何十年という人生の中で、貯めに貯めた片付けなくてはならない様々な物が山のようにある。
そんなガラクタの内、本の書評、料理、胸に響くコラム等など、膨大な数の新聞の切り抜きの分類からスタート。
厄介なのは、片付けながら思わず書評や記事を読んでしまうので、なかなか片付けが進まないこと。それでも一週間ほどかかってやっとほぼ分類のみ終わった。
一生かかっても読む事のできない“欲しい本”の切り抜き。
一生かかっても料理しきれない“食べてみたい料理のレシピ”。
そのまま丸ごと捨てても良い様な紙切れの束。でも、それらに何かを感じて切り取っておいた、“過去の自分”の気持ちをないがしろにも出来ない私。
欲しかった本は、ネットのフリーマーケットで手に入れて読もう。料理もこれからゆっくり作ってみよう。
退屈しない余生を送れそうだ。
分類は他に絵、映画、思い出、雑情報等があり、分類後に更に細分化する必要がありそうだ。
量が少なめの絵と映画は細分類し終わった。
絵は子供達が初めて描いた絵からイタズラ書きまで、懐かしく分類した。
意味のある絵を描いたのは二人とも4歳前後から。
息子は車。真ん中が盛り上がった横線の下にタイヤらしき丸が2つ並ぶシンプルなもの。
娘は人の顔。大きな丸の中に、目らしき丸が2つと口らしき一本線。
絵の分類は楽しかった。
だんだん複雑な絵を描けるようになって、学校の先生の似顔絵や、彼らの考えたキャラクターたちのバカバカしい漫画に思わず笑った。
特に息子は、日々大量に絵を描き続けていたので、漫画家になると思ったくらいだったが、絵を描くより現在は文章を書く方が好きらしい。
娘はペットの小鳥たちや、動物たちの絵をよく描いていた。
小鳥のカラフルな色を塗った作品は、今は居ないペットの小鳥たちの思い出を思い起こさせてくれた。
絵を分類しながらつくづく感じたのは、子供たちの絵の上達とともに、私の人生もあっと言う間に駆け抜けて行ったのだなぁという事実。子供たちが家を巣立つまで、働いて、手抜き家事をして、その間に欲しい本や行きたいお店を新聞から切り抜いて取っておいた。
その切り抜きの内、買ったり借りた本は数冊。行きたかったお店も、いつか行ってみたいと思いながらそのままに。何年も前の情報だし、このコロナ禍でなくなってしまった店も多いだろうと思い捨てた。
ただ、その中にあった5年前の北海道新聞の記事。札幌駅でのみ売っているという「柳もち」、このお餅だけは絶対買って食べたい、と思って記事を取っておいたのに、すっかり忘れていた。
用事があって街に出た際、早速確かめに行ってみることにした。
弁菜亭というお弁当屋さんに売っているという事で、探してみると…あったー!
個数は10個から8個に減っていたけど、600円はリーズナブル。包装紙も変わって
こんな感じ。
数も減ったけど、量も減ったのかな?仕切りの中の隙間が目立つような…。
こしあんのあんころ餅。ふた口で食べられてしまう程の、小ぶりなおはぎ。
小豆も、もち米も北海道産ということだ。
明治39年(1906年)から販売されているという事なので、100年以上!正確には115年もの長きに渡り売られ続けている。
コロナ禍にも売られ続けていて良かった。
切り抜き整理をしなければ、記事を目にすることも無く、危うく食べ損なうところだった。
念願かなって満足満足。
味はどうだったか。
100年以上売られ続けているという事実が自ずと物語る。もはや私が感想を言うまでもないだろう。