以前の日記「アドラー心理学が易しく学べる『嫌われる勇気』」でもアドラー心理学について少し書いたのですが、
アルフレッド・アドラーは、
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである。」
と断言します。
たしかに生きていく以上、人と全く関わらずに生きることは不可能ですよね。
まず家族が居て、学校や職場があり、地域共同体があって、社会がある。
生きている限り、他者や世間の目から解放されることはない…ということになりますね。
アドラーは、この「対人関係の悩み」を解決できるシンプルな方法とは「課題を分離する」ことだと言っています。
「課題の分離」ってどういうこと?
『嫌われる勇気』の中に面白い逸話があって、
なかなか勉強しない子どもと、どうしても勉強させたい親が出てきます。
まるでウチのようだなぁと思いつつw
「勉強する」という課題があったとき、まず「これは誰の課題なのか?」を考えます。
子どもが勉強するのかしないのか。あるいは、友達と遊びに行くのか行かないのか。
本来、これは「子どもの課題」であって、親の課題ではありません。
子どもの代わりに親が勉強しても意味がありませんよね?
・・・たしかに。
勉強することは「子どもの課題」です。そこに対して親が「勉強しなさい」と命じるのは、
他者の課題に対して土足で踏み込むような行為です。
親は、自分が勉強しなかった後悔があるので、ついつい子どもに「勉強しなさい」と口酸っぱく言ってしまいがちですが、
そもそも自分が勉強しなかった後悔は「親の課題」であって、子どもに押し付けるものではありません。
じゃあ、親は勉強しない子どもを放っておいてもいいのか?という問いに、アドラーはこう答えます。
子どもが何をしているのか知った上で見守ること。
もしも子どもが勉強したいと思った時には、いつでも援助する用意があることを伝えておく。
頼まれもしないのに、あれこれ口出ししないこと。
ハイ、とても耳が痛いですw
あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと。
あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること・・・によって引き起こされます。
自分の課題と他者の課題を分離して、他者の課題に踏み込まないーー
これが対人関係において必要なのだと、アドラーは言います。