拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  一期一会の秋

2024年11月21日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  日本では今年はいつまでも暑い日が続いたようであるが、こちらスイスは夏が短かったと思えるような年であった。

  昨日、今日などは朝方はかなり冷え込み、相方は雪だ雪だ…と騒いでいたが、我が街ではまだ降っている様子はないが・・・。

 

  11月に入り、演奏会や作品展の御案内にもとづき、退職者の特権を活かし、結果的にアチラコチラをのぞき観たのであるが

  総じて、それぞれの人々が自己の作品に真剣に立ち向かう姿に、なんだか初めて気がついたかのように、感動している自分に驚いた。

 

  この季節になると毎年催される『ローザンヌ・バッハ祭』は、今年26回目だそうであるが、主催者の小糸ケイ氏とのささやかな御縁の

  お陰でいつも招待の栄誉にほっし、数ある演奏会のなかから、ジャコモ・カリッシミ(1605〜1674)のバロック音楽を相方が決めた。

  ローザンヌ街中のST-Laurent教会の素朴はあり様は、バロックという私にとって昔の素朴な音楽・・・という程度の教養の者にとって

  その醸し出す雰囲気は、なんとなくヨーロッパの17世紀の世界にいざなうものがあった。

              

  Gianluca Capuano氏ひきいる、イタリアの演奏と歌唱のグループによるバロック音楽は、その歌っている言葉はまったく解らなかったにもかかわらず…

  曲を追うごとに彼らの世界に引き込まれ、最後には涙が止まらず、ブラボーの拍手を私はしていた・・・。

  クラッシック音楽でこんな気持になったのは、二度目のような気がするが、まさに『一期一会』、演ずる者と聞く者が一体となった感動がそこにあった。

 

  一度目は相方が一人でそのオープニングの日にジュネーブの隣り村カルージュのギャラリーに出向いたが、狭いギャラリーに

  大勢の人で、作品もゆっくり見ることができず、作者である友人のJean-Marie Borgeaud氏にも挨拶も出来なかったということで

  別な日に、私と二人でカルージュのギャラリーへ行けば、小さなギャラリーには他に客がいなく、ゆっくり彼の作品を楽しんだ。

              

  彼の作品については、これまで5回ほどブログに書いてきたが、 2021年9月のブログ記事〜ヨーロッパにみる『丹田力』

  今回も新作を改めて目前にすると、本当に『野生の叫び声』が聞こえ、『 AI 時代 』とかそういつた一切を断絶する

  生命の力強さが喚起されるようで、彼の作品を全部買いたい衝動が沸いてくる・・・。

  幸い、一部割れたから…という理由で破格の値段で譲り受けるた作品が我が家にあるが・・・、あれって貧乏人の我らへの友情の贈り物ではなかったか?

 

  今年2024年は、スイス・日本国交160周年だそうで、毎年秋にある日本文化月間もいつも以上に力を入れてるそうで、その一環で

  友人であり、昔所属していた『スイス在住日本人芸術家協会』の会長であった伊藤八千代氏、主催のグループ展があるVeveyの隣り村

  ラトードペイのお城の会場に出かけた。

  5,6年ぶりに会ったヤチヨさんは、80を超えても相変わらずお元気。その彼女が紹介してくれたアーチストが大隅敏男氏。(75歳)

 

  ちょぼヒゲにシルクハット姿の彼は、さっそく彼の水墨の『書』について、非常に熱心に解説し始めた。

  作品のいくつかを説明を受けて思ったのは、説明なしにはちょっとその真意が『解らない…』ということであったが…

  

    私が観たのはこの作品の縮小版で、この写真は彼の京王プラザホテルでの展示のYoutubeのもの。大隅敏男展『なにげない日常の貴さ』より(2023年)

   紺色の着物に『慈』の字がみえる。

 

  彼の作品案内書にみる言葉には

  『漢字が成り立った原風景への想いを馳せ、『人』一字に溢れるパワーを解き放ち・・・』

 

  『表音文字は無表情で瞬時の判読が難しい。しかし象形文字には、意味があり、日本の漢字には『心』があり記号性のとても強い形を

   しているため瞬時に判読できます。その独立して意味を持つ漢字一字を素材として心の中で再構築し、一つのイメージを定着させ描き出します。

   人間の力強いエネルギー、爆発するパワーも自然の風景と捉え、キャンバスの上に表現します。単純明快なフォルムとパワーが最重要視されます。』

  

  ・・・等という内容が書かれて、これって馬骨の言う『考えるな、漢字ろ!』・・・そのものだよ…なぁ〜の感想。

  若干、私とは視点が違うものの、『漢字』の持つエネルギーや可能性に早くから目をつけ、『書』であり同時に『絵』でもありえる『漢字』を

  奔放な毛筆で長年描いて、海外を含めた各地で展示し、情熱を持って解説するさまは凄まじく、私など全く及ばない『漢字在菩薩』ぶり。

  世の中には、いろいろな人がいるとは知っていたが・・・。

 

  このグループ展に参加しているもう一人の『書』の人は、ローザンヌと我が街モルジュの間のRenens(ルナン)で書道教室を持つ

  青翠さんは、いわゆる書道家。FacebookやInstagramで美しい書を拝見していたが、このほどは友人の禅僧二人の僧名を書いて頂いた。

 

             

  禅僧とは言え、外国人の彼等にこの筆の味・・・は、解るであろうか?

  若き書道家『青翠Seisui』さんは現地の人々に『書』を教えられているが、『道』に至る一つの道として、大いに活躍してもらいたい…と願う。

 

  これら芸術家が発するエネルギー(色)を、そのまま受け取る鑑賞者(色)の『場』が『一期一会』であるとすれば

  私は、『色即是空』へとエネルギーを空じる、つまりは『自他不二』の道に続く入門状態ではないかと妄想したが、どうであろうか・・・。

  

  

  

 

  

  

 

 



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