扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

開く、拓く

2015年07月23日 08時46分30秒 | 気づき
「はじめ・・・」にを読んでもらえる とうれしいです。

そして、深く「気づき」を体験したもの合わせて読んでもらえるとうれしいです。 「人生のシステム」
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スピリチュアルや精神世界、もっと言えば、宗教全般で言葉を使ってる説いている人がいるが、この人たちは自分の体験を言っているだけであり「こうしなさい」「ああしなさい」と言っているわけではない。

中には言っている人もいるがそれは押し付けであり、一時的には良いが何も解決にはなっていない。

なぜか?


扉まで案内もしてもらえず、その場で言いたいことを言っているだけなのである。
前者の人たちは、扉まで案内はしてくれるが扉を開けることはしない。

「さーどうぞ」

と言い見守っているだけである


その扉に鍵がかかっていても、「私は持っていない 、あなたが持っている筈だからよく探してごらん」と促す。

開けなくても、常に一緒にいてくれる

開けると、にっこりと微笑む♪


扉を開けると、案内人がいるそして、選ばしてくれる。
固まらなくていいのだ相手に委ねて自分で選択し決定していき進んでいくのです。

この扉が地獄の門だったのか、天国の
門だったのかを決めてしまうのも自分であるなら拓いたプロセスを自分でしっかり決めることである。


原因からの結果であり、目的からの行動である。



皆様が、常に「今」に在りますように。



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7月16日(木)のつぶやき

2015年07月17日 03時52分03秒 | 気づき

他の人は貴方の事なんて見ていませんよ。

自分がどう見られているか気にしないで大丈夫です。


全て、アクションを起こせば返ってくる。
アクションを起こさない事がアクションであり、その反応もある
そこに私たちは全く違った反応をしてしまうのでズレてしまう。


常に真実はそこにある。

それをどちらの角度から見て判断するればするほど真実はボヤけて見えてくる



家族と対人

2015年07月14日 08時12分05秒 | 気づき
「はじめ・・・」にを読んでもらえる とうれしいです。

そして、深く「気づき」を体験したもの合わせて読んでもらえるとうれしいです。 「人生のシステム」
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私たち人間は元は「大いなる存在」と共に存在していたのですが、光を経験するのは対するモノが必要なのでそれを創造した。

より多くの経験を必要としたため、多くの対するモノを創った。
それが我々である、創った直後は「大いなる存在」と多少なりとも繋がっていたが、周りをみると自分とは違うモノが居ることには気づく―――――そして、そちらに全ての興味や意識を取られ、「大いなる存在」の事を忘れてしまったのです。

「大いなる存在」に造られた我々は言わば子供で「血=本質」の繋がった家族である。

でも、やっぱり分かっていても別と考えてしまう。ほとんどの人間はそうであろうし、自分の人生は自分で進んでいると思っているがほとんどの人間は他の人の人生をなぞっているに過ぎない。

ここで、誤解を訂正しておこう。
人生とかいたが、物語と書く方が分かりやすかった。

もっと、深く掘り下げると他の人の物語を歩くと決めたのは自分と言うことも忘れてはならない。

その上で、1日1日の対人関係を自分を中心に物語が作れるように思考を使うのがとても、役に立つ事だと私は考えるのです。



皆様が、常に「今」に在りますように。



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