今日はgooニュースに掲載されていた、阪神・淡路大震災を経験した子ネコのぴーちゃんのお話
「子ネコと生きる震災後25年 出会いは避難した神戸の公園」
https://news.goo.ne.jp/article/kobe/region/kobe-20191201004
・・・を読んで、うちの愛鳥のぴーちゃんと同じ名前だし、過去実家で飼っていた猫も長寿だったので、ご縁を感じた私は、実家の猫の話でも思い出して書こうかと。何か猫の画像が残っていなかったか、家の中を探し回るハメに・・・
もう14年も前のカメラに刺さっていたコンパクトフラッシュからデータを引き出そうとしたものの、今のPCでは読み込みすらできない;
そこで思いついたのは、当時書いていた日記に写真を載せていなかったかと。
たしか、初めて登録したSNSのmixiに日記を挙げたハズ。
そうして久しぶりにmixiを開きました。
真っ先に飛び込んできたのは、懐かしいマイミクさんのつぶやき。
歴代の愛鳥たちの写真。
当時の鳥仲間さんたちは元気にしているのだろうか・・・
以前みたいに愛鳥日記を書いている人はほとんどおらず、退会した人もちらほら。
セキセイインコの寿命は約5~7年と言われているので、インコも代替わりしているよね;
そう思いつつマイミクさんのページを訪問して回りました。
そして、永遠に更新されることのない彼女のページに辿り着いてしまったのです。
彼女との出会いはmixiのセキセイインコのコミュニティから、彼女の愛鳥の写真のセンスが抜群に良かったので、半分以上ファンのような気持ちでマイミク申請させてもらったのが始まりで。
ゲームが好きなことから他の鳥仲間さんたちより親しみを感じていました。
後で分かったことなのですが、彼女は東京でゲームのキャラクターをデザインする仕事をしていたそうです。
どこか儚げで繊細なところのある人だなぁと感じていたのですが、愛らしい鳥の写真の裏に色々と悩みを抱えていたのだと。
2011年11月の最後の日記に、右手が痛くて仕事ができなくなったこと、東京を離れて実家に戻ったけれど、厳しい親御さんの元で大事にしていたインコともまともに構ってやれなくなったこと、将来が不安で寂しくてたまらないことが書いてありました。
その日記から1週間後の2011年12月1日に、彼女は自殺したそうです。
私がそれを知ったのは、1ヵ月以上も後のことでした。
私は当時うつが好転しはじめてきた頃で、彼女の最後の日記を読んで共感することが多かったのに、うつであることを彼女に告げようか悩んでしまって、全くコメントが書けないでいました。
まさかそれから1週間後に、もう二度と会えなくなるとは・・・
あの時、私が勇気を出していたら、少しは彼女の助けになったのだろうか。
その後悔だけが、ずっと私の心に残りました。
それから時が経ち、私も自分自身が大変だったこともあってmixiから遠ざかり、彼女のことは次第に思い出さなくなっていました。
でも、8年たった今、全く関係のないところから偶然、思い出すことになるとは・・・
彼女が寂しがって、ふと私のことを呼んだのかも知れません。
大丈夫、貴女が生きた証は、ちゃんとここにありますよ。
貴女の撮った愛鳥の写真を眺めに、また来ますね。
「子ネコと生きる震災後25年 出会いは避難した神戸の公園」
https://news.goo.ne.jp/article/kobe/region/kobe-20191201004
・・・を読んで、うちの愛鳥のぴーちゃんと同じ名前だし、過去実家で飼っていた猫も長寿だったので、ご縁を感じた私は、実家の猫の話でも思い出して書こうかと。何か猫の画像が残っていなかったか、家の中を探し回るハメに・・・
もう14年も前のカメラに刺さっていたコンパクトフラッシュからデータを引き出そうとしたものの、今のPCでは読み込みすらできない;
そこで思いついたのは、当時書いていた日記に写真を載せていなかったかと。
たしか、初めて登録したSNSのmixiに日記を挙げたハズ。
そうして久しぶりにmixiを開きました。
真っ先に飛び込んできたのは、懐かしいマイミクさんのつぶやき。
歴代の愛鳥たちの写真。
当時の鳥仲間さんたちは元気にしているのだろうか・・・
以前みたいに愛鳥日記を書いている人はほとんどおらず、退会した人もちらほら。
セキセイインコの寿命は約5~7年と言われているので、インコも代替わりしているよね;
そう思いつつマイミクさんのページを訪問して回りました。
そして、永遠に更新されることのない彼女のページに辿り着いてしまったのです。
彼女との出会いはmixiのセキセイインコのコミュニティから、彼女の愛鳥の写真のセンスが抜群に良かったので、半分以上ファンのような気持ちでマイミク申請させてもらったのが始まりで。
ゲームが好きなことから他の鳥仲間さんたちより親しみを感じていました。
後で分かったことなのですが、彼女は東京でゲームのキャラクターをデザインする仕事をしていたそうです。
どこか儚げで繊細なところのある人だなぁと感じていたのですが、愛らしい鳥の写真の裏に色々と悩みを抱えていたのだと。
2011年11月の最後の日記に、右手が痛くて仕事ができなくなったこと、東京を離れて実家に戻ったけれど、厳しい親御さんの元で大事にしていたインコともまともに構ってやれなくなったこと、将来が不安で寂しくてたまらないことが書いてありました。
その日記から1週間後の2011年12月1日に、彼女は自殺したそうです。
私がそれを知ったのは、1ヵ月以上も後のことでした。
私は当時うつが好転しはじめてきた頃で、彼女の最後の日記を読んで共感することが多かったのに、うつであることを彼女に告げようか悩んでしまって、全くコメントが書けないでいました。
まさかそれから1週間後に、もう二度と会えなくなるとは・・・
あの時、私が勇気を出していたら、少しは彼女の助けになったのだろうか。
その後悔だけが、ずっと私の心に残りました。
それから時が経ち、私も自分自身が大変だったこともあってmixiから遠ざかり、彼女のことは次第に思い出さなくなっていました。
でも、8年たった今、全く関係のないところから偶然、思い出すことになるとは・・・
彼女が寂しがって、ふと私のことを呼んだのかも知れません。
大丈夫、貴女が生きた証は、ちゃんとここにありますよ。
貴女の撮った愛鳥の写真を眺めに、また来ますね。