拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 瓢箪から牛の『十牛図』

2025年01月13日 | 東洋自分なり研究所

  先日、相方が彼女の重要箱からハガキ大の白黒写真を取り出し、『この写真、私大好きなのよ…』と言うので、見てみると

  私の自撮写真、いわゆるセルフポートレート写真で、昔、隠岐の島へ闘牛の写真を撮りに行った時の一枚だった。

 

              

  24歳のときの写真で、ゴルフキャディのバイトから、卒業した写真学校(芦屋)に助手として雇われ、金と時間に余裕ができたことで

  何故か、『闘牛』をテーマに、宇和島とか隠岐の島とかに取材に出かけた時の写真・・・であった。

 

  相方に見せられ、久々にこの写真を観て、『隠岐の島の闘牛を撮りに行った時の写真だよな…』と思つたとき、『あれっ、十牛図』と思い

  この時、初めて自分の『闘牛写真』と悟りの進捗具合を絵図にした『十牛図』とが、直結した。

          2023年9月7日のブログ記事〜ギャラリー還暦『森』〜宇和島の闘牛

 

  昔禅修行していた当時、古本屋さんで買った山田無文老師の『十牛図』を持っていて何度か読んだが、ピンと来るわけでもなく

  自分の修行との接点も見いだせず、うっちゃっていたような『十牛図』本であった。

  それが、今頃になって自分と禅と牛写真とが、一つながりに『十牛図』に繋がったような気がしたのだ。

   ( 4年前ぐらいに十牛図について少し書いたものがあった 2021年7月11日のブログ記事〜大丈夫教)

 

       

 

  上の私の写真は、この十牛図でいえば、1番の『尋牛』ということろか? 

  というか、それにしても後に『禅道』を歩むことになった私が、24歳の時、撮影の為とはいえ牛を尋ねて宇和島や隠岐の島に行くなんて・・・。

  今になって思うと、私は『十牛図』そのままの人生を生きてきたような気がするが、考えてみると十人が十人それぞれの『十牛図』を歩んでいるのだと思う。

 

  私が『還暦スキャン』と、自分の過去を観察の眼を持ってじっくり顧みる事を奨励する意味というのは、じつは誰の人生にも必ず

  『十牛図』があるからなのだと思う。

  自分の人生というのは後で、吟味しなければなかなか解るものではないような気がするが、どうかな?