私は『悟りの風景』の中でも、臨済宗の宗祖、臨済禅師が悟った時の話が大好きで、その理由というのを2年前のブログで書いていた。
『 仏教に関する屁理屈は、9世紀中国唐代の禅僧『臨済禅師』が悟った時のエピソードで終わっているはずだ・・・。
ある先輩僧が、若い臨済に見所があるとみこんで、『仏法の真意』を直接老師に聞いてこいと言われ、素直にその通りにすると
臨済の質問が終わらぬうちに、老師から棒で叩かれてしまった。 何故叩かれたのかわけが分からない・・・
先輩僧に、一回じゃわかるもんじゃないと励まされ、もう一度行くと、再び棒で叩かれた。
そういったことが、三度あり、すっかり参ってしまった臨済はあきらめて下山しますと、音を上げると
この和尚を紹介するから、彼の処に行け・・・とアドバイスされた。
その和尚のところに行き、これまでの経緯を話すと、『お前の老師はなんて、親切なんだ。三度も懇切に指導してくれたというのに
こんなところまで来て、何をグダグダ言っているのか!』と一喝され、それを聞いた途端、臨済は大悟した・・・という。
その時、臨済禅師は『老師の仏法って、そんなもんか〜』と、さっきまでメソメソしていた男が大口をたたいた…という。
私はこの話が大好きで、どこが良いって屁理屈を言わんとする前に、ただぶっ叩く老師・・・の慈悲の一打が痛快で、
ほんのさっきまで泣きべそをかいていた臨済が、打って変わって大口を叩くというところが臨済らしく痛快で、なんとも言えない。』
この話が素晴らしい…なぁと、思うのは、まず若き臨済の事をよく観ている先輩僧の存在。
そして直に指導する老師がいて、さらに別な和尚が臨済を導く・・・という一人の人間の『覚醒』を巡る『慈悲システム』が構築されている風景に
私は禅宗の原型を観る思いがする。
老師の教えは、言葉に依らぬ『叩く』という行為・・・であったが、それが『命』の字をなしている『一叩』する事で、
それは『命の覚醒』ではなかったか・・・。
そう考えた時、私は禅における『警策』の存在、その果たす役目、その象徴する真義・・・に思いを巡らせざるをえない。
(以前にもそういった事を書いていた… 2024年7月2日のブログ記事〜禅と警策)
禅道場で、リーダー格の雲水が警策を持って立っている存在は、初心の修行者にとって身が引き締まる効果は絶大であった。
半眼で坐禅していると、雲水の作務で鍛えあげられたふくらはぎが、私の真ん前をノッしと歩く様はまるで仁王様のよう、
妄想三昧の頭の中をすっかり見透かされているようで、緊張の汗が流れた・・・。
数年後に私は、警策を持って修行者を叩く側になったが、ある日、居士林を指導する和尚は、私の手から警策の棒をもぎ取って
中途半端な叩き方を諌めるように、思いっきり勢いの良い音をたてて叩いてみせ、警策の使い方を実地に見せてくださったことがあった。
まぁ、棒といっても警策の先の叩く部分は平たくなっているので、背骨、肩甲骨を避けて叩けばケガもなく、凝りをほぐし血行を促進する
『警覚策励(けいかくさくれい)』の警策が出来ることを彼は教えてくれた。
この警策を、暴力とか罰する・・・とかの視点から、止めた道場もあるそうだが、それはどうかと思う。
約3年ぐらいの修行で、未熟な者が人を叩くということを、疑問視しての決断とのことだが、雲水を立派な禅僧に育てるなら
せめて『慈悲の象徴』としての警策のあり方、正しい叩き方ぐらいは、禅を布教する禅僧であるならば体得してほしい・・・と、
素人禅者の馬骨は思う。 (それは東大寺の南大門に仁王像が、無いようなもの・・・ではないか)
禅僧の専門道場と、一般人の道場とでは、警策の使い方に違いがでてくるのはまた当然のことだ。
その時の状況に応じて、道具を使い分けるのが禅者であれば、なおさらのことであることは、一応言っておくとしても。
長々書いたが、何を言いたいかといえば、ギリギリの一叩一打が、慈悲心を覚醒させる一打となりうる佛教が禅であるという
『ぶつ』という発音から『打つ』と『佛』の重ね合わせ親父ギャグ『佛語』を弄してみたかったわけである・・・合掌
先日、亡くなった義父の書類を整理していると、昔、義父母の誕生日(5月)に本をプレゼントした際、
赤い袋に、義父、義母の名前を漢字名で書き、横に当時私が教えていた気功体操のイメージキャラ・『仁王』の
絵を添えた紙袋を発見した。 下手な書ながら、当時は私も相当気合が入っていたなぁ・・・と懐かしんだ図
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