例の『坐骨』で、一時は日本行き断念が頭をかすめた旅行であったが、おケツに注射をぶちむことで、馬骨自体は走り始めたが、そばでハヤトチリの相方が合いの手をあれこれ差し込む事で事態は急転直下〜〜あゝ、かくして出発間際までゴタゴタが続きよく眠れないうちに、出発の朝を迎えたのだった。
というのも、ハヤトチリの相方は『坐骨』と聞いた時点で、せめて空港内だけで車椅子が利用できればよいだろう...という嫁ゴコロでつい軽い気持ちで手配してしまった。が・・・である。自ら閉所恐怖を公言して憚らない相方は、旅行代理店を通してご注文していた、機内での非常口前面で、足を伸ばして寛げる席を確保していたが、それがなんと、車椅子使用者は利用することができない・・・という規定になっていることが判明し、相方は早速、車椅子をキャンセルしたまでは良かったが、例の快適な席2席はどうやら失ってしまい、そのために追加料金を払ったのにも関わらず・・・あ〜あ〜となったのである。相方は旅行代理店やらフィンエアーやらにせっせとメールやら電話をして交渉するも、フインエアーはすでに座席を一般席に変更し、変更が効かないという事態に。。。 。ハヤトチリののために、バカなことになりました。あ〜ア。
で、そのショtクのためでもないでしょうが、出発2日前に私のシャtクリが止まらなくなり、再び相方はパニクリ、我らが良き友、青い目の禅僧のシャtクリ道海和尚に相談、現在フランスのみ製造の秘薬をわざわざ持ってきてくださり、シャtクリに関しては大過をへず落着をみて安堵の胸をなぜた。
相方が選んだバレンタインディの日、4時半起床、6時半の電車でジュネーブ空港。10時50分ヘルシンキ発に乗り無事離陸。
北欧に向かう機内からの景色は、眼下に一面の白い雲で、雪国で生まれ育った者だけが決して忘れることのない『雪の大地』風景を彷彿とさせていた。
ヘルシンキの空港に鮮やかに着陸、まもなくトランジットして乗り換える大阪便がキャンセルしていることが判明‼️ フインエアーカウンターに詰め寄り抗議するも、パイロットのストライキによりパイロット不足のために、欠航で、次の大阪行きは2日後です・・・という若い女性従業員は済まなそうに宣う。で今日明日は、空港ホテルになりますので、二つのうちどちらかをお選びください!。
我々は疲れがどっと出て、とにかくホテルに落ち着いた。
翌日気を取り直し、ヘルシンキ一日観光の覚悟を決め、いざダウンタウンへ。
氷点下10度の体感温度は➖14度で、坐骨神経痛の病み上がりの身には余りにもシバレる気温で、なんとしてもモモヒキが必須であると、極寒の街をモモヒキ求めて、相方もモモヒキ相当のデカパンを求めて彷徨う。なんとか買い求め、装着するべく近くの国立美術館のトイレにてモモヒキをはいて、相方を待つと、半ば半べその相方が言うには、デカパンに着替えるために少し広めの障害者用のトイレを選び、脱いだものをキチンとたたんで置いたまでは良かったが、ジーンズを丁寧に置いた場所がなんとモダンな蛇口の下で、知らずに手をかざしたときに、よりによってジーンズの股のところが水浸しに・・・なったと言うのだ! 私は余りのオtチョコ状態に激怒したが、そこは深呼吸して抑え、どうすべきか思案し、美術館の係員に事のしだいを説明して、ヘアドライヤーの有無を聞いたが、『残念ながら、、、』の一言。
意を決して、私はドライヤーを買うために、一旦外出する旨を年配男性の係員に申し出たところ、余りの悲惨な話に同情したのか、『私に考えがあるから、ここで待っていなさい』と言って、何処かに消えたが、しばらくして蒸気ドライヤー?を持ってきて、これでトイレ前のスペースで乾かしなさい・・・と、ご親切。この状態を一撮した桀作写真があって掲載したいが、相方の懇願により断念することに。(そのうちいつか?)
この品のイイ係員の、おっさん、黒い小さなマントに身を包み、典型的なホモセクシャルの方のようであるが、その細やかな気遣いがこう言った旅先では有難いのだ。
絵の鑑賞もそぞろに、我々は午後一番の市内バスツアーに乗るべく移動。
上の写真は、そのバスから撮った写真であるが、かって道産子として過ごした故郷が蘇り、また高校生の時、模写したブリュゲールの絵に描かれている人影に想いが到った。 (このブログ、アイパッドで書いているが、なんか書きにくい)