扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

母の日

2009年05月11日 01時02分09秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。

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今日は、母の日と言っては見たもののもう時間が過ぎて昨日のことになってしまったが、母の日や母親の誕生日など母親に関係しているものが訪れると、決まって思い出すことが私の母親。

私が、25歳の時に他界してかれこれ8年。

長いような短いような……

今でも、鮮明に覚えている通夜と葬式・・・

両方ともすごい数の人が見えて会場内に収まらなかった記憶がある。

私は、その時に生きている時より死んだ時の方が、その人のありのままが分かるのだと。人の人徳がよく分かる時ではないかってね。

いろんなことに、一生懸命な母は、自分の勤めている会社のことやその従業員に相談にのっていたり・・・(そのために少し体を壊しかけた時も)

後は・・・父の会社にも挨拶にちょくちょく行ったりと近くにいたのにまったく気が付かなかった。


良い悪いを判断するのではなく、その行動力や相手を想う心。


もしかしたら、母は「気づき」を体感していかもしれない。

自分の死ですら、薄々感じ取っていたらしいし。

その頃の私はイライラしたり……と今の言葉を借りると「エゴ」と同一化し続けていた。
とても、情けなく馬鹿らしいですよ。



現実は、母はこの世にはいない。あの時「こうすれば」とか「ああすれば」とか「もっと話していれば」など、8年経ってもこの「エゴ」は消えない。でも、受け入れて「今いる」ことに意識を向けることが少なくとも出来るから、母の思いやりや愛情を今になって感じることが出来る。


私は、母のようには、なれない。


でも、遺伝的な「業」を私も持っていると想う。だから、このようなblogを書いてしますのであろう。


「今いる」と言う、大いなる存在により気づき、この世での役割を見定めたいものです。

皆様に、常に「今いる」ことを……


p.s これを見た方々少しでもよいので両親に「ありがとう」と言ってあげて。
    感謝の言葉を言えるのは「今」でしかないのです。