先日、高校女子3年生による、タコの研究発表の様子を報道したニュースをYoutubeでみた。
なんでも、『タコに鏡像自己認知能力があるか?』という研究テーマだそうで、私はこの聞き慣れない『鏡像自己認知能力』という言葉に
異常に反応してしまった。
何故なら、私が研究する坐禅の『坐』の字がまさに、人が佛性である『鏡像自己認智能力』を有している証の象形であり、
佛語の大円鏡智とは、自我に対する無我(臨済禅師は無位の真人と表現)を映し、自他不二を自覚させるのが『(大円)鏡像自己認智』だからだ。
その前に、そもそも『鏡像自己認知能力』とは何か?・・・をチャット君に聞いて見ると
鏡像自己認知能力(mirror self-recognition ability)とは、生物が鏡に映った自分の姿を「自分自身」として認識できる能力のことを指します。
この能力は、自分という存在を意識し、他者との区別を理解することに関わる重要な認知能力の一つです。
自己認識のテスト
鏡像自己認知能力を測るために、**「鏡テスト」**が広く使われます。このテストでは、動物の体(通常は額や耳など)に目立つ印を付けて、
鏡を見たときにその印を自分の体に触ろうとするかを観察します。印に気づいて触る場合、その動物は鏡像自己認知能力を持つとされます。
この能力を持つ生物
人間(一般的に2歳以上の幼児)
チンパンジー、オランウータンなどの大型類人猿
イルカ
アジアゾウ
マグパイ(カササギ)などの一部の鳥類
人間における意義
鏡像自己認知能力は、人間の自己意識や社会的認識の発展と深い関係があります。
例えば、自分を認識する能力は、他者の視点を理解し、共感や社会的関係を築く上で重要な基盤とされています。・・・ここまでChatGPTより
以前より私は、『悟り』は『郷里(サトリ)』と『郷』の字に注目している理由が、甲骨文字が二人が向き合う様
を描いた象形で、それは『坐』と通じるものとして、この二人の間には『鏡』があると私は解釈し、佛語である『大円鏡智』も『自他不二』の
真我を映す般若の智慧の働きであると思う。
私たち人間には、観えない鏡(大円鏡智)があって、そこに映る『鏡像自己認知能力』を試すことが人生の通過儀礼として用意されている。
私たちが『坐禅』をする意味もそこにあるのではないだろうか。
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