職場の同僚に、「昆布茶を飲むところだけでも良いから読んで」と勧められたそうだ。
娘は「読んだら置いていくから」と言って、滞在中に読んでいた。
その本は小川糸さんの「ライオンのおやつ」。偶然にも、私が読みたいと思っていた本だった。小川糸さんの作品は過去に「ツバキ文具店」を読んだことがある。好ましい作家さんだ。
調べてみると、「ライオンのおやつ」は2020年本屋大賞2位の作品だ。大賞は、凪良ゆうさんの「流浪の月」だった。
流浪の月は読んでいたのに、“おやつ好き”の私が、「ライオンのおやつ」は未読だった。
主人公は海野雫(うみのしずく)。33歳のステージIVの末期ガンの女性だ。
瀬戸内のレモン島にある”ライオン“という名のホスピスへ船でやって来る。
”ライオン“に滞在する人はゲストと呼ばれ、もう一度食べたい思い出のおやつをリクエストすることが出来るのだ。
おやつにまつわる思い出は、マドンナによって紹介され、ゲストたちのこれまでの人生が垣間見える。
冒頭、主人公がマドンナに迎えられるシーンは、優しさに溢れていた。
マドンナは看護師でありカウンセラーである「ライオン」の経営者だ。
読み進めるに連れ、“ライオン”に流れる優しい空気感に、自然に涙が溢れてしょうが無かった。
丁度この本を読む直前に、芸人で漫画家の矢部太郎さんの「ぼくのお父さん」と「ぼけ日和」を読んだからかも知れない。この漫画2冊も優しさに溢れているのだ。
居間で読んでいたのだが、夫が見ているテレビでは、悲惨な戦争と、いい加減な日本の政治の事を伝えていた。夫はテレビに向かって、文句をブツブツと言い、読書するにはあまり好ましくない環境ではあった。
でも、現実社会がこんなだから、余計に本の中の瀬戸内の島の景色や、人の優しさ、出て来るおやつや食事風景が心地よく、涙が出てきたのかも知れない。
読みながら、興味をそそられる言葉が数々現れ、スマホで検索する事が、止められなかった。
「カーゴバイク」「ソ」「ラテックスマット」「粥有十利(しゅうゆうじり)」等など。出て来る白い犬の名前は六花(ろっか)というのだが、六花が雪の別名だと言うことを初めて知った。北海道には六花亭という有名なお菓子屋さんがあるというのに…。
食事も、名前を聞くだけで幸せな気分になるラインナップだ。味は雫の言葉を借りると「魂に直接響く味」。
小豆粥、レモン風味のお稲荷さん、カサゴの味噌汁、百合根粥、鴨の塩釜焼き、イイダコのおでん、胡麻豆腐。
おやつも豆花(トウファ)、カヌレ、アップルパイ、牡丹餅、ミルクレープ、レーズンサンド。
それぞれのおやつにゲストたちの物語がある。
後半は雫が衰弱していく様子が描かれていて少しつらいのだが、マドンナの死生観が現れた部分があり、それは雫と読者へ安心感を与える。
マドンナ曰く、
『生まれることと亡くなることは、ある意味で背中合わせですからね』
『どっち側からドアを開けるかの違いだけです』
『きっと、生も死も、大きな意味では同じなのでしょう。私たちは、ぐるぐると姿を変えて、ただ回っているだけですから。そこには、始まりも終わりも、基本的にはないものだと思っています』(本文より抜粋)
マドンナのタッチセラピーを受けながら、雫が、死んだらどうなるかと質問した時、マドンナは、
『きっと、その人の元になっている意識というかエネルギー自体は、決してなくならないのじゃないかと思っています。次々と形を変えながら、未来永劫続いていくのではないでしょうか』と答えている。
何か魂の存在を肯定しているような表現が、私にとっては魂の安らぎの物語として心に残るのだ。
自力では歩けないほど衰弱した雫が、達観して、言う。
『今というこの瞬間に集中していれば、過去のことでくよくよ悩むことも、未来のことに心配を巡らせることもなくなる。私の人生には、「今」しか存在しなくなる』『だから、今が幸せなら、それでいい』
物語の中で、うら若き女性が死を目前にして悟った事は、老いゆく私にとっても当てはまる。
自分の老いた身体に戸惑い、これまでと違う自分を受け入れられず、これからどう生きたら良いのか迷い、大先輩の著書を読んだりした。
石井哲代さんの「102歳、一人暮らし」、大村崑さんの「崑ちゃん90歳 今が一番、健康です!」。
読んでわかったのは、気負うことなく、淡々と毎日を楽しく過ごすことだ。
幸いにも、親が私に与えてくれたこの丈夫な体は、今の所病を知らない。有り難いことだ。これ以上に何を望む事があるだろうか。
娘にこの本を勧めてくださった同僚の方に、心から感謝したい。久しぶりに物語を堪能した。
読み終わってから、おはぎを作った。
花より団子。本よりおはぎ。
結局、本を読んで目覚めてしまった食いしん坊。