今年2024年は『辰年』であったが、私は辰年生まれの72歳・・・。
いわゆる年男として、何かいい事あるカモ!?・・・の期待を抱いたものだが、新春早々相方が入院したり、
私自身風邪や花粉症でわりと長期間、気管支を痛めつけられ、こともあろうか元日に能登地震が起き、戦争も各地で広がるなか
トランプが米国大統領に選出される等など、ネガティブな事がいつもより多い年であったような気がする『辰年』。
前回の私の辰年が12年前の60歳の時であったから、『辰年』の『龍』の意味についてなど仕事にかまけて考える暇もなかったが
今回は定年退職の身分であり、考えるとは無しに『龍』が象徴する意味について、たぶん一年をかけゆっくり考察。
十二支の中で、唯一架空の動物というか生物・・・『龍』には、一体どうゆう意味があるのか?
『龍年』に生まれた者として、この問題は今年中、つまり明日中には解かなければ…と、我が『龍性』に尋ねてみる・・・。
円覚寺で修行中、仏殿の天井に描かれた大きな『龍』の下で大勢の僧侶が朗々と経を読む場に何回か遭遇したが
当時は『禅』と『龍』の関係性を知るべくもなく、ただ龍のパワフルな『ギョロ目』が印象に残っている・・・ぐらいなものであった。
禅の修行で最も重要視される力(ちから)は、禅定力・・・というもので、坐っている時、あらゆる妄想を断ち切って、『無』で居続ける
定力が、坐から立ち上がった瞬間、雲散霧消するような禅定力では話にならない・・・
そういう意味では、パワフルな禅定力を可視化した姿が『龍』ということが云えるかもしれない。
そして先日話した三学の『戒ー定ー慧』の『定』が禅定力で、『慧』というのが、龍のあの『ギョロ目』が象徴する『観』という事だと思う。
そこには『観自在』があり、龍の振動を象徴する『観世音』が響き渡ってその救済の意志の存在を力強く誇示する龍の姿は
釈尊の生誕のときの逸話、四方に向かって7歩あるき、『天上天下唯我独尊!』と雄叫びをあげた仏陀そのものの姿でもあるようだ。
どなた様も、良いお年を!
その今年年男であった我が亭主も、特段の出来事も無い1年でしたが。 とにかく、健康が何よりですね!
どうか、良き巳年を迎えられます様に!!