拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  アバター『馬骨』、時々『一撮』

2024年12月06日 | 東洋自分なり研究所

  先日、今年5月の私の誕生日に相方の姉がプレゼントしてくれた、DVD映画:橋本一監督作品『北斎』をようやく観た。

 

  それは、時代劇といっても身分の上下関係一切ない、『芸術の世界』の話で、日本人の原点を映画という窓から覗き見したような作品で

  江戸時代の人々、とくに絵師や戯作者(小説)など創作に人生を賭ける様子は、ほんとうに時代を超えているなぁ〜と、

  感動を通り越してうれしくなった。 

  北斎や写楽、歌麿など… 今思えば まさに天才と言っていい人達が、(ジャンルは違うが、芭蕉とか千利休、世阿弥等も)我ら日本人の

  祖先としてそれぞれの『道』に足跡を残してくれた事が、自分もまた日本人の一人として素直に感謝できるようになった事もうれしい。

 

  ところで、日本古来の表現者達をちょっと勉強すると、彼等は名前を次々と変えていて、北斎などは30回も名前を変えているし、

  松尾芭蕉も、芭蕉に落ち着くまでは何度も名前を変えている。 

  そのように、日本には昔から自分の気分に沿って名前を変えてきた文化があるようで、

  調べてみると、池上英子・田中優子共著『江戸とアバター』という本があることを知った。(早速リストに追加)

  その本の始めに『 「アバター」は、もともとインドの言葉で、聖なるものが地上に降り立った仮の姿をいう。

            このデジタル時代の仮想世界においては、自分の中にある部分、気持ちを形象化したそんな分身を使い

            他の人々と交流する形態。人間のアイデンティティの複雑さを目に見えるかたちでしめされ・・・云々』 池上英子氏

 

  と書いた一文を読んだ時、般若心経の『空即是色』は、『空』に裏打ちされる個性『色』の開花がアバターなのではないか・・・と思ったが

  日本人ははるかデジタル以前に『アバター文化』を楽しんでいたが、そうとは知らず、私自身もアバターを駆使していたかも…。

 

  私がブログを書き始めた最初は、写真家である自分を意識して『写楽斉』と名乗っていたが、同名のブロガーがいたのを発見したのと、

  2011年からスマートフォンでツイッターで俳句を始めた頃から俳号のつもりで、『一撮』のブログ名を使い始め、

  2017年に定年退職して、禅を中心にブログを考える『東洋自分なり研究所』を立ち上げてからは、『馬骨』を名乗り始めている。

  時々、政治的なことで思いっきり確信的なことを言いたい衝動があり、何時の日か政治面でのアバター名を名乗ることが

  あるかもしれないが、まぁ、面倒くさがり屋でもあるので、正直これ以上名前を増やしたくはない・・・。

 

       

    相方ニコルが、ある日彼女の『チャット君』に、私のデータを入力してアバターを描いてもらった図 ・・・笑えた!!

    『ハゲ頭』の入力を忘れたか…

  

 

  

  

  



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