扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

時間の流れが.......

2018年01月15日 09時41分35秒 | 気づき
この外世は、時間が早くなったり遅くなったりしているのではなく、この外世での「個」であり解釈・思考・感情が違うから早くなったり遅くなったり感じるのです。


それを、理解した上で・・・・・・




もう、1月も半分が過ぎてしまった







「今ここ」で行動し「いまここ」に在ると、あっという間であり「もう、1月も半分が過ぎてしまった」と思ったのは自我であり、この裏には「やるべき事を何もしていない」と言う、不安と恐れが付いて回っているのです。


「今ここ」と「いまここ」では自我の居場所がなく、存在すらも消えていますが、自我にとってはあり得ない事であり何とかして存在意義を持たなければと考えるのです、そのチャンスを伺いながら「今ここ」・「いまここ」から一瞬でも離れた隙を狙ったことなのです。


しかし、勘違いしないで欲しいのが狙われても良いのです、全て「私」なのですから、「いまここ」の私も、「今ここ」の私も、自我の私もーーーーそして、あなたも・・・・・・ねっ🎵


外世では思考がないと生活できないし不安と恐れがないと慎重がなくなり怪我をすることもある有難い機能なのです。


さて、私も大きな変化の年の中で(勝手に決めています)内世の力を借りて乗りきり、その経験を皆様に伝えれたらなと思っています。