お前、恐がりすぎ! なのに、何で当直は平気なんだよ。医局前なんて、真っ暗だぞ。それに、当直用の風呂なんて地下室にあるのに」
「そっ、そんなに笑うこと無いだろう! 俺は基本、当直で医局に行くことないし、わさわざ当直用の風呂に行かなくても、自分の病棟の風呂に入ればいいし…。何より、うちの病棟には都市伝説なんてないから平気!」
田口は目に涙を浮かべて笑う速水の胸を、ぽかぽか叩きながら、速水に抗議する。
「はいはい。お前、自分ところの風呂に入っているのかよ。まあ、俺も同じようなもんだけどな。都市伝説…、極楽病棟にはないだろうよ。なんせ、天国に一番近い病棟だからな」
速水は田口を長い腕に抱きしめつつ、笑った。
「天国に一番近いのは、病棟の一番上にあるからだろ?」
田口が口をへの字にしながら、呟いた。そう思いたい田口の気持ちが分かるため、速水は田口の額にチュッとキスした。
「うーん。はーやーみ」
珍しく田口から速水に抱きついてくる。よほど、怖かったらしい。速水は甘える田口に、目を綻ばせた。
昔から、こいつは変なところで恐がりなんだよな。でもって、変なところで肝が据わっている。それにしても、今日はよほど人気のない病院の廊下が怖いのか?
節電効果で、田口が院内でこんなことをしてくれるなら、節電万歳、怪談万歳だ。そんなことを思いつつ、速水は田口の肩を抱いて、このネタで当分、遊べると思った。。