拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  デジタルコミュニティ・ライフ・・・

2024年11月01日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  昨日、ある意味衝撃的なNetflix・ドキュメンタリー映画(ノルウェー)『イベリン 彼が生きた証』(The remarkable life of Ibelin)を観た。

 

  マッツ(Mats1989〜2014年)君は、遺伝性疾患、筋ジストロフィーを患って生を受け、子どものうちから車椅子生活を余儀なくされた。

  筋ジストロフィーは、年々筋肉が萎縮して弱体化し、長く生きられないという宿命を持った病気だ。

  高校まではなんとか卒業したものの、進学も、就職も出来ず、家に引きこもるしか選択の余地はなかった。

  恐らくその頃からだろうか、MMORPG(大規模多人数参加型オンラインロールプレイングゲーム)

  『World of Warcraft 』というゲームを始め、『イベリン』というアバター名で『デジタルコミュニティ・ライフ』が始まったのは・・・。

  

  彼の葬式の際、挨拶した父によると、マッツ君は10年間でおよそ2万時間はコンピューターのモニターに向かっていたそうだが、

  彼が亡くなるまで、マッツ君がデジタルコミュニティ・ライフを通して、恋愛をし、友情を育み、たくさんの友人に助言したりして

  皆に慕われていたことを、両親も妹も全く知らなかった。

  マッツ君の死後、彼のコンピューターで彼と繋がっていた人達に、彼が亡くなった事を知らせると

  その日の内に沢山の人から哀悼のメールが届いたことで、生前、彼にもそういった人生があった事を初めて知ることとなる・・・。

  そういうストーリーを中心としたドキュメンタリーで、じつに、いろいろと考えさせられた。

 

  昔、『アバター』という映画を観たが、主人公は下半身不随の青年だが、巨人のような体を持つ健康な青年をアバターとして、未知の世界を

  自在に動き回る・・・というようなストーリーで、まさにこのマッツ君そのものだと思った。

  私はゲームのことは全く知らなかったので、仮想ゲームの世界の中で、現実のように友人ができたり、恋愛感情をもったりコミュニティを

  運営したりすることが出来る事を知って、そのことに驚くと同時に、マッツ君がそこで普通に生きることが出来て、本当に良かったと心から思った。

 

  そして、その『デジタルコミュニティ』というものが、様々な人の夢を叶える、或いは生きがいを与えてくれる・・・

  一つの大いなる可能性を秘めた、新しいコミュニティとなる可能性・・・について、私の妄想は勝手に膨らんでいくようであった。

 

         

        思えば、『馬骨』などというアバター名で現実離れした言動するこのブログという『場』も、デジタルコミュニティともいえる?

 

    参考までに、マッツ君の笑顔と・・・



最新の画像もっと見る

コメントを投稿